日々のあれこれ

日々の暮らしの中で気になったことを書いておきます。

渡辺仁について

 旧日向家熱海別邸の本館の設計を担当したものの、熱海市のタウト推しのためか、いまいち微妙な扱いになっている渡辺仁。

 と書いたものの、実は自分も聞いたことのない名前だった。

 東博本館や銀座和光を設計しているということで、もっと知られていてもいいような建築家だと思うのだが、自分も、旅行を計画し見学の予約を取ってくれた同行者も、さらにもう1人の同行者も、知らない人物だった。

 

 そんなわけで、旅行から帰ってから調べてみた。

 が、図書館に行って検索をかけたものの、なんと2件しかヒットしなかった。ただ、その2冊の本を読んで、少しばかり事情があることが分かった。

 

 渡辺仁(わたなべ じん)。1887年(明治20年)生まれ。参考にした本では東京生まれ、となっているが、ネット上では新潟県佐渡生まれ、という情報が出ており、どちらが正しいのか不明。1973年(昭和48年)、86歳没。

 1912年(明治45年)に東京帝国大学工科大学を卒業し、鉄道院、逓信省を経て、33歳で独立している。

 

 渡辺を称して「書かず語らずの建築家」とされていたらしく、趣味の謡曲の話くらいしかしなかったという話もあるそうだ。そのこともあって、様々な建築様式を自在にこなし、いくつもの名建築を設計しながらも、特に戦後に不当な評価をされてしまったことで、知名度も低くなってしまったようなのだ。

 

 そして、何かと「悪者扱い」されるきっかけとなってしまったのが、なんと東博東京国立博物館本館(当時は東京帝室博物館)のコンペで渡辺仁が1等を取り、その案が採用されたのだが、このコンペには、モダニズム建築の旗手・前川國男も参加していた。つまり、前川國男は落選したわけなのだが、このことが後になって、前川を持ち上げるために、渡辺を批判し貶める風潮へと繋がってしまったのだ。

 東京帝室博物館のコンペでは、設計要項に「日本趣味を基調とする東洋式とすること」となっていたのに、前川はこれを無視し、モダニズム建築で勝負しているので、落選は必然、八つ当たりもいいところだ。が、ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドの元で学び、弟子には丹下健三、という建築界の寵児を持ち上げる層は、あまり有名な弟子もおらず、「語らず」で通した渡辺を、軍部に迎合したと非難した。

 

 さらに、GHQ本部が置かれたことでも知られる第一生命館。これが、ヒトラーの総統官邸にあやかったとレッテルが貼られたらしい。第一生命館よりも、ヒトラーの総統官邸の方が後にできた建築物であるにもかかわらず。

 

 最近は、渡辺を正当に評価しようとする向きも出てきているようなので、少し安心するところではあるが、評価が低くなってしまった時期に亡くなって、事務所も閉じられてしまい、その際に多くの図面もゴミとして捨てられてしまったという話があり、「書かず語らず」で資料も少ないため、残念ながら、知名度が大きく上がることは難しい気もするのだ。

 

【参考資料】

髙宮眞介、大川三雄、飯田善彦「Archiship Library 02 髙宮眞介 建築史意匠講義Ⅱ 日本の建築家20人とその作品を巡る」Archiship Library&Cafe, 2017.

磯達雄、宮沢洋「プレモダン建築巡礼」日経BP社, 2018.