アメリカで迷子のサイエンティスト

アメリカ生活・進学・仕事・子育てのリアル体験

好きと強みと価値の交差点

もし何歳になっても諦めきれないものがあるのならば、それが自分の「好き」なのだと思う。好きなことは、そう簡単に消えない。そして特別なものを作るには、必ず好きという気持ちが関係している。

 

好きなことと強み(得意なこと)は少し違う。好きなことは、頭から離れない自分がワクワクすること。やっていて単純に楽しいこと。どうしても諦めきれないこと。得意なことは、他の人から価値を認められたもの。好きだから自然に回数を重ね、他の人より上手になって得意分野に移行することもあれば、意図せず、他人から褒められることもある。そして、得意なことと世の中が必要としていることが一致すれば、そこに価値が生まれる。

 

得意なことや、その価値は、環境が変わればどんどん変わる。例えば、英会話が得意なことは、日本のコミュニティにいれば、役立つとみられるかもしれないが、英語圏にいれば、ネイティブでない英語は不利に働く。一方、好きなものは変わらない。もし10年前に好きだったことが、今も好きであれば、おそらく10年、20年後も諦めきれないのであろう。

 

好きを仕事にするとは、聞こえはいいが、なかなか難しいもの。実際に、好きなことを混ぜたものが仕事になったり、好きなことをするために、やりたくないこともやらなければならないことも多い。ただし、好きという気持ちが後押ししてくれることも間違いない。そこで好き(自分目線の価値)と得意(他人目線からの価値)の交差点を見つけ、その価値を最大限に生かせる環境を見つけるのがベストだと思う。商品もそうだが、顧客が価値を見出せなければ売れない。自分の好きも、価値を認めてもらわなければ、仕事にしてお金を稼ぐのは難しい。

 

それでも、出発点は好きでいいと思う。どうせ諦めきれないのならば、今から始めればいい。それが得意に変わって価値が認められる時が来るかもしれないし、いつまでも認められないかもしれない。一つだけ分かっていることは、特別なことの裏には、必ず好きといういつまでも変わらない強い気持ちがあることだ。

アメリカの会社でマネージャーに求めること

アメリカでプロダクトマネージャーとして働いて6年以上たつ。その間、自分がマネージャー(上司)に求めるものが変わってきた。

 

以前は、自分を信用して何でも任せてくれる人を求めていた。仕事の方針だけをざっくり決め、後は「自由」にやらせてくれる人である。仕事に慣れてくると、信用して任せてくれるだけでは足りなくなる。任せられすぎて、仕事の量だけが増え、質が落ちてくることがあるからだ。そこで自分のためにリソース(時間や他のチームの協力など)を社内で上手くコントロールしてくれる人が必要になった。また自分の目の前にある障害物(問題)などを動かして、前に進むことを手伝ってくれる人である。

 

会社内での仕事にどんどん慣れてくると、リソースのコントロールも問題解決も自分でできるようになってくる。そこで次に必要になってくるのは、決断を手伝ってくれる人である。やり方が分かっている仕事は、時間さえあればいくらでも消化できる。一番難しいタイプの仕事は、正解が誰にもわからない中、決断をして前に進めなければいけないものである。

 

決断することは、プロダクトマネージャーの一番大事な役割でもある。参考にできるデータポイントが多ければ楽だが、データにバイアスがかかっていたり、データが少ない中で行わないといけない決断は、特に難しい。そこで、マネージャーの知識や経験からくる勘のようなものが大事になってくる。ただし、個々の経験は幅広いものから幅狭いものまで様々だ。なるべく、経験の幅が広いマネージャーが理想的だと思う。そしてチームメンバー(部下)を知ろう、彼らから学ぼうとする姿勢を示してくれる人。そのような人は、自分の判断の穴(隙)もよく知っている。Reactiveではなく、Proactiveな決断ができるし、物事の多面性もよく理解している。

 

自分のキャリアのステージにぴったり合い、自分の成長につながるマネージャーに出会えることは稀である。2−5年ごとの転職が一般的なアメリカでは、理想的なマネージャーに出会えることを目的とし、転職する人たちも少なくない。私自身、理想的でないマネージャーの下で数年間仕事をし、職を離れることを決めた。次に出会うのが、理想的なマネージャーである保証はないけれど、理想を求め続けようと思う。

 

 

自分は善逸側の人間だと思う

鬼滅の刃を知っている人は分かると思うが、その中に出てくるキャラクター善逸は、とても怖がりだ。鬼を倒す立場にいながら、鬼と向き合うのが誰よりも怖い。善逸は平均的な人だと思う。自分と同じだ。

 

