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陽は沈み、陽はまた昇る
いつだったかの年末に、明石の魚の棚商店街という所に立ち寄ったことがある。地元では「うおんたな」と呼ばれていて、アーケードがたくさんの大漁旗で賑わっていた。近くの漁港から水揚げされたタコやシャコ、タチウオをはじめ、魚介類が生きたまま売られていた。本州と淡路島がいちばん接近している明石海峡は、潮の流れが速く魚の身がよくしまっていて美味しいという。とくに明石のタコは、関西ではブランドものになっている。せ...
木にやどる神
クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは、強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、親しみのある木の温もりの中に、優しく癒されるものが宿ってい...
神の造られた宇宙(石の教会)
神はどこにいるのか。神から離れ、神に見捨てられたときから、私たちは神を探し始めるのかもしれない。何かを捨てたとき、その存在に気付くように。かつて、神は風の中にいたようだ。風は鳥が運んできたという。鳥は神の使いだと信じられていた。風は目に見えるものではなかった。ひとは神をただ感じた。神は山にも川にも、木にも草にも、存在した。森羅万象、あらゆるものの中で、古代のひとは神の恩恵を享受することができたよう...
白い道
スマホなどない頃だった。パン屋でパンを買う。そのとき口にだす短い言葉が、その日に喋った唯一の言葉だという日もあった。地方から東京に出てひとりで暮らすには、ときには孤独な生活に耐えなければならなかった。ひとと繋がることが、現代よりもずっと厳しい環境だったといえる。学生の頃、友人のひとりが心を病んだことがある。下宿を訪ねたがドアを開けてくれない。激しくノックして呼びかけても、室内で妙なことばかり口走っ...
栗のイガは痛いのだ
その頃は道路(国道)が子供の遊び場でもあった。子供がいっぱい居た。わが家は5人、裏に住んでいた母の姉の一家も5人、隣りの母の弟の一家が3人、向かいの家では子供の名前もごっちゃになるほど沢山いた。どの家にも飼い犬がいて、当時は放し飼いだったから、タローもジローもチョンもチビも、子供も犬も区別なく混じって遊んでいた。瓦けりや縄跳び、地雷や水雷、ビー玉やケンケンパー、竹のバットとずいきのボールで野球など...
杉の葉ひろいをした頃
晩秋の風は、さまざまな記憶の匂いがする。それは乾いた枯葉の匂いかもしれないけれど、郷里の黴くさい古家から吹き帰ってくる風のようでもある。赤く色づいた庭の柿や山の木の実や、夕焼けに染まった空の雲や、記憶の向こうに置き去りにされた諸々を、季節の風が遠くから運んできてくれる。田舎で育ったから、田舎の記憶がいっぱいある。風が強く吹いた翌朝、杉林の道を歩いていくと、杉の葉が幾重にも重なって落ちている。いまで...
虫たちとの小さなサヨナラ
コオロギを飼ったりする、私はすこし変わった子供だったかもしれない。畑の隅に積まれた枯草の山を崩すと、コオロギはなん匹でも跳び出してくる。それを手で捕まえた。尾が2本なのはオス、1本なのはメスだとした。いい声で鳴くのはオスの方だが、かまわずにごっちゃに飼った。大きめの虫かごを自分で作り、枯草を敷き、キュウリなどの餌を与えた。家の壁や雨戸などを突き抜けて聞こえてくる、コオロギの透きとおった鳴き声が好き...