この年になるとシコウが固まってしまう。思考、志向、そして嗜好。
今好きなものはずっと好きだろうし、今から新しく何かを好きになることも少ないかもしれない。
今好きなものには、それを好きになる「瞬間」……とは言わずとも、好きになる時期があったはずだ。
そして出会う前には原体験と呼ぶべき伏線のようなものがあったかもしれない。
今自分が好きなものをいくつか思い浮かべながらそんな原体験を振り返ってみた。
AI
近年のAIの発展が著しいことは今さら紹介するまでもない。いつの間にかみんなAIの話をするようになった。しかし私はかなりの古参ファンだと思う。
イラスト生成でいえばhypnogram.xyzというサイトが2021年には使えていた記憶があり、それをアルバイト先の何人かに紹介した。すごい技術がもうすぐ生まれると。このサイトに気づいていた人が何人いただろうか。
そしてMidjourneyがDiscordで一般に解禁されたのが2022年の7月。その時点で解説記事を探してnoteをMidjourneyで検索したら数件しかヒットしなかったことを覚えている。
テキストでいえば東大の松尾研究所のELYZA DIGESTも2021年8月。これが2022年に一般に一気に広まったが今と比べれば精度は低かった。それ以前、2018年ごろから、LLMとは違う気もするが大喜利AI、そしてしばらくしてAIのべりすとがあった。AIのべりすとには本当にお世話になった。
音楽でいえば今のSunoとは全然違う仕組みだがOrpheusもかなりのめり込んだ*1。私が投稿していたのはコロナ前、2019年ごろだったろうか。
そもそも自分はAIに限らず自動○○みたいなものに興味があり定期的にネットで調べていた記憶がある。自動要約、自動文章補完みたいなワードで2017年くらいから定期的に検索していた。
AI古参アピは済ませたところで、でもそれより前の、もっと原初的に、こういうものにひかれるようになったきっかけを思い出した。
小学校の時に触った脳内メーカーだ。
脳内メーカーは普通に適当である。何の根拠もない。でも同じ文字列を入力すると一意の脳内を出力する*2。そしてそれを見て解釈する。自分がAIを楽しむ視点はここから始まっている。
何かを与えると、人知を超えた意志が一つの応答をする。それを自分なりに解釈する。そういう占いに興味があったのだ。
さらにここから小学生のころ、Wiiでインターネットチャンネルを手に入れたことで、自動○○について調べるようになる。そこでマルコフ連鎖のことを知る。文章を入力するとマルコフ連鎖で文章を再生成できるサイトを試した。もちろん支離滅裂な文章しか出力されない。
なんで好きなんだろう。一つは人の意志はつまらないと思っているからかもしれない。与えられるという行為は受動的だが、いわばお題として自分を縛る面もある。物は言いようだと思われるかもしれないが。縛られたいが自分以外の人類にその権利を与えたくないという気持ちはある。シュールレアリスムの自動筆記とかも興味があった。私がAIに求めているものはそれかもしれない。
あとはまあ、こんなことは言いたくないが、やはり才能の無さを埋め合わせる道具としての面は絶対にある。絵心も文才もなく、プログラミングも勉強していない自分が、思いを形にできることがあるのはAIさまさまである。
サザンオールスターズ、桑田佳祐
初めて聴いたのは小学生の時、アルバム「キラーストリート」(2005)の発売された時である。小3だ。親の運転する車内で聴くという定石通りの展開。2曲目の「セイシェル~海の聖者~」が特に好きで親に歌詞カードを見せてもらって歌詞カードを見ながら聴いていた。あとはその次の「彩~aja~」。齢8歳にしてこの曲の「夢の中でだけどそばにいて」というサビにキュンと来ていたので、今のこの弱男的恋愛脳となんら変わっていない。
その後中学に上がり、桑田の闘病、復帰、サザン復活などのイベントをリアルタイムで経験する。そして親が1990年代のアルバムのCDを持っており(それ以前は媒体がCDではなかったらしい!)、「世に万葉の花が咲くなり」「さくら」を聴くことになり、その振れ幅に恐れおののくことになる。ファンならわかると思うが、21世紀と20世紀では桑田の作品はかなり違う。この辺も語ると長くなるが、TSUNAMI~波乗りジョニー~白い恋人達の大ヒット、メンバー脱退、姉の死(桑田はシスコン)、自らの闘病、東日本大震災を経て作風が大幅に軟化する(個人の感想です)。最もそういう事情が分かるには、たくさんのインタビューやエッセイを読み、何より作品を聴き込む作業が必要になる。
原体験は何だろうか。これは明確で、幼稚園生の頃のハッチポッチステーションと小学生の頃のヘキサゴンである。それを解説する親もセット。冗談音楽、壮大なギャグみたいなのが好き。もうこうなると必然的に桑田佳祐に行き着く(これも親の影響ではあるが)。
