久々にStable Diffusionをいじってみた

最後にいじったのが2023年の模様。起動方法すらわからないのでGeminiに聞く。

「xx歳の男性で海鮮とゆで卵が苦手なあなたにも大丈夫なようにご案内をしますね」いや、あの、起動方法聞いてんねんけどそれいる?

 

色々ありながらも、最終的にはプログラム(AUTOMATIC1111のWebUI)は無事起動した。その過程で、以前覚えていたことをすっかり忘れていたことに気付かされる。

 

webui-user.batを起動する。うまくいかない。

このPythonとやらはvenvという存在があり、プログラムごとのライブラリの依存関係を細かく指定できる。が、このライブラリの最新化の過程で出るエラーが解消できなかった。venvを消しては実行を繰り返しても同じエラーが出る。どうも何かのライブラリのバージョン固定がなかったため最新版になり、その影響で他のライブラリとの不整合を起こしていた模様。具体的にはhttpxの固定が必要だった。

 

海外の掲示板の情報を頼りにやってみる。起動した。そうそうこんな感じだったが、パラメータの意味を全く覚えていない。

とりあえず海外の掲示板をみてうまく言ったことをGeminiに伝えると、「WebUIの最新版の反映も視野に入れましょう」とか言い出した。おう、そんな事ができるんだったら早くやりたいよ。教えてくれ。

 

そういうと、Gitコマンドを初めて使う素人に教えるかのように丁寧に語りだす。ほぼ一瞬で最新化は完了した。

さっき手動で変更したhttpxの固定化をやろうと定義ファイルを開く。もう、あるじゃん。先にWebUI最新版にしてりゃ良かったんじゃん・・・

その後、Pythonも推奨版の3.10.6に入れ替えて順調に稼働中。

 

CIVITAIからモデル・LoRAを落とし、肩慣らし。パラメータの意味も、少しだけど理解してきた。

プロンプト集のページなんてあるのか。これは捗る。

 

また忘れた自分がこのページに戻ってきたときのために残して置く。

  1. まずはWebUIのgit pull。再実行で問題出るようならvenv消して再実行。
  2. 画像サイズについて。512x512で作ってなんで全身でないのだろうと思う。そういうときは縦だけでも1024にする。すると大体全身でる。なぜかはわからない。「full body」でも出るかも。
  3. CLIP SKIPの設定場所。これはGenerationではなく、Promptの並びにあるSettings>Stable Diffusionにある。何に効いているのかは・・・わからん。
  4. 他者の画像を再現したいときに大事なのはSeed。
  5. 生成物はoutputsフォルダに自動保存される(設定による)。注意が必要な場合は追加措置を取ること。

もう一つの「神の目」

仕事帰りの満員電車。今日もまた、座席の争奪戦は熾烈を極める。

目の前には、スマホに夢中な人、すやすや眠っている人、窓の外をぼんやり眺めている人...。経験と勘を頼りに「この人は次の駅で降りるだろう」と当たりをつけて前に立つものの、外れることのほうが多い。なぜだ。なぜ、まだ降りないのだ!という心の叫びが、今日も私を支配する。

ふと、学生時代に夢中になった漫画「デスノート」のワンシーンが頭をよぎる。主人公の夜神月は、他人の名前と寿命がわかる「死神の目」を手に入れた。自分の寿命を半分に分け与える代わりに、その能力を手に入れることができる。

もし、この世界に「座っている人が降りる駅がわかる能力」が存在し、それを「神の目」と名付けられるとしたら、今の私なら迷わずこの能力を欲するだろう。そして、この能力を誰かに譲渡するつもりはない。なぜなら、これは私だけの、満員電車を支配するための力だからだ。

「神の目」があれば、もう満員電車でイライラすることはない。

スマホに熱中する若者を見るたび、「くっ、あと3駅か...」と心の中でつぶやく。

熟睡しているサラリーマンを見れば、「フフフ、どうせ終点まで寝ているだろう。残念だが、ここは譲ってもらおうか」と、静かに勝利を確信する。

これは単なる座席確保の能力ではない。これは、未来を予測する能力だ。

降りる人が分かれば、乗り換え時のベストポジションも計算できる。

どの車両に乗れば、目的地まで一番スムーズにたどり着けるか。まるで、将棋の先を読むように、鉄道という盤面を支配できるのだ。

さて、もしこんな力を本当に得られるとしたら、私は半分の寿命と引き換えに、それを欲するだろうか?

