遊泳する言葉

言葉が追いつけないものがある。言葉に追いつけないものがある。だから言葉を追いかける……

そのとき人は風景になる(7) 

 彼はエムでありエム君でもあったどうでもいいことを、だらだらと書き続けている。ただ書いている、と言われそうだ。が書いてしまう。エムとはずっと関わりがあった。さほど深くはなかったが、小学生の頃から大人になってからも、どこかで懐かしさのようなもので繋がっていた。中学時代、ぼくはエムのことを「エ厶」と呼び捨てにしていた。そのことを別の友人から、どうして「エム君」と呼ばないのかといって咎められたことがある...
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そのとき人は風景になる(6) 

 フランスへ行きたいと思うけどアテネ・フランセのフランス人のきれいな先生あなたをおもうと胸が苦しいですジュ・テームあなたが好きですだけどぼくのフランス語は通じません日本語も通じませんあなたのフランス語は歌のようその香りの風にのってフランスへ行きたいと思うけどフランスはあまりにも遠いセーヌ川はミラボー橋の下を流れているそうですねぼくの苦しみも川に似ています中央線御茶ノ水駅の下を流れているのは神田川で...
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そのとき人は風景になる(5) 

 そこにはいつも風景があったぼくの東京行きは3月15日に決まっていた。ちょうど前日が18歳の誕生日だった。これまでの生活の習慣から解き放たれて、中途半端な境界域の上に立たされているような気分だった。何かを始めようにも、始めた途端に終わらなければならないような、スタートの場所がゴールの場所でもあるような、いまはまだ何も始まらず、何も完結できない、そんな状態の中で新しい生活への心構えがなかなか出来ない...
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そのとき人は風景になる(4) 

 海をわたって風のくにへ西へとみじかい眠りを繋ぎながらうず潮の海をわたる古い記憶をなぞるように島々はとつとつと煙りの山はゆったりと風の声を伝えてくる雲は思いのままに夏の空は膨らみつづけるいつかの風に誘われてぼくは眠り草に手を触れてみる憶えているのは土の匂いと水の匂いそして古い遊び風のくにでは生者よりも死者のほうが多い山の尾根でふかく花崗岩とともに眠っている竹やぶの暗い洞窟では白い百合になった切支丹...
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そのとき人は風景になる(3) 

 帰途はシェエラザードの海を漂ういつか確認する日のために、岩に3人の名前を刻印したあと、展望台の麓の草むらで弁当を食べた。母が作ってくれた弁当は、卵焼きがたっぷり入っていた。かつての貧しい弁当とは違っていた。最後の弁当だと思うと胸がいっぱいになった。食べ終わると、いつもの頭痛が始まったので、ぼくは展望台に登るのはやめて、ひとり残って草の中で寝ていることにした。ぼくの頭痛はしばしば起きた。映画を観た...
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