ギャグというのは、もうちょっと手前でいえばパロディである。そしてさらに手前には「手練手管」という四字熟語がある。品のないたとえだが、逆ナンに乗るような気分である。つまりお前のやり口とこれからやりたいことは分かっていると。そういう気持ちで音楽を聴く。レキシというアーティストがいるが彼が好きな理由もそうである。正直サザンの隣にいるのはミスチルでもユーミンでもなくレキシですよ。あとは実は私にとってのVaundyもそうですね。ウマ娘や学マスのキャラソン、イベントソングが好きな理由もそう。このテーマならこういう演出でしょというメタ視点を惜しみなく、100点満点で120点でやってくれる。それは時にギャグ的なパロディにもなるし、そのジャンルの名曲になる可能性も秘めている。
逆転裁判、古畑任三郎
古畑は小2の正月三夜連続、つまりほぼ最終回から。逆転裁判は小4のときになぜか「3」からプレイ。3から始めた過去の自分を殴りたい。
この二つには共通点がある。
逆転裁判、古畑は人が死ぬが、あまりシリアス過ぎない。これはダンガンロンパや相棒と比べてもらえると分かりやすい。両作の良さとしてミステリーとしてはカラッとした作風がある。ドロドロした人間関係とかサイコサスペンス要素とかほとんどない。古畑にはそういう作風自体をパロディした「黒岩博士の恐怖」(サイコパス殺人鬼キャラパロディ)、「今甦る死」(横溝正史パロディ)というエピソードがある*3。
推理においても時刻表や密室などのこまごました話はない。どちらかというと小話的。イメージとしては探偵ナイトスクープだ。ちゃんとミステリーで例えると、巧舟が公言しているが、彼はチェスタートンのブラウン神父シリーズが好きだという。ちょっと読んだ。「木を隠すなら森の中」と最初に言った人だ*4。あとは日本のチェスタートンと呼ばれたらしい泡坂妻夫。特に亜愛一郎。これはけっこう読んだ。ヨギガンジーの手品は高校で披露しましたね。
そう手品。驚かせて笑わせたいというのが通底する。
だからプレイヤー、視聴者に推理材料が示されている。逆転裁判はゲームだし、古畑は倒叙ものとして、古畑がどこで気づいたかに焦点があてられる。両作の作者が意識しているのはエラリークイーン。だが私はクイーンを読んでいない。では何を読んでいたか。
ミルキー杉山の名探偵シリーズである。
これホントに良かった。まず登場人物の外連味。キャラ立ち具合がまず、いい。主人公のミルキー杉山は奥さんに逃げられて、一人で子供を育てている。子供向けでわざわざやる設定ではない。仲間もいい。口から火を噴く探偵、ボウズすすきだとか。
そして人が死なない。町で変なことが起こる。誰が、なぜ、どうやってそんなことをしたのかを推理する。それでいい。子供向けだから人が死なないのは当たり前だが、死ぬ必要がないのだ。ミステリーは手品のように。
ちゃんと読者への挑戦もある。
5月発売の「むかしむかし名探偵」を久しぶりに買って読んだが、今回は見立てものというべきか。犯人が見立てたものばかりではないので厳密には違うかもだけど。かちかち山、わらしべ長者、はなさかじいさん、鶴の恩返しに着想を得た4つの事件がそれぞれ短編で展開される。この時点でもうちゃんとミステリー。特にかちかち山を題材にした事件その1「カチカチいうのはなんの音」はかなり逆説かつ子供向けの伏線もあって、よかった。
ナイスネイチャ、篠澤広
私はオタクと見せかけてオタクではないことをウリにしてきた節があるがウマ娘にはまったことで、この特性を失った。しかし中途半端にソシャゲ2作だけをやったせいで声優の知識の偏りなど随所でややこしさを生んでいる。もっと露骨なオタクになりたい。
非実在美少女キャラ愛というものは案外普遍的なものではないらしい。これはいったいどこから来たのだろうか。
記憶をたどると二人の女性が浮かぶ。ハリーポッターのルーナ・ラブグッド、そして「藩校早春賦」の恩田志保である。前者は映画版のイヴァナ・リンチ込みだがキャラもいい。英語の宿題でとにかく紙に英単語を書くという課題があったが、面倒だったので全部Luna Lovegoodで済ませたことがある。ばれなかった。後者は学校指定の朝読書の本だったが、青春時代劇のヒロイン枠だった。当時同じクラスだったオタクのA君が小説の描写から微エロイラストを書いてくれた覚えがある。普通に黒歴史ものだと思う。ああいう絵ってああいう感じの奴が書いてたんだ。元気かな。
さらにさかのぼると忍たまのくノ一のユキかもしれない。布団の中で、普通に書けないタイプの妄想をしていた。全然小学校中学年とかで。おませさんですな。ただ、ユキというチョイスは今の私からするとやや安易に映る。改めてPixivで「くのたま」の項目を読んだが、私が好きになるならトモミだろう。