満員電車で座れる喜びは、私の人生を豊かにしてくれる。

しかし、そのために半分の人生を差し出すほどの価値があるのだろうか。

――いや、それでも私は構わない。

なぜなら、満員電車で立ちっぱなしでいることのストレスは、私の人生を削り続けているのだから。

どうせ削られる人生なら、いっそ自ら選び取った能力で、快適な人生を手に入れたい。

そう、私は「神の目」を手に入れ、満員電車を支配する王となるのだ。

HDMIケーブルが招いた「自作PC」の悲劇

 

我がPC自作人生に、一つの教訓が刻み込まれた。

それは、一見些細に思えるHDMIケーブルが、どれほどの絶望をもたらすかという事実である。この記録が、これから同じ道を歩む者に、一筋の光明となることを切に願う。

 

悲劇の幕開け

新しいビデオカード(GeForce RTX3060)を携え、私は歓喜に震えていた。長年連れ添った旧友(Radeon RX570)に別れを告げ、新時代の扉を開く、そう信じていた。

 

PCケースに収まったその姿は、まるで王者の如し。私は神妙な面持ちで、HDMIケーブルを手に取った。PCとモニターを繋ぐ、まさに運命の架け橋である。

しかし、差し込もうとしたその時、事態は急変した。ケーブルのコネクタが、ビデオカードの端子に到達する前に、PCケースのほんのわずかな出っ張りに阻まれたのだ。まるで「ここから先は有料エリアです」とでも言われているかのようだ。私は何度か角度を変え、押し込み、時には祈りすら捧げたが、現実は無情だった。

 

悪夢の正体

手持ちのHDMIケーブルは、どれもこれも「コネクタ部分がゴツい」という、自らの剛健さを誇示するような代物ばかりだった。まさか、この「ゴツさ」が、私のPCライフを停止させる原因となるとは。人生何が仇となるか分からない。

ビデオカードはPCケースの奥で、静かに私を見つめている。まるで「お前にはまだ早い」と言っているかのようだ。私とビデオカードの間には、たった数ミリの、しかし決して埋めることのできない溝があった。まさか、物理的な距離にこれほど苦しめられるとは。心なしか、この部屋の空気まで重くなった気がした。

 

救世主との邂逅

 

絶望の淵に立たされた私を救ったのは、意外な存在だった。

かつて旅行用に購入した、持ち運びに便利な「コネクタが小さく、ケーブルが細い」HDMIケーブルだ。その簡素な佇まいは、まるで「どうせ使わないだろう」とバカにしていた過去の自分を嘲笑うかのようだった。

その小さな救世主は、まるで何事もなかったかのように、「スッ」とビデオカードの端子に収まった。その瞬間、私の頭の中に鳴り響いたのは、まさに「勝利のファンファーレ」だった。

ゆっくりと、電源ボタンを押下する。当たり前のようにモニタにマザーボードメーカーのロゴが映し出される。この「当たり前」を待っていた。

 

結論:ケーブル選びは「物理的寸法」を軽視するなかれ

 

この経験から、私は重要な教訓を得た。

HDMIケーブルは、コネクタ部分が小さく、ケーブルが細いものを選べ」

特に、PCケースの設計によっては、コネクタのわずかな膨らみが致命傷となりうる。人生、余計な「ゴツさ」は必要ない。私のお腹周りも含め、人生に必要なものは「スリム」だったのだ。知らんけど。

