遊泳する言葉

言葉が追いつけないものがある。言葉に追いつけないものがある。だから言葉を追いかける……

華やぐ終焉 

木々の葉っぱがさかんに散っている。いろいろな形をして、赤や黄色に鮮やかに染まった落葉が地面を彩っていく。落葉は木の葉の終焉である。木は冬の厳しい寒さに備え、自らの力で葉を落とすという。木は葉の付け根に壁をつくり、栄養を遮断する。すると葉の内部に貯まったデンプンが化学反応を起こして、緑の葉が赤や黄色に変化するものらしい。自然は終わりが絢爛としている。みじめでない。紅葉して燃え立つ。老残ではない。美し...
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悪魔の文字と闘いながら 

ブログに文章や写真をアップするのは、さほど複雑な作業ではない。感じたことや考えたことなど、キーボードを打ちながら言葉にしていけば、それなりの記事となってきれいなフォントで表示される。手軽だし、文章で何かを表現したいという、一応の欲求は満たされる。けれども、そのままで永久に残るというものではない。うっかりデリートキーを押しても消えてしまうし、電気的なトラブルでもあっけなく消滅する。また、ブログとして...
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石たちの舞台 

奈良の飛鳥を歩くと、いろいろな石たちが謎かけをしてくる。石舞台、酒船石、亀石、猿石、鬼の俎板、鬼の雪隠など、その命名にも謎が含まれているが、今もなおスフィンクスのように、千年をこえて深い謎を投げかけてくる。石舞台古墳を初めて案内してくれたのは、友人のH君だった。その頃は田んぼの中に、とてつもなく大きな石がただ積まれてあるだけだった。なんであんなものが、あんなところにあるのだという驚きは、容易に解か...
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杉の葉ひろいをした頃 

晩秋の風は、さまざまな記憶の匂いがする。それは乾いた枯葉の匂いかもしれないけれど、郷里の黴くさい古家へと帰ってゆく風のようだ。赤く色づいた庭の柿や山の木の実や、夕焼けに染まった空の雲や、記憶の向こうに運び去られたさまざまなものを、季節の風がまた運んでくる。田舎で育ったから、田舎の記憶がいっぱいある。風が強く吹いた翌朝、杉林のそばの道を歩いていくと、杉の葉が幾重にも重なって落ちている。いまでも、杉の...
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吾亦紅(ワレモコウ) 

学生の頃、東京ではじめて下宿した家の、ぼくの部屋には鍵がなかった。だから、ときどき2歳になるゲンちゃんという男の子が、いきなりドアを開けて飛び込んできたりする。そのたびに、気配を察した奥さんが慌ててゲンちゃんを連れ戻しにくるのだが、そのときに、いつも何気ないひと言を残していくのだった。「玄関のお花、ワレモコウっていうのよ」ぼくの部屋は玄関わきにあったので、ドアを開けると下駄箱の上の花が正面に見えた...
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葉っぱの国はうつくしい 

この日頃の、ぼくの行動はすこしばかり、あぶないおじさんに見られているかもしれない。ひたすら地面を見つめながら歩き、ときどき何かを拾っている。とてもいいものでも拾ったような様子から、おカネか宝石でも拾ったにちがいない、と思われているだろう。そんなとき、近くを通りかかった人は、なにか、ええもんでも落ちてまっか? と言いながら、ぼくの手の中を覗こうとする。はいどうぞと開いた手の中には、数枚の落葉があるだ...
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