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恋する水鳥たち
近くの池で、水鳥がひときわ変わった泳ぎをしていることがある。2羽で追いかけっこをしている。それも、どちらが追いかけて、どちらが追いかけられているのか判らない。ぐるぐるとコマが回っているような円を描いている。その動きは激しくて、池のその部分だけが沸騰しているようにみえる。水鳥が恋をしているのだと思った。雄と雌の2羽は相思相愛の仲。その円い動きが証明している。片思いであれば、どちらかが追いかけ、どちら...
いま森の神はどこに
ぼくの森は、いまは冬の森だ。落葉樹はすっかり裸になって、細い枝々が葉脈のように冬空にとり残されている。深い海のような空があらわになって、そのぶん森は明るくなったけれど、森にひそむ神秘な影が薄くなった。この森はとても小さな森なのだが、冬はいちだんと侘しくなったみたいだ。シカもリスもいない。ヘビくらいはいるかもしれないが、いまは地中に隠れて冬眠中なので、この森の中で動くものは小鳥しかいない。森といって...
鳥啼き魚の目は泪
毎日ぼくは、琵琶湖の水を飲んでいる。といっても、湖水を掬って飲んでいるわけではない。琵琶湖の水は、瀬田川から宇治川へ、そして淀川となって大阪湾に流れ込んでいる。その途中で取水され浄化されたものが、水道管を通ってわが家まで来る。それをぼくは蛇口から頂戴する。ただの水道水を飲んでいるのだ。けれども時には、「ああ、琵琶湖の水を飲んでるんだなあ」と思うことがある。遠くにある、とてつもなくでっかい水がめを想...
時間の糸
すっかり裸木になったケヤキの枝先に、白い凧が引っ掛かっていた。凧糸が枝に絡んでいるから、風に煽られると凧はもがいているように見えた。その木の根元では、数人の子どもたちが輪になって凧を見上げている。細い木切れを伸ばしている子もいるが、大人でも無理な高さだから凧までははるかに届かない。凧の枝まで木登りができる子もいないようだった。凧は糸がついているから高く上がるのだが、その糸が厄介なこともある。ウォー...
なぜ霜柱はできるのか
冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏み砕きながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、...
神様をさがしている
新年あけましておめでとうございます。カレンダーが新しくなる。新しい年が始まる。新しい朝、新しい空気、新しい太陽。すべてのものに“新しい”をつけて気分を新たにしてみる。元日の朝は、厳かな気分で柏手を打つ。神棚はないが長いあいだの習慣で、三方にお鏡を飾りお神酒を供える。神様の依り代として形だけは整えてみる。静かに神様に向き合ってみる。そういえば、久しく神様のお顔も見ていないような気がする。奈良の法隆寺の...