現代に蘇った石兵八陣

ユニクロオンラインストアで買い物をした。
とくに感慨もない。必要な物を、必要な時に注文した。ただそれだけだ。
ただし、今回は二度目である。以前と同じ店舗、同じ「店舗受取」を選んだ。勝手はわかっている。もう迷うことはない。はずだった。

受取当日、私は店舗の入る大型商業施設へ向かい、目的のフロアへ到着した。
そしてその瞬間、すでに私は術にかかっていたのだ。

気づかなかった。
ただ自然に、目の前に広がる景色を受け入れ、床の矢印に従い、無意識に足を運んでいただけだった。エスカレーターを降り立ったその瞬間、私は知らぬ間に迷路の入り口に足を踏み入れていた。

床には「↑店舗受取」と書かれた矢印があった。
これに従えば、間違いなく目的地に着く。そう信じて疑わなかった。

手慣れたものだった。無駄な寄り道はない。まるで用意されたルートをなぞるように、私は目的地へと足を進めた。

だが、その「目的地」で、異変が起きた。

ロッカーが、ない。
というより、空間そのものが違う。以前訪れたときよりも狭く、照明の明度も低い。
そもそも、こんな雰囲気だっただろうか。何かが、違う。確信が、じわじわと崩れていく。

「……もう一箇所、あっただろうか?」

私は静かに方向転換した。商業施設の5階、建物の奥、あるいは逆側に、別の受取スペースがあるかもしれない。思い当たる節もあった。そこに賭けてみることにした。

数分後、私は「もう一箇所」にたどり着く。

――そこは、さっきと同じ場所だった。

完全に同一の空間。ロッカーはなく、狭く、やや暗い。その事実を前に、私は一瞬、時空の歪みに迷い込んだかのような錯覚を覚えた。
記憶と現実がかみ合わない。何度確かめても、状況は同じだった。

ならば、一度仕切り直すしかない。
エスカレータに戻ろう。全てをリセットし、正しく状況を把握するために。

店舗を出て振り返ったそのときである。
私は全てを理解した。

──私は、GUに入っていた

ユニクロだと思っていた場所は、隣にあるGUだったのだ。建物も内装もよく似ている。床の案内ばかりを気にしていたため、ロゴなど目に入らなかった。
そして私は気づいた。

これは「石兵八陣」だ、と。

三国志演義』に登場する諸葛孔明の仕掛け――石兵八陣。敵を陣に誘い込み、方向感覚を奪い、脱出すら困難にするその戦術。それが、現代日本の商業施設に応用されていたのである。

陸遜が石兵八陣に迷い込み、抜け出せずに困惑したという逸話がある。まさに私もその状態だった。同じ場所をぐるぐると巡り、違和感を抱きながらも確信を持てず、やがて外に出て初めて真実に至る。しかも、誤った場所に入ったことすら気づいていなかった。

人の思い込みと導線は、あまりにも脆く、そして滑稽だ。

ユニクロに向かったつもりで、気がつけばGUにいた。それがファーストリテイリングの仕掛けた「陣」なのだ。本来は逆だと思うが、私が体験した事実がそれを柔らかく否定する。

その後、私は正しいユニクロの店舗へ入り、無事に商品を受け取ることに成功した。
何もかもはじめからやり直すような気持ちだったが、袋を手にした瞬間、確かな安心があった。

陣は破った。

敗北ではない。これは知恵比べであり、私は……まあ、最初は完全に負けていたが、最後には勝った。ことにしておきたい。

それにしても、なぜ隣にGUを作るのだろう。しかも、あんなに似せて。

石兵八陣を使いこなす現代の諸葛孔明を擁するファーストリテイリングの経営から目が離せない。

HDMIセレクタは「手動切替」一択──自動切替の罠にハマった話

テレビやモニターにHDMI端子が足りない。
ブルーレイレコーダー、ゲーム機、PC、ストリーミングデバイス……と、気づけばHDMI機器はどんどん増えていきます。そこで登場するのがHDMIセレクタ。複数のHDMI機器を1つの入力端子にまとめて切り替える、便利なアイテムです。

