- 0 COMMENT
- SHARE
- TWEET
線路は続くよ何処までも
17歳の私が回想の風景の中にいる。毎日あてもなく近くの山を歩き回っていた。風景は春がすみに覆われて、焦点の合わない夢のようにぼんやりとしていた。遠近感が曖昧な視界の果てから、山々が層をなしてなだらかに下りてくる。その中を、とぎれとぎれに白い噴煙が縫っているのがみえた。いくつもトンネルを抜けて進んでいく汽車は、まるで生き物のようだった。ローカルな鉄道では、汽車はまだ石炭で走っていたのだ。そして数日後、...
ときには時を動かしてみる
時が過ぎてゆく。時間に追われていた頃もあった。時間を追いかけていた頃もあった。いまは、つれなく時間に追い抜かれている。近づく時の足音すら聞こえないことも多い。締切がなくても、約束がなくても、それでも時は動いている。いたるところに時を表示する時計はあるけれど、ときには時をじっと待ち、じっくり見つめ直したくなったりする。古い腕時計を持っている。私は旅行をする時ぐらいしか腕時計をしなかったし、最近はスマ...
飛鳥の風になって
近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生のケンタくんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。風が気持ちええなあ、とケンタくん。うん、飛鳥は千年の風が吹いてるからね、特別なんや。古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそうだ。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうらしい。iPhoneをポケットに入れたケンタくんが低い声で歌っ...
花の下にて春死なむ
また桜の季節がやってきた。父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。伯母の娘が嫁いでいる寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。葬式にしか集まらない親類だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の...
父の遺言状
父の命日で、天王寺のお寺にお参りした。父の死後、父の遺品を整理をしていた母が、ある封書を見つけ出して小さな騒ぎがおきたことがあった。それは一見さりげなくみえる一通の遺言状だった。その遺言状は、父が書き残したものではなく、父が長年親しくしていたある女性が書いて父に渡していたものだった。その間の詳しい事情は誰にも分からないのだが、父としても誰かれに見せられるものではなかったようで、とりあえず引き出しの...