KIDがいた時代・俺が語る格闘技の裏側

あの時代の格闘技──地上波になる前の“本当の話”。記憶じゃなく伝えるために書く。

山本KID徳郁と出会った日────最初はな~んも考えてなかった

いまの若い格闘技ファンに、山本"KID"徳郁って言ってもピンとこないヤツがいる。
この前ブレイキングダウンを見てたら、大阪のレオってのがエンセン井上を見て「だれこのおっさん?」って言ってて、正直ちょっとショックだった。

エンセンは、KIDと俺、そして雷暗暴──俺たちのボスだった。
KIDが立ち上げたKILLER BEEは、当時PUREBRED東京として始まった。
PUREBREDの本道場は大宮にあって、そこの道場主がエンセン井上
あの頃、**格闘技の“核”**を作った人間のひとりだ。
そんな存在すら“誰このおっさん”なんて言われるのは、正直頭にくる。
けど、時代なんだなって思う。

今の格闘技には今の良さがあるし、
おそらくブレイキングダウンの中からも、
ちゃんと本物の格闘家としてやりとげるやつは出てくると思ってる。

たとえば朝倉未来
KIDと俺が出会った頃、彼もTHE OUTSIDERっていう、
今でいうブレイキングダウンみたいな「喧嘩自慢の集まり」から出てきた一人だ。
そこから本物になっていった。だから、否定だけじゃない。

でも、やっぱり俺は、KIDという存在を知っててほしい。
その横にいた自分が見てたものを、伝えておきたい。

俺がこのブログを書こうと思ったのは、
「KIDっていう男が、ただの天才じゃなかった」ってこと。
それを、すぐそばで見てた俺が語り残したいと思ったから。

もちろん、俺も当時は、ただ毎日を必死に遊んで、ケンカして、逃げて、
意地だけ張ってたガキだった。
でも、KIDとすごした日々は、確かに本物だった。

いつかこのブログを誰かが読んで、
「ああ、KIDってそういうヤツだったんだ」って思ってくれたら──
それだけで、十分だと思ってる。



~その出会いは20歳とか、そんくらいだったかな。当時、レイブってのが流行っててさ。音楽が三日三晩なりやまず、テントを張って、寝たいときに寝る──そんなイベントがあった。

俺も彼女と一緒に参加してた。
長野とか山梨(富士の樹海の周辺)、今覚えてるのはそのあたり。東京生まれ東京育ちの俺にとっては、遠出だったのを覚えてる。

どこかでレイブがあるって聞けば、行けるときは行ってた。
その日も、ただただレイブを楽しみに出かけただけだった。


いつも通り、サイケデリック系の音楽、酒、どこか危ない空気、薬物。
各地から悪そうな奴らが集まってきてて──でも、それもひっくるめて楽しんでた。

彼女とテントに入って、寝てたのか話してたのかも覚えてない。
とにかく、突然テントの上から「誰か」が落ちてきた。
そいつ、彼女の上にドンと乗っかってきた。


頭にきて外に出た。
「何しやがった」と怒鳴りながら、そいつをどうにかしてやろうと思ってさ。……でも、そこにいたのはチビなのに信じられないくらい暴れるヤツ。
複数人を相手に、暴れまわるっていうか、踊るっていうか──
何か目を奪われるような動きだった。

それが、のちの山本KID徳郁だった。


俺の記憶に残ってるのは、そんくらい。
誰かもしらないし、レイブで喧嘩なんて日常茶飯事だったし
けど、あいつは「何かが違った」。

もちろん、当時の俺は格闘技なんて真面目に見たことなかった。
でも、あの一件だけが強烈に焼き付いてる。

あいつ、俺に「わりぃね」ってニッコリ笑ったっけかな。
どうやってその場が収まったのかも覚えてない。

酒も入って、ろくに寝てもなくて、たぶん、他のものも体に入っていた。
もう限界の状態で、ただテントに戻った気がする。

 

俺もそのへんの悪ガキと変わらない、
その日その日を楽しむだけで、なーんも考えてなかった。
楽しいところにはとにかく行く、男の意地だけは張って──そんな風に生きてた。

ついでに言うと、俺は中1の頃に言われた。
「次、捕まったら施設だぞ」

で、7回目の補導でホントにブチ込まれた。
2年間、教護院で生活した。
中学は、特殊な場所で終えた。
卒業と同時に解放された──

そんなガキが、20歳になったころの話。

その後、KIDとまた出会うことになるなんて全く頭になかった…

 

 

今回はここまで、たくさん書きました
また書きます