ただし、私が声を大にして言いたいのはこれです。

HDMIセレクタは「手動切替」のものを選ぶべき。

なぜか?
それは「自動切替機能」が思わぬところで牙をむくからです。


勝手に切り替わる“あの現象”に悩まされて

私が最初に買ったのは、いわゆる「自動切替対応」のHDMIセレクタでした。
説明書には「信号を検知して自動で切り替え」と書いてある。
便利そうに見えます。操作いらずで楽そうです。

……ところが、この“自動”というやつが、意図しないタイミングで動くんです。

たとえば、ある夜のこと。
PCに接続して映画を観ていたときに、突然、画面が真っ暗に。
「え?なに?フリーズ?」と思った次の瞬間、テレビがブルーレイレコーダーの画面に切り替わっていました。

原因は、レコーダーの定期起動
深夜や未使用時にも録画予約やソフト更新のために起動するこの機器、どうやらそのときにHDMI信号を出してくるらしいんです。
セレクタはそれを「新しい信号が来た!」と判断し、勝手に切り替えてしまう。

結果、映画のワンシーンが飛ぶ。
ゲーム中なら、ボス戦の最中に画面が切れて、操作不能
これは……正直、迷惑


「それぐらいいいじゃん」では済まされない

確かに、誰かに話すとこう返ってくることがあります。

「それぐらい、また切り替えればいいじゃん。」

でも、違うんです。
PCで映画を見ていて、良いところで画面が切れたら?
プレステでシビアな操作中、突然画面が止まったら?

HDMI切替のためにわざわざリモコンを探し、手動で戻す。
それも数日に一度、予測できないタイミングで起こる。

ストレスは、確実に蓄積されます。


だから、手動切替。シンプルが最強

この経験から、私は「手動切替」のHDMIセレクタに買い替えました。
ボタンを押さない限り、絶対に切り替わらない。
レコーダーが夜中にいくら信号を出そうが、こちらの画面は一切ブレない。

これこそが安心と信頼の手動切替
HDMIセレクタに求めているのは「便利さ」ではなく「安定した視聴環境」だったのだと、改めて実感しました。


まとめ

  • HDMIセレクタには自動切替タイプと手動切替タイプがある

  • 自動切替は、レコーダーなどが勝手に信号を出すため、意図せず画面が切り替わる

  • 映画やゲーム中に切り替わると、ストレスになる

  • 手動切替タイプなら、こちらが切り替えるまで絶対に変わらない

  • 結論:「余計な親切は迷惑」──HDMIセレクタは手動一択!


HDMIセレクタ選びで迷っている方。
「便利そう」より「トラブルのなさ」を重視して、ぜひ手動切替タイプを選んでください。
あなたのエンタメ時間が、いきなりレコーダー画面にジャックされることのないように。

「次は根岸」──表示の向こう側に取り残された夜

今日実際に体験したことを、生成AIの力を借りて文章にしてみました。寝過ごして大宮まで行ったところだけフィクションです。


秋葉原のホームで、いつものように京浜東北線に乗り込んだ。
時間は22時過ぎ。騒がしい学生たちと、少し声の大きくなっちゃったサラリーマンたちで賑わう車内に乗り込み、いざ帰らん。

ドアの上にあるモニターでは、次の駅を淡々と告げる。御徒町、上野、鶯谷。早く着かないかなと思ったところで表示が加速するはずもない。

最初は、何もおかしくなかった。

少し疲れていたが、座れたこともあって、気を張らずに窓の外の夜景をぼんやりと眺めていた。

だが、ある駅を過ぎたあたりで、ふと違和感に気づく。

「次は 根岸」

……根岸?

