※当然のことながらネタバレを含むので、未読の場合は閲覧に注意されたい。
Kindleストアをずらーっと眺めていたときに見つけた作品。
ざっくりとしたあらすじとしては…
顔の半面に火傷の跡を持つ女性「雪」が主人公。
雪は自らの顔に残る火傷跡を化粧で隠し、時間ごとに料金を受け取って「カノジョ」を演じる、いわゆる「レンタル彼女」のアルバイトをしている。
レンタル彼女を利用する顧客にはそれぞれクセがある男性が多いが、ある日予約を入れてきた「辻壮太」は、友達に彼女がいると見栄を張ったために、友達とダブルデートをすることになってしまい、雪を「カノジョ」としてレンタルすることにしたのだった。
ダブルデートの最中に4人で見た映画への感想から、雪は幼少期から並々ならぬ経験をしてきたことが伺える。
そんな雪だったが、予約していたCDを受け取りに行ったCDショップで、偶然にも壮太と再会する。しかし、再会したときの雪はカノジョのときとは異なり、火傷痕が見えるすっぴんに近い状態だった。
壮太はそんな雪のことが気になりはじめ、それからも度々レンタルを申し込むようになるが…?というストーリー。
カノジョとはいったい何なのか?
一般的には、「カノジョ」といえば、それは恋愛関係にある女性のことを指す。恋愛関係に対価は発生しないのが普通で、お互いに恋愛感情があればカノジョたりうる。だからレンタル彼女は彼女ではなく、あくまで「彼女っぽい振る舞いをしてくれるサービス」であるわけだ。
作中にも登場するが、現代ではどちらかというとレンタル彼女よりも「パパ活」のほうが話題に上りやすいしイメージしやすいかもしれない。パパ活も肉体関係を含む場合があるが、それはどちらかというと愛人契約に近く、食事や買い物などのライトな付き合いだけのパパ活も珍しくないようだ。
しかしまぁ、パパ活を恋愛だと言い張れば、いや、少なくとも男性側がそれを言い張れば、おそらく嘲笑の的だ。
そしてパパ活をしている女性側がそれを言えば、おそらく「ポジショントークだ」「営業トークだ」と解釈されるだろう。
なのだが、じゃあ恋愛での彼女とはいったい何なのか。恋愛に対価は発生しないが、かといって無償で関係が維持できるわけでもない。お互いがお互いのために金銭を負担することもある。パパ活には「ルール」があり、たとえば肉体関係は禁止とか、関係を内緒にするなどのルールがあるが、恋愛関係での交際にだってルールは自然とできる。
まぁたとえば男女を入れ替えてみると、ホストの色恋営業にハマる女性は恋愛をしているわけではない、と一般的には解釈されるだろうが、ではそのホストが本命彼女と色恋営業の客にどのような差を付けているのか、みたいな話だ。
そう考えると、レンタル彼女という「契約」は、「どこまでの行為を許可するか・報酬はいくらか」という点を「ルール化されている」タイプの恋愛で、いわゆる自由恋愛は「ルールを自分たちで決められる」タイプの恋愛とも考えられる。
恋愛感情など正直不安定で不確かなものだし、すでに恋愛感情がなくても交際を続けているカップルなど大勢いる。だからどんな恋愛にも、恋愛感情は必須ではない。
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ニンゲンは何のために恋愛をするのか?