アメリカで修士号、博士号を取り、シリコンバレーにあるバイオテクノロジー系の会社で働いていると聞くと、何か勇敢な人に聞こえるかもしれない。でも実際は、緊張の連続だ。修士・博士の卒業論文発表の時は、緊張しすぎて気がついたら終わっていた。半分ぐらいは頭が真っ白になっていたと思う。就職活動中に願書を送るのだって、一社送っただけでクタクタになる。面接前は必ずお腹が痛くなり、希望の会社からの電話を受ける時は足がすくむ。新しい会社の初日はまさに拷問だし、仕事に慣れてきても、大事なプレゼンテーションでは声が震える。

 

それでも、心に響くものがあるから続けている。恐怖や緊張の向こう側には必ず小さな誇りみたいなものが待っている。それを積み重ね、少しずつ自信になっていく。2回目、3回目、もしくは10回目ぐらい繰り返せば、心臓のバクバクも少しずつ小さくなる。声が出るようになり、足の震えがとまる。お腹の調子もいつも通りだ。

 

善逸が倒さなければならない鬼は、私にとっての「未知のもの」であり、新しいことに挑戦すれば、必ず一緒についてくる。それがどんなことであれ、ほとんどの人は少しずつ挑戦して勇敢になっていくのだと思う。

 

 

カリフォルニアの自然と調和する暮らし

私が住んでいるシリコンバレーがあるベイエリアはほぼ一年中晴天である。年によっても異なるが、雨が降るのは冬の間の数日〜数週間ぐらいのことが多い。曇り空の日が2、3日続くと、太陽が懐かしくなり、晴れの日が早くきてほしいね、と人々の話題になる。

 

夏は、昼間は日差しが強いが、日陰に入ると涼しく感じる。夜になるとヒヤッとする冷たい空気がベイ(湾) の方から入ってくる。朝になると寒いぐらいである。ベイエリアの古くからある家は、冷房がついていないことが多い。夜のうちに窓開けておき、家をキンキンに冷やし、朝になって太陽が昇ると、その冷気を逃がさないように窓を一日中閉めておく。これで夏の間は、冷房がなくてもやっていける。冷房がついている家でも、使うのはひと夏に数回ぐらいである。

 

冬も割と温かい。昼間は日差しが強い日は半袖で過ごせるぐらい。でも朝はさすがに寒く、暖房が必要だと感じることが多い。7年前、テキサスからカリフォルニアに引っ越してきた時、不動産の人に “In California, we pay high rents for this weather. Sunshine tax is real.” と言われた。(カリフォルニアのいい天候のせいで、「太陽税」を払わないといけなく、それで家賃が高いのだと)。

 

雨もほとんど降らないので、庭やパティオを物置がわりにしている家も多い。うちも、家の中のクローゼットが小さいので、スポーツ用品(テニスラケットなど)や雨にある程度濡れても大丈夫なものは、パティオに一年中出してある。雨が降らないからか、虫も少ない。蚊もほとんどいない。夏に日本の帰ると、昆虫や虫の多さに感動してしまったりする。

 

カリフォルニアは、虫は少ないが自然は多い。ベイエリアといえば、割と都会と思われがちだが、車で20−30分のところに行けば、Redwood (セコイア) の木がぎっしり生えている自然へ行ける。トレイルも数え切れないぐらいある。週末に仕事のことを忘れて、Redwoodの木の匂いを肺の奥まで吸い込むと、仕事のごちゃごちゃした考えや疲れ、悩みなどが、す〜っと消えていく。虫はいないけれど、体長10cm ぐらいの鮮やかな黄色をしているBanana Slug(バナナナメクジ)をよく見かける。

 

今は秋で紅葉の季節。日本の紅葉名所の美しさには負けるが、住宅街などに赤や黄色の葉をつけた紅葉樹がずらっと並んでいると、秋らしさを感じるこの頃である。

 

Banana Slug

 

感情を自由に感じる

社会に出ると、感情は悪いこととして捉えられることが多い。アメリカの会社で、あの人は感情的だという表現は、大抵の場合、短所 (weakness) として使われる。感情を抑えられることは、長所 (strength) として捉えられ、そのような人は成熟していると思われることが多い。会社などの場面では色々な文化や考え方の人がいて、感情が少ない方が何かと物事がスムーズに運ぶからだ。

 

でも感情はポジティブにも使える。本当に人を動かすものは、必ず感情が伴っている。心に響くものは、大体が感情的なものだ。強い感情は文字となり、絵となり、物となり、他の人へと、時には世代を超えて伝わっていく。発信する方も、強い感情をこめて書いたり作ったりすると、時には行きどころのないような感情を誰かに聞いてもらったような、受け入れてもらったような気持ちになる。

 

長いあいだ会社で働いていると、感情を抑えることが多くなり、それが自分の中に溜まっていく。気がつけば、感情を押し殺し、スムーズに物事を運ぶことがどんどん上手になり、その一方で、人を動かすようなものを書けなくなり、作れなくなっている自分もいる。4年以上働いていた会社を辞め、数週間経つ。今まで抑えていた感情が溢れ出す。それが楽しいものであれ、悲しいものであれ、深く心に響くものであれ、同情であれ、それら全てを含む感情を自由に感じ、表現できることは素晴らしいことだと思う。