確かにそう書かれていた。モニターには、はっきりと「次は根岸」と表示されている。

けれど、ここは京浜東北線北行き。東京から埼玉へ向かう路線上に、「根岸」なんて駅は存在しない。根岸といえば、南の方──横浜を越えた先にある駅。つまり、今走っている方向とは真逆の世界だ。

一瞬、自分が乗り間違えたのかと焦る。しかし音声案内は冷静に「次は日暮里」と告げる。駅に到着し、ドアが開き、見慣れた日暮里のホームがそこにある。

──表示だけがおかしい。音声も現実も正しいのに、モニターだけが異常を告げている。

日暮里を出ても、変わらない。「次は根岸」
西日暮里でも、「次は根岸」
田端でも……「次は根岸」

まるでこの電車が、現実とは違う次元に突入したかのようだった。

モニターの向こうにある「根岸」という文字は、どこか別の世界への入口のようにも見えてくる。
電車は確かに走っている。駅にも着いている。なのに表示だけが、何かを訴えるように、根岸を示し続けている。

不気味さは、やがて現実感を失わせていく。

もしかして、本当に自分は今、根岸に向かっているのではないか──?
ふと、そんな不安が頭をよぎる。自分の感覚より、モニターの情報の方が確かな気がしてくる。

現実と幻の境界線が揺らぎはじめるなか、気づけば意識が遠のいていた。

──「終点、大宮です。お忘れ物のないよう──」

目が覚めると、目の前の表示はようやく変わっていた。
でもそこにあったのは、見慣れた「根岸」ではない。
そして、見慣れた西川口でもなかった。

そう、大宮だった。

ずいぶんと、遠くへ来てしまった。カッコよく言っているが、要するに寝過ごしたのだ。
でも、ようやく「根岸」からは抜け出せたらしい。
この一種の安堵と、やり場のない疲労感が、変に心に残った。

何かにとり憑かれたように表示され続けた「根岸」は、どこかで記録に残っているのだろうか。
それともあれは、自分だけが見てしまった、境界の向こう側だったのか。

いずれにせよ──寝過ごした電車は、確かに現実に引き戻してくれた。
次は気をつけよう。表示に惑わされる前に、目的地で降りられるように。

たとえ「根岸」が再び現れても。

 

一つだけ気がかりが残っている。それは「音声と表示を同期させないのは仕様なのか」ということだ。今回のケースとは逆に音声案内が「常に根岸」だったらどれほどの恐怖感があっただろうか。耐えきれなくなって車掌に訴えるお客さんもいるかも知れない。

土曜の朝に届いた「予想外の簡易書留」

 

土曜日の朝――

夢の世界をぷかぷか漂っていたところに、けたたましく鳴るインターホンの音で現実に引き戻された。

寝起きの頭は混乱状態。「誰よこの時間に……」と、ふらふらとモニターに目をやると、画面には郵便局の制服を着た人影が。手には封筒。そして表示される「簡易書留」の文字。

……いやいや、簡易書留? 心当たりがまったくない。
最近申し込んだクレジットカードはたしかにあるけど、あれは「普通郵便でお届け」ってなってたはず。

混乱しつつも放っておくわけにはいかないので、重たい体を引きずって玄関へ。ドアを開けると、やっぱりちゃんとした郵便局員だった。手渡された封筒を見ると、しっかり「簡易書留」のシール。そして差出人の欄に、見覚えのあるロゴがドン。

PITAPA

……Pitapa!?
えっ、Pitapa!?!?!?(二度見)

玄関を閉めて部屋に戻った瞬間、思わず口に出た。

「逆やん……」

だって、クレジットカード本体は普通郵便でポストに投げ込まれて、連携するだけのPitapaはわざわざ簡易書留で対面手渡しって……どう考えても逆じゃない?
あっちは限度額何十万円とかある「お金」そのものみたいなカードで、こっちは電車乗るための付属品よ? セキュリティの優先順位おかしくない? 発行会社さん、寝ぼけてる?

たぶん、発行手順とか内部規定とか、いろいろあるんでしょう。でも、寝起きで寝癖全開のこちらとしては、そんな細かい事情よりも、「逆やん!」の一言がすべてを物語っていた。

というわけで、土曜の朝は思いもよらぬ簡易書留と、「交通系ICカードに敬意を払う世界」の価値観に軽く戸惑いながら始まったのでした。