基本的に太陽よりかは月のような女性が好きだという自己分析がある。コナンも全然灰原哀だったし。原作単行本の海回で、灰原哀が退屈そうにあおむけで寝ている描写があるんだけど、そこのパンチラシーンで、かなりドギマギしましたからね。
これ普通にアウトだろ。
Twitter始めたのは大学生になった2017年だったのですでにだいぶ遅れていた。中学生の頃にたしかサービスが開始され、ませたやつはアカウント作ってなんかいろいろつぶやいていた記憶がある。私はなんか怖かったし、そもそも端末を持っていなかったのでやっていなかった。その代わりというわけではないがメモ帳にいろいろなことを書いていた。中学生の時である。そこに思いついた面白いことを書き込んでいた。ネタツイみたいなことをやっていたこともあるし、ちょっとした企画をやっていたこともある。誰に見せるでもなく。こういうのって本来なら黒歴史になっていなければいけないのだが、精神的に成長していないため今でも読んでいて面白い。一部を紹介しよう。
外来語に漢字を充てる。
拇端(ボタン。拇印+端子のイメージ)
芸夢(ゲーム)
納図(ノート。図を納める)
穢露巣(エロス)
元号に使われた漢字の登場回数を一文字目と二文字目に分けて調査し、元号らしさを数値化する試み。1文字目に使われた回数×2文字目に使われた回数を元号力と定義。
数学の教師が言っていた「ここの高さが2ですから」のリズムが「この木何の木」の「誰も知らない木ですから」と一緒のリズムだったことを記録。
「消臭力→長州力のパロディ?」と書いてあるところもあった。横にto doと書いていた。これのどこがto doなんだろう。
当時今で言うコミュ障過ぎて、英会話の本の日本語訳の部分を書き写して会話に使えないかと考えていた名残もあった。
もたれるの漢字表記と語源をメモしていたところもあった。
この習慣はたしか高校生になってもやっていて、専門用語から比喩表現に変わった四字熟語とか集めていたんだけどちょっとメモ帳が見当たらない。
もう一つこういうののきっかけになったものとして「一発朗」というかなりニッチなサイトがある。厳密には私が知ったのは書籍化されたものを通じてだけど。見かけた面白い用語やだじゃれなどどんな方向性でもいいからユーモラスな言葉を共有できるというサイトだ。まだやっている。
一発朗
Amazon.co.jp: 一発朗: 20文字以内のダジャレ・おやじギャグ・死語・流行語・時事ネタ・ブラックユ-モア・パロディ・誤変換・誤 : 藤代 尚文: 本
本の説明欄を読むと雰囲気が分かるかもしれない。短い言葉による受け狙いみたいなものは思春期からずっと好きである。
あと2ちゃんねる新書という紙のまとめスレというべきレーベルがあって(信じがたい)、それを県立図書館で読んでいた。こんなもん税金で買うな。夏休みの最終日に、20%しか終わっていない宿題を持って図書館に行って、これを読んで、結局何も手につかず帰っていた。スマホいじりに数年先んじることをしていたのだ。ケータイを与えられなかった子の末路かもしれない。
Amazon.co.jp : 2ちゃんねる新書
今でも2ちゃん転載系のアカウントをさかのぼっていると30分経ったりしている。
ゲーム(特にローグライクやボードゲーム)
ゲームが趣味ではあるのだが反射神経が必要なものは苦手であまりプレイしていない。するとしてもグラフィックがリアルな乗り物ゲームであえて事故起こすみたいなことばかりしている。ようするにターン制のゲームが好きなのだ。さらにそのメカニズムも複雑なRNGではなく、ダイスロールをビジュアルで再現してくれているとありがたい。
根っこにはこのゲームにおける最適なふるまいを解析したいという欲求がある気がする。マスクデータがあるのはずるいと思う。
これはさかのぼるとゲームブックに由来するに違いない。念のため言うと私は20代後半なので、ゲームブックのもろの世代ではないのだが、正直かなり影響を受けた。
私は小さい頃はそんなゲーマーではなく、せいぜいどうぶつの森や脳トレやスマブラやレゴのアクションゲームなど世間の小学生並みのソフトを任天堂製のハードでプレイしていたのだが(逆転裁判はちょっと王道ではないかもしれないが)、図書館で本を読むのも好きだった。その本の中にゲームブックのドルアーガの塔シリーズのなぜか2巻だけがあったのだ。ゲームブックというワード自体はにゃんたんのシリーズなどで知っていたので手に取ったが、当然児童用ではなく、仕掛けが完璧に大人向けで私は紙の本相手に面白いくらい手玉に取られた。そして長崎で1, 3巻も探したのだが手に入らず、親が遠くの古本屋や図書館も連れて行ってくれたのだが、なかった。そして中学に上がりインターネットで調べて、そもそも私が見つけたのは復刊で、3巻はまだ復刊されていないらしいこと、児童用ではないゲームブックというジャンルがあり、いくつかの書籍が刊行されていることを知る。部活の全国大会で上京した際に大型の書店で魔神竜誕生などの新進気鋭の作品を見つけて購入した。
