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花は忘れない
今朝はじめて、ハナニラの花が咲いているのを見つけた。ハナニラは触れるとニラに似た強い匂いを放つが、それ自身も季節を嗅ぎつける鋭い嗅覚をもっているのか、冬の間ベランダで忘れられていた植木鉢に、いち早く春を運んでくるのもこの花だ。ささやかではあるけれど、忘れてはいなかったよと。ベランダの植木鉢で、ハナニラが咲き始めたのはいつ頃からだろう。最初はおそらく、小鳥か風が運んできたものではなかろうか。ある年の...
父の帽子
父の死後、3年ほどがたっていたと思う。その頃はまだ、玄関の帽子掛けに父の帽子が掛かったままになっていた。何気なくその帽子をとって被ってみた。小さくて頭が入らなかった。父の頭がこんなに小さかったのかと驚いた。離れて暮らしていた間に、父は老いて小さくなっていたのだろうか。私も背丈は高い方だが、父は私よりも更に1センチ高かった。手も足も私よりもひと回り大きくて、がっしりとした体格をしていた。父の靴と私の...
だったん、春の足音が聞こえてくる
季節は海のようだと思うことがある。秋は引き潮のように遠ざかってゆき、春は満ち潮のように寄せてくる。大きな季節の巡りのなかで、遠ざかっていたものが、ふたたび戻ってくる。春はそんな季節だろうか。遠くから潮騒のような音を引き連れてやってくる。春は、海からの音が聞こえてくるような気がする。お水取りが終わると春が来る、と近畿では言われている。奈良東大寺二月堂でのお水取り(修二会)の行事は、3月1日から14日ま...
わたしを忘れないで
新しい朝は、どこからかやってくる。明け方の、薄れかかった夢の中へ、ラジオの低い声が侵入してくる。ニュースでもない、朗読でもない。アナウンサーの声に乗ってくるのは、誰かが放送局に送った「お便り」だった。その年は、お雛様が飾れなかったという。とおい終戦の年のことらしい。だいじなお雛様が食料の米に代わってしまったのだ。ひと粒の米が、人の命をつないだ時代の話だった。その人はお雛様を手放したことが忘れられな...
人形のとき
まだ雪が舞う日もあるような春だった。九州の田舎の、すり鉢のような小さな街を、雛の節句を祝う静かな華やぎの風が漂っていた。さまざまな雛人形が、古い時代の装いや表情をして、家々の玄関や店先に飾られていた。人形のあるところには、いつもとはちがう少しだけ華やいだ風景があった。住む人も減り、人の影もめっきり少なくなったのに、着飾った人形ばかりが勢ぞろいして、かつて賑わった街の記憶を無言で語りかけてくるようだ...