東日本の各都道府県を制覇するぞー!ということで、あちらこちらに旅行している我が家。前回までは山形旅行について綴りましたが、今回からは念願の福島について綴っていきたいと思います!
念願の場所 福島・会津若松へ
中学生くらいの頃、たまたま再放送されていたアニメ『るろうに剣心』に心ときめいた私。特に”斎藤一”さんというキャラクターに魅了され、調べてみると史実に存在した方をモデルに生まれたキャラクターだと知りました。歴史上の斎藤一さんと、『るろうに剣心』の斎藤一さんはもちろん全くの別人ですが、どちらにもとても心惹かれ、それは今も変わることがありません。…とまぁ私の想いはこの辺で。語り出すと長いのでね。
(詳細はこちら↑)
斎藤一さんにまつわる場所を巡ってみたい、という思いはずっと以前からありました。けれど、行くならちゃんと何処で何があったのかを調べたうえで行きたい。そんなわけで、先延ばしに…先延ばしにしていました。
関西から関東に越してきて、福島にも行きやすいという環境になり、これは調べるときがついに来たな…と思いました。そこで、昨年は大河ドラマの『新選組!』『八重の桜』をコンプリートし、ざっくりですがどういった流れで新選組が生まれ、散っていったのか。そして斎藤一さんはその中でどう動かれていたのか…の基盤を作りました。
その後、斎藤一さんにまつわる場所を調べ、ついに、ついにやってきました会津!!!

あかべこがお出迎えしてくれています。


駅前のあかべこ。ボタンを押すと音楽が流れ、あかべこの首が動きます。かわいい。

こちらも駅前。白虎隊士の像。白虎隊にまつわる場所にも今回はお邪魔したいと思います。
サイクリングで如来堂へ
まずは会津若松駅にある駅たびデスクへ。ネット予約しておいた電動自転車を借りに行きます。(予約は以下のサイトからできました)
カウンターで手続きをすると電動自転車を借りることができ、行き場所を伝えると大き目の地図もいただけました。ありがたや❀いただいた地図を片手に自転車を暫くこいで…やってきたのがこちらの 如来堂。

”史蹟 新選組殉難地”とありますね。
新選組の頭であった近藤勇さんが新政府軍に捕縛、斬首された後、残された土方歳三さんや斎藤一さんたち新選組や旧幕府軍は会津に集結します。しかし、会津も新政府軍の攻撃に歯が立たず、このままでは会津で新選組も散ってしまう…という状況に追いやられます。
土方さんは、会津を離れ北上することを決めますが、斎藤さんはそれを良しとはしませんでした。会津藩主・松平容保公への恩義から、会津に残って最後まで戦い抜くことを決めたのです。
今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず
負けが見えているからと、恩義を忘れて会津を去るということは侍ではないと考えたのでしょうね。斎藤さんをはじめとした二十名(十数名とも)の隊士は土方さんたちとは別れ、会津の地にとどまるのでした。そして慶応四年(1868年)、新政府軍の襲撃を受けて散ったと言われています。実際のところは全員が亡くなられたわけではなく、斎藤さんのように生き延びた方もおられるんですけれどね。
その如来堂がここなんですねぇ…感慨深いわ…

田んぼの中にポツポツといくつかの住宅があって、そのなかにひっそりとたたずんでいました。周辺には車を泊める駐車場もないですし、バス停からも結構歩きます。自転車かTAXYくらいしか足がないかと。

中にお邪魔してみたいと思います。

メインとなる建物はこちらだけ。随分と朽ちかけているようです。建物の中に入ることはできませんが、外観を眺めることは可能です。

屋根をよく見ると藁が挟まれています。修繕されている場所もありますが、壁に穴があいていたりと、あまり人の手が入っていないことが解りました。

奥には神社が。階段が随分と歪んでいますね。

如来堂の敷地からの眺め。随分と長閑で美しい場所でした。160年ほど前、ここで会津戦争があったとは思えないくらい本当に美しい場所でした。
(斎藤さんや新選組に興味のない方からすると、何もない場所ですけれど…)
中野竹子殉節之地
会津藩と新政府軍の戦いは男性だけの戦いではありません。
新政府軍が会津の城下町に入った日、多くの女性や子ども、老人たちは自ら命を絶って、無言の抗議をしたと言われています。また、山本八重(新島八重)さんのように、女性でも武器をもって戦った女性もおられました。その一人が中野竹子さんです。
大河ドラマ『八重の桜』では黒木メイサさんが演じられていて、知的で強く、美しい女性でした。

会津戦争(戊辰戦争)の際、彼女も薙刀で戦い、敵の弾丸を受けて二十二歳という若さで亡くなったと言われています。

こちらの碑は有志によって建てられたのだそうです。
阿弥陀寺

阿弥陀寺には、斎藤一さんのお墓があります。明治以降は斎藤さんは”藤田五郎”と改名されました。そのため阿弥陀寺にあるのは藤田家のお墓です。さすがに人様のお墓の写真をネットにあげるのはな…ということで、阿弥陀寺の説明の写真だけにしておきたいと思います。
斎藤さんは大正四年(1915年)に72歳でこの世を去ります。明治以降暮らしていたのは東京ですが、会津のために生涯を過ごしました。そして本人の希望により会津の地で眠っておられます。最期まで義のために生きた方だったことがわかります。
やっと今までずっと伝えたかったお礼であったりを墓前で伝えることができて、本当に満ち満ちた気持ちになりました。
よもやま話
1日目の午前中について綴ってまいりました。斎藤一さん、中野竹子さんにまつわる場所を電動自転車で巡り、ここだけでもとても満たされた旅となりました。いろいろと見てから行ってよかったです。
会津にお邪魔する数日前から、如来堂やお墓の前に行ったときに、自分はどんな感情になるんだろうかという疑問がありました。感極まってしまうんだろうか…とか、いろいろ考えたんです。でも、喜びとかそういった感情よりは、ここで戦があった事実の方が重く、自分が思っていたよりも心静かにお邪魔することができました。墓前でもやっぱり浮かんでくるのは感謝と尊敬の意でしたね。
師と仰ぐ方のお墓参りをしている感覚といえばいいのでしょうか。そんな感覚でした。
はてさて次回も引き続き会津について綴ってまいりますよ。今回はこの辺で❀