恋愛は何のためにするのか、というと、本能だから、繁殖行動が必要だからだという人がいる。間違ってはいないけど、正確でもないなというのがやまねこの感想だ。
この場合の本能というのはおそらく性欲のことだろうが、性欲≒繁殖行動なら、別に特定のパートナーでなくても理屈のうえではいいはずだ。だけど恋愛では、「その相手」でなければ成立しない恋愛がほとんどだろう。男なら誰でもいい、女なら誰でもいいというのは、まぁなくもないけど。
とことん人情を削り落として恋愛の目的の本当に最後に残る部分というのは、結局「自分の利益」なのだろうと思う。
利益の種類はいろいろだ。もちろん金銭的な利益を受けられる場合もあろう。お金持ちの相手と付き合いたいという人はこれに当たる。
趣味の合う相手と付き合いたいという人は、一緒に趣味を楽しむという利益のため。
お互いのことを理解できる相手と付き合いたいという人は、自分を理解してもらうという利益のためだ。
本作「明日、私は誰かのカノジョ」においても、男性が「カノジョ」に求めることが結局自分の利益であることが明らかだ。
冒頭に登場した小太りの男性「正之」は、自分を「キモい客」と自嘲しており、半年付き合った女性に振られた寂しさから雪をレンタルした。
「彼女をレンタルしたとか話のネタにもなる」「スキンシップとかリップサービスを他の人にもしてるの?すごいわそのプロ根性」と、自らの弱みを必死に隠して雪に噛みつく姿が痛々しい。
1巻中盤に登場した、自分の父親以上の年齢であろう「おじさん」は、高級ラウンジに雪を連れてくることで自らを「デキる男」「ステータスの高い男」と位置づけたい願望があるのだろうと雪に喝破されている。
壮太の「真心もどき」は、雪に通じなかった

壮太の外見はいかにも人畜無害な好青年だ。おそらく意図してそういう外見に設定されたのだろう。
まだ1巻の時点では完全には明らかにされていないものの、断片的な情報では母親との関係が悪かった雪の眼前で、「母親を大切にしないやつなんてありえない」と壮太は語った。二人の間には、そう簡単には埋まらない育ち・価値観の溝がある。
1巻後半では、壮太は雪を旅行に誘う。これは店を通さない旅行の申し出だった。
雪はこの申し出を了承し、旅を楽しむ壮太と雪。夜になり、壮太は雪を好きになったと告白した。
しかし雪は、今まで壮太に見せてきた姿やエピソードがすべて「作られたもの」であったことを明かす。
そしてそもそも、雪がこの旅行の申し出を受けたのも、店こそ通さないものの壮太が「お金を払う」と言ったためだった。
壮太はそれでも雪に食い下がり、昨日言ったこと(告白)をOKしてくれるなら、1時間後に部屋に残っていてほしい、と言い残して部屋を後にする。
しかし雪は、壮太が戻る前にすでに新幹線の中におり、次の顧客についてのメールを読んでいたのだった。
恋愛をドラマチックなものに見せ続けてきたエンタメ業界は猛省の必要がある
これは本作を読んで思ったことだが、「恋愛とは相手のことが好きでたまらなくなってしまい、恋愛をしていると幸せであり、どんなに恥ずかしいセリフも恋愛であれば肯定され、ひとつひとつの出来事がドラマチックになる」、この妄想…いや、言い換えれば「恋愛信仰」に、実に多くの人がハマってしまっている。
実のところ、恋愛になどまったくドキドキ・ワクワクしなくたって良いのだ。相手が愛おしくてしょうがないという思いよりも、今日の夕食ややりかけの家事のほうが気になったって良いのだ。なんだかんだタイミングが合わず、まったくドラマチックな展開にならなくたって良いのだ。
イマイチな日常に、もう一人イマイチな登場人物が現れた、それぐらいの熱量でよいはずなのに、テレビも漫画も映画も、あらゆるエンタメが「恋愛とはこういうものだ!」という、ありもしないドラマチックを刷り込み続けてきた。
結果、正之や壮太やおじさんのように、「カノジョ」にありもしない幻想を抱き、今日もまた雪をレンタルする客が現れる。
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まとめ
とはいえ、壮太はそこそこしつこいタイプの男に見える。
この壮太が、雪をこのまま諦めるとも考えにくいが…雪の内心には、2巻以降どのような変化が訪れるのか。
すでにNGにされた壮太の次なる一手が気になる1巻だった。
