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木の都を、織田作之助とあるく
小春日和の一日、落葉のように、ひらひらとさ迷ってみたくなる。それも、田舎道や林の中の道はさみしい。都会のにぎやかな道がいい。さまざまな形のビルがあり、マンションがある。まっすぐな広い道路があり、たえまなく人が交錯し、あわただしく信号が変わり車が疾駆する。いまの季節は、寒そうだったり暑そうだったりして、人々のさまざまな服装がおもしろい。新しい車や古い車の、型やスタイルを目で追いかけるのも楽しい。ぼく...
散りゆく落葉は美しいか
ある人の葬儀の礼状に、一枚の小さな栞が添えられてあった。清め塩ではなくて、「清め塩枝折り(しおり)」というものだった。それには次のような文章が記されていた。「仏教の教えでは、生と死は紙の裏と表のような、はがせない一つのものです。愛するものとも必ず別れがある。この真実を自己のこととして受けとめ、生命の大切さ尊さを見つめていく事が教えです。従って死を穢れと考えないので、塩で清めることはありません」と。...
どんぐり
ここはどこいつのまにこんなところまではるばると嵐のどんぐりを拾ったのはいつだったかその丸い実に小さな穴をあけてぴゅうぴゅうと鳴らした山はとおい海もとおい呼びかけるひとも遠かったいつのまにかこんなになってしまった暮れていく秋には追いつけないどんぐりの耳に聞こえてくるのは枯れた響きときに笛は歓喜しときに笛は悲嘆する...
冬が来るまえに
朝顔の花が日毎に小さくなって、ついには小さい秋になってしまった。ことし最後の、小さな朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。こんなに遅くまで咲かせてしまったことは、花にとっては辛いことだったかもしれない。だが毎朝、花の数をかぞえることは、ささやかな楽しみではあった。だんだん少なくなっていく花の数だからこそ、その数を確かめることはささやかな朝の期待でもあり、花の最後を惜しむ小さな心の淋しさでもあっ...
どこかに
地球の朝がいっぱいの落葉にまみれているどんな嵐が吹き抜けていったのかあのひともどこからか来てどこかへと去ったが夢のかけらのような残されたものをいまも探しつづけている千々にくだけた朝は美しい光のさきのきっとどこかにいい国はあるのだろう落葉をあつめ質素な暮らしをたのしむかたいパンとやわらかい水とあまい果実と乳とたどたどしい言葉を小鳥のように口移しするもうひとつの朝がどこかに...