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悪魔の文字と闘いながら
ブログに文章や写真をアップするのは、さほど複雑な作業ではない。感じたことや考えたことなど、キーボードを打ちながら言葉にしていけば、それなりの記事となってきれいなフォントで表示される。手軽だし、文章で何かを表現したいという、一応の欲求は満たされる。けれども、そのまま放置して残るというものではない。うっかりデリートキーを押しても消えてしまうし、電気的なトラブルでもあっけなく消滅する。また、ブログとして...
朝顔の花が終わるとき
これが最後、これが最後と、いつまでも最後が続いていた朝顔の花だが、いよいよ最後の一輪になってしまった。私の勝手で、咲き続けるかぎり水をやり、新しい花が咲くのを待っていたが、朝顔にとっては辛いことだったかもしれない。真夏に咲いていた大きな花が朝顔姫だったとしたら、きょう咲いた花は、すでに幼児がえりした老婆だといえそうだ。小さくなってすこし萎んでいる。花にも感情があれば、老いた姿はあまり晒したくなかっ...
石の上にも三年
3年という、ひとつの区切りのようなものがあるようだ。ひとつの修業年限であり、ものごとの小さな完結年限でもあるのかもしれない。生まれ出てからの幼年期も、3年と3年の6年とみることができる。最初の3年で、ひと通りの行動や言葉を覚える。次の3年で、子どもによっては特殊な技能や技芸の修練が始まったりする。ひととして大きく成長する。7歳で小学校に入学し学業が始まる。小学校は3年と3年で6年。中学校と高校がそ...
つくづく一生
あちこちで、ツクツクボーシが盛んに鳴いている。ツクヅクイッショウ(つくづく一生)、ツクヅクオシイ(つくづく惜しい)と鳴いていると聞いたことがある。そう思えばそう聞こえる。夏の終わりに鳴くセミにふさわしい鳴き方だ。季節に急かされているような、せわしない鳴き方でもある。「この旅、果てもない旅のつくつくぼうし」これは種田山頭火の句であるが、山頭火の放浪の旅にも終わりはあった。昭和14年(1939)10月、四国遍...
光る言葉を追いながら
東京の夜空に文字が光り、点滅しながら流れていた。その光景をはじめて見たのはいつだっただろうか。まだ都会の生活に慣れていなかった私には、言葉が空から降ってくるような感動があった。その電光掲示板は何かのニュースを伝えていたのだろうが、私はただ、光となって静かに流れている不思議な文字に見とれていた。そして、電光掲示板の文字のように、あれから長い歳月が流れていった。私はいま、液晶画面の光る文字を追いつづけ...
夏は生きもの感覚で生きる
暑い、とにかく暑い。なにか書いたり考えたりしようとしても、暑い…という言葉しか浮かんでこない。こんなときの思考は、もうその先へは進みそうにない。私の部屋には、涼しいものは扇風機と団扇と水しかない。それと、ぴょんぴょん跳ねる小さな蜘蛛が1匹いる。日中は風がよく通る。天然クーラーがフル稼働してくれる。それで酷暑でもなんとか生きられる。設定温度は風まかせの30℃から33℃くらい、それ以下に下がることは滅多にな...