インクルーシブ教育という言葉が世に出て30年近く経ちます。
ところが、日本では「養護学校」から「特別支援学校」に名称変更は進んだものの、2022年に「分離」と国連から批判されたように、十分にインクルーシブ(包括的・包み込む)な教育が進んでいないと筆者は考えています。
今回は上の教育新聞の記事を引用しながら、筆者の考えをまとめていきます。
1 国連の障害者権利委員会勧告の要点
ここでは、勧告の教育に関わる部分のうち、下の(a)と(b)について、詳しく見ていきます。

(a)について
障害について、「医療モデル」から「社会モデル」へという考え方がまだまだ定着していないことが指摘されています。
障害を医療という外側からの「診断」で評価する「医療モデル」
(例:自立歩行できない→身体障害)
社会にこそ「障害」があり、社会や仕組みを見直せば障害を無くせるのではないか、という障害を持つ本人からの目線を大切にする「社会モデル」
(例:店の前の段差をスロープにすれば、車いすの人も自力で買い物ができる)
医療モデルから社会モデルへ。この考え方を教育・福祉の関係者だけでなく、すべての人に浸透させていくことが今後の課題です。
また、「障害のある子ども(中略)アクセスできなくしている。また、通常学校に特別支援学級があること」については、ストレートに読めば支援学級そのものを否定しているように見えますが、決してそうではありません。
「就学相談のときに保護者は特別支援学校、特別支援学級、普通学級を選ぶことができるとされているが、そのときに『普通学級に行ったら合理的な配慮を受けられないが、特別支援学級ならば合理的配慮を受けられる。普通学級を希望するなら、お母さんが付き添ってほしい』と、いろいろな条件が付くと聞く。(小国教授、教育新聞の記事より抜粋)
特別支援教育を受ける「権利」は誰にでも保障されるべきだが、障害者に特別支援教育を「強制」してはいけない(半ば強制している例がある)との指摘です。
(b)について
政府からの通知で、支援学級に在籍する児童生徒は時間の半分以上を通常学級で過ごしてはいけないことになっています。その弊害は筆者の下の記事でも述べていますのでここでは割愛します。
ずるいことを考えてみました。ある児童生徒について、本人と保護者には内緒で(あるいは説得した上で)帳簿上の在籍を特別支援学級にします。実際は通常学級ですべての授業を受けていても、支援学級の数が増えれば、学校は教員を一人多く確保できます。一人増えた教員は荒れた学級のお手伝いに行ったり、単独で別の学級の授業を担当すれば、他の教員の空き時間を確保できます。
おそらく文科省はこんな事態を想定していたのではないかと思います。しかし、この通知の問題点は、支援学級の先生による「合理的配慮」、簡単に言えばサポートを受けながら通常学級の授業にチャレンジしたい、という障害児の権利を奪っていることです。学習の場所が縛られるのは、大変な差別であり、「分離」と受け取られても仕方がありません。
2 日本の特別支援教育はそんなに「悪」なのか
上で述べた通り、日本の特別支援教育は厳しく批判されており、その内容は的を射ています。この勧告が出た当時は「日本の特別支援教育が全否定された」と思ったほどです。
しかし、日本の特別支援教育は「悪」なのかというと、そんなことはありません。日本の特別支援教育は本当に素晴らしい。筆者が特別支援学校で数年勤務した経験だけで、日本の特別支援教育を語るのはおこがましいことは重々承知していますが、断言できます。
日本人の真面目さ、「道を究める」、「プロフェッショナル」の精神から来るものなのでしょう。特別支援学校には障害児に対する教育のノウハウが蓄積されています。日々研鑽されている先生たちの努力のたまものです。
ただし、この「道を究める」という日本人の考え方は、「餅は餅屋」という、ある意味、「人任せ」な面も持ち合わせています。
3 インクルーシブ教育と専門教育は対立する概念なのか
今や、「特別支援教育」はすべての児童生徒に実施されるべきものとなっており、通常学校の教員にとっても必要な技術・知識です。
しかし、通常学校の教員はいまだに「特別支援教育は専門外」と言わんばかりに、障害のある子は支援学級(支援学校)へ、と人任せな考えになっているように思います。
障害がある児童生徒やその保護者が真の意味で学習の場を「選択できる」ようにすることが求められています。そのためには、筆者を含めた、通常学校に勤めるすべての教員の資質向上が欠かせません。
権利としてのインクルーシブも大事だが、障害のある子どもたちの専門教育を考えるのが私たち特別支援学校の教員。できれば特別支援学校で学ぶ子どもたちの実際の姿を見た上で、これからの議論をしてほしい(田村康二朗統括校長、教育新聞の記事より抜粋)
また、例え支援学級や支援学校を学習の場として選んだとしても、それは「専門教育を受ける」という選択であり、「インクルーシブ教育を選択しない」ということではありません。支援学級や支援学校が地域の通常学校から孤立せず、すべての人が行事や交流を通して多様性を学ぶ教育を目指すことが大切です。
特別支援学校に在籍しつつ、地域の学校にも籍を置き、定期的に交流できるようにした『副籍』も広がりつつある。(田村康二朗統括校長、教育新聞の記事より抜粋)
そのためには、「副籍」や「二重学籍」が幅広く行えるようにすることや、地域の学校と特別支援学校の併設、さらなる交流の促進、その実践研究が必要です。
4 地域で生きるということ
特別支援学校に通う児童生徒は、長ければ1時間近くスクールバスに乗って、通学しています。しかも、スクールバス乗り場へは車で移動しなくてはいけないほど家から離れていることが多いそうです。
この状況では、近くに住んでいる人でも、その児童生徒の障害の程度や性格、好きなもの、好きなことを知ることは非常に困難になります。名前も知らない、なんてことにもなりかねません。
特別支援学校に通っている児童生徒も、いずれは「社会人」になります。コンビニやスーパーで買い物をする人や、家の近くを散歩したり、公園で遊んだりする人もいるでしょう。 障害者であっても、社会の構成員(同じ社会で生きていく人たち)であることに変わりはありません。
障害のある人が、当たり前のように近所の人と挨拶を交わしたり、もし困っていたら自然に声を掛けてもらえたりするような、温かい地域になれば、それがまさに「インクルーシブ」であるということです。
地域の中で誰もが平等なかけがえのない存在として一緒になって社会をつくっていく。その原体験をする学校がどうあるべきなのか。地域の学校で一緒に学ぶ体験ができるというのが当たり前になるべきだ。(小国教授、教育新聞の記事より抜粋)