ゲームブックが私に与えた影響はいくつかあって、それはシステムとフレーバー(?)に分かれる。
システムとしては前述の通りサイコロや紙とペンなどアナログで、全体像を把握できるゲームシステムが好きになった。
もう一つは若干バタ臭いダンジョンRPGが好きになった。グリッド移動かどうかはともかく、要するに、塔や地下牢が舞台で、ホブゴブリンとかが出てきて、職業として勇者ではなく剣士が出てきて、金貨で武具防具を購入するタイプのゲームだ。正直今の説明で分かる人にはかなり伝わるだろう。Slay the Spireはそういう意味でもかなり好みだ。
やはりゲームというのは手を止めて考えたり、ロボットに命令として与えられるような最適解を自力で導き出したりするというのが究極的な楽しみだと思っている。
インターネット
くだらないインターネットもかなり好きだ。さっきTwitterについて書いたがTwitter以外の、もうちょっと文章が長くて個人と紐づいた部分について語ろう。
まず私がインターネットを使う環境はWii、そののち3DSだった。並行して親のパソコンも使っていたが、もちろんそこは部活(競技ディベート)に関わる範囲にとどめていた。当たり前。
Wiiはリビングのテレビに映るのでプライバシーなどない。なので必然的に3DSのハンディサイズが私をインターネットに近づけた。
真っ先に調べたかったことは、当時ハマっていたゲームの情報、つまり逆転裁判である。ファンメイドのwikiの年表や呼称表(呼称表が「いい」ということに自力でたどり着いた時点でかなりオタクだったのかもしれない)を見つけると、エロいサイトじゃないか確認したうえで、恐る恐る追記し、親のPCでアクセスし、印刷して、授業中にプリントのふりをして読んでいた。書いていて思うが私はデジタルネイティブでありながら紙にこだわりがあったらしい。(cf. ゲームブック、2ちゃんねる新書)
そこから派生して、個人のブログを読むようになった。今でも覚えている、原体験といえるのは以下の方のブログだ。逆転裁判3のゴドーの影響でハードボイルドに生きるにはどうすればいいか、考えあぐねた先に見つけたサイトだ。申し訳ないが決して有名なブロガーというわけではないのだが、文体やユーモアセンスという点で私にとってこの人は理想である気がする。今読んでも幸せなニヤニヤをしてしまった。ちなみに本文中に世紀末とあるように、けっこう前のサイトです。おすすめは
北方謙三が某誌でこんなコトやってたような
Argus君、あなたのために書きました
サラダにまぎれているレーズンも許しがたい
ハーブチーズ牛丼は割とウマー
それにしてもページタイトルと主が想定しているタイトルが違うという点で時の流れを感じる。
逆転裁判の考察サイトもいろいろあったし、今でも残っているものもあるが、ちょっとこの辺は独自のルールがありそうなので紹介はしない。固有名詞事典とか年表とか、高校の生物基礎の時間の半分はこれを読んでいた気がする。それでもセンター試験は満点取れましたからね。
アンサイクロペディアもけっこう見ていた。というか記事も作っていた。今見たら大幅に加筆修正されつつも残っており感激。
図書館でもインターネットを浴びていた。先述の2ちゃんねる新書もそう。書き出し小説やバカドリルの天久聖一。ノベライズ・テレビジョンもこの人だった。今はDPZでも書かれている。ダ・ヴィンチ・恐山も(名前は一致しなかったが)「止まりだしたら走らない」で先に知った。
辞書
言葉にうるさいのは理由があって、ちょっとシリアスな話なのだが、自分には吃音障害がある。なので小学生くらいの頃からコミュニケーションに難があり、それを克服する手段として、言えなかった言葉の言い換えを辞書で探すようになったのだ。そういう生きていくための必然としてやっていたので、やる気が違うという面がある。ちなみにネット弁慶になったのも、そういう書き言葉優位にならざるを得ない面があったことが関係する気がする。私もまた、生来の障害の被害者の一人なのだ。
日本語検定というどこに出しても通じない検定試験の、2級という微妙な級で、全国1位を取ったことがある。勉強しなくたって満点が取れるとイキって受験して、満点は取れなかったが、それに近い点を取れたのは、そういう理由もあるのだ。もちろん、2級という時点で、日本語だろうが英語だろうが、歴史だろうが数学だろうが、私ほどの人間ならば誰より高い点が取れるとは思うのだが。