 

その感情を一つ一つ確かめて、文字にしていく。陶器の土に練り込む。料理に込める。それは、会社という社会の中でグッと押し込め続けられ、凝り固まった感情が少しずつ溶けて、癒される過程だと思う。

心の声

人の心は声 (inner voice) を持っている。私はそれをアメリカに来て初めて実感した。日本でああしなさい、こうしなさいと言われ育った私は、外部からの指示が一切消えた時、迷った。自分の心の声が一切聞こえない。自分はどうしたいのかよりも、何を言うのが正解なのかを、先に頭で考えてしまう。

 

それこそ、今日は何を食べたいというような、基本的なことも自分で決めることは困難だった。アメリカで、友人にどこに食べに行きたい?と聞かれ、相手を気遣い It’s up to you と言って、怪訝な顔をされたことも何度もある。彼らからすれば、完全に「考えることを放棄している」人だからである。

 

今では何を食べたいと聞かれた時、大きな深呼吸をして何が食べたいんだろう、と自分の心と体に聞いてみる。相手に合わせて、選択肢をいくつかに絞り込み、提案し、相手の様子をみて反応が悪ければ、何系がいいの?と聞き出し、自分の心の声と擦り合わせて、これにしようとお互いが満足できそうな提案ができるまでになった。

 

我慢をすることが美である時もあると思う。でも自分の意見や欲求を知りながら、周りの状況を考えて我慢することと、自分の意見・欲求をほとんど分かっていないことには、大きな違いがある。前者は知恵であり、後者は無知である。

 

不思議なことに、心の声は自分にとっての正解を常に知っている。スティーブ・ジョブズの有名なスピーチがある。

“Don’t let the noise of other’s opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”

Steve Jobs

 

最近、小さくなっていた心の声をもっと聞くために、時間とスペース(余裕)を作ろうと思う。

英語学習には、耳と口の記憶を活かす

英語圏に生活したことがある人ならば、誰でも承知だと思うが、英語を話せるようになるのには、とてつもない時間がかかる。アメリカに住んで20年以上になるが、英語はいまだに習得中である。英語が上達したい人にあげられるアドバイスはただ二つ、耳と口の筋トレをすること、そして視覚重視の英語環境から抜け出すことである。

 

言語の基本は音である。よって、英語が聞き取れる、話せるかどうかは、その音を聞き慣れているかどうか、または発し(話し)慣れているかどうかである。昔、何かの本で、英語は赤ちゃんが言葉を覚えるように習得しろ、と聞いたことがある。赤ちゃんは、音を聞き、状況とその音を結びつけ、それに似た音を口から発し、身近な人とコミュニケーションを取ろうとする。大人も一番手っ取り早く英語が上達するのは、それと全く同じ過程を辿ることである。耳と口の筋肉を鍛え、その間の「回路」を作る。意味が分からなくても、聞いた音をひたすら口で「音として」真似る。コミュニケーションも二の次でいい。何の道具も使わず、体一つでできるこの単純な作業こそが、英語上達への一番の近道だと私は信じている。

 

そこで、最初のうちに邪魔になってくるのが、視覚で覚えた英語である。日本の学校で習う英語の勉強法は、完全に視覚重視である。教科書を使って、スペルを確認し、意味を覚え、それを音読する。これは、音に慣れる前に視覚を使ってしまうので、どうしても視覚に頼った英語になってしまう。英語の発音も、視覚に基づいたものなので、ネイティブのものとはかけ離れてしまう(これが俗にいう、日本語訛りの英語である)。視覚から入ってしまうと、話せない、使えない英語を習得することになり、ネイティブのような英語を習得するには、返って遠回りになってしまう。

 

音として習得する方法は、最初のうちは、意味やスペルが分からないまま英語を発音することになるので、違和感や恐怖心を感じるかもしれない。でも、単語しか拾えなかった音が、文章として入ってくる瞬間がある。状況に合わせて意味もこれかな?と予想がつくようになる。その音を頼りに発音していけば、英語の発音はどんどんネイティブのものに近づいてくる。発音だけではない。イントネーションや自然な言い回しなど、自分の耳を頼りに、どんどん習得できる。

 

この方法のいい所は、記憶を全く使わない所である。私は記憶力が悪い。以前、家族や友達と出かけた場所、学校で習った歴史などは、ほとんど覚えていないこともある。人の名前を覚えるのも拷問に近い。とにかく暗記ができない。しかし、音で習得する英語は、筋肉の記憶(英語でいうMuscle memory)を使うので、脳の記憶よりずっと長く続き、一度消えても、少し練習するだけですぐに戻ってくる。車の運転に似ている。頭を使わなくとも、体が覚えている感触である。

 

脳の記憶を頼らずに、耳と口の記憶に頼れば、何も考えずに英語がスラスラと口から出てくる、ということが実感できる日が来ると思う。