やまねこのたからばこ

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【漫画】「君に愛されて痛かった(1)」なぜ「愛されたかった」ではないのか。

 

※当然のことながらネタバレを含むので、未読の場合には閲覧に注意されたい。

 

なぜこの漫画を読んだのだったかはもう記憶が定かではないのだが、確かこの漫画を紹介しているWeb記事がきっかけだったように思う。

 

それから「知るかバカうどん」というなかなか強烈な作者のペンネーム、表紙の少女の悲壮な顔と、その奥に狂気のようなものを感じて購入した…ような気がする。

 

ざっくりとしたあらすじとして…

 

まず漫画冒頭、血まみれの少女、複数の警官、恋人と思われる男性、そして「わたし ただ 君のこと 好き 好きだった 好きだっただけ ただそれだけだったのに」という言葉。これからこの少女にいかなる不幸が訪れるのか、不安になる。

 

舞台はおそらく過去に戻り、高校のクラス内で食事をする「かなえ」という少女。5人のグループで食事をするかなえは、少しぼんやりした性格に見えるが、友人から指摘された「口にパンが付いている」ということが気になり、その後「かなえ聞いてる?」という些細な一言に動揺し、「ごめんなさい」と本気の謝罪をしてしまう。

 

このたった3ページで、かなえの性格と、「女子高生グループ」のそれぞれの不安定さが白日のもとに晒される。

 

クラスでは比較的「上位」に位置するグループに属するかなえは、目立たない女子たちをからかったりしながら、しかしいつ自分が「排除される側」に回るかに怯えながら日々を過ごしている。

 

そんな学校生活ながら、かなえには好きな男子がいる。それは男子を交えたカラオケの場で感じた自分の「場違い感」「疎外感」にざっくりと寄り添ってくれた野球部のエース「寛」だった。

 

しかし、かなえはいわゆる「青春」的な恋愛に没頭しにくい性格と境遇をかかえていた。自分の「居場所」として、自分を必要としてくれる存在を求めて援助交際を日常的にしている。

 

少しあとになるが、家庭の様子も描かれる。家庭においてもかなえの居場所はない。母親との不仲、弟との不仲。

 

これらの要素がもし学校の女子グループに明らかになれば、かなえはあっさりと学校での居場所を失ってしまうだろう。

 

そこでかなえにはさらなる過酷な運命が待ち受ける。同じ女子グループに属し、いわばリーダー格である「一花」が、かなえと同じく「寛」を好きになる。一花は当初かなえと寛が恋仲になることを警戒したが、グループ内でのパワーバランスは一花に味方した。

 

友人らと結託してかなえを排除に回る一花。あっさりと崩れた日常に、かなえの精神は一気に均衡を崩すが…?というストーリー。

 

 

「善悪」では語れない人間関係

 

月並みな表現とはなってしまうが、この漫画は「善悪」では語れない。そもそも、「この人物は善人か」という問いを立てること自体、人間には酷なことかもしれない。誰もがうっすら善と悪の両面を持っており、それらは状況に応じて簡単に変化する。

 

かなえを主人公として見れば、かなえはいわば「可哀想な子」であり、その可哀想な子がようやく見つけた「好きな人」を奪おうとする、邪魔になれば排除しようとする一花は、一見すると「悪人」に見えてしまうかもしれない。

 

しかし、かなえを善人と見ない見方もある。かなえはかつて自分がされてきて「嫌だ」と感じた排除を、今の学校では別の女子に行っている。それは明確な悪意ではなくとも、いじめへの加担と解釈できる。

 

そして、一花もまた悪人とまで言えるか微妙なところだ。確かに一花に対する嫌がらせは度を越しているが、彼女はありふれた「恋する10代の少女」であり、この時期特有の恋愛至上主義的な価値観に染まっているだけとも解釈できる。

 

単純にこの両者を見るだけでも、善と悪は併存していて、しかも場面・状況によって変動している。しかしまぁ、1巻中盤までの読者の感情としてはかなえに加担したくなるのが人情といったところか。

 

ところが、かなえには明確な悪意とそれを実行ができる力があった。友人の不良少年「鳴海」に依頼し、不良グループによって一花は車で誘拐され、集団暴行を受けてしまう。

 

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明らかに度を越しているが、「わからなくもない」という不気味さ

 

この漫画に触れる人々の年齢層にもよるだろうが、まぁ内容的に成人している読者が大半だろう。その時分では登場人物の行動を「これは許せる」「これは許せない」とジャッジしたくなるかもしれない。

 

しかし、やまねこはもう少し年齢が上で、色々と人間の様子を見てきてしまった。見なくて良い部分まで。その立場で言うと、「常軌を逸しているが、わからなくもない」という評価になる。

 

かなえの行動原理は「安心できる場所を探す」ことだ。それは言葉そのままの意味の「場所」ではなく、場合によってはグループ、友人、恋人、所有物などなんでも良いが、要するに「拒絶されない関係」を望んでいる。しかし、仮に実際に拒絶されない関係が与えられたとしても、かなえは恐らく心からの平穏を得ることはできないだろう。本編序盤の様子を見ていればそれは明らかだ。

 

「見捨てられ不安」がある人物は、常に不安を抱えており、外部から見れば安定している環境においてさえ、いつ排除されるかとビクビクしている。そして現実のこういうタイプの人間は「試し行動」をすることが多い。つまり、意図的に相手の期待を裏切ったり嫌われるような言動を取ったりして、自分がどこまで受け入れられているかを測る「瀬踏み」をするわけだ。

 

かなえが援助交際を繰り返しながらも、援助交際によって得た人間関係には満足しておらず、いっときの「自分が求められている感」を味わい、それでも傷つく様子は胸が痛む。だが、この部分は特に平成期の女子高生に多く見られ社会問題ともなった。

 

この問題は、「援助交際を禁止すれば解決する」「補導すれば解決する」というものではない。おそらく援助交際(まぁ要するに売春だ)を厳罰化したり、取締を強化したところで、彼女たちの精神の問題にアプローチしなければ根本解決にはならない。

 

つまり、彼女らは「自分の存在を許してくれる、求めてくれる人・居場所」を求めている、裏を返せばそういうものを感じられない生活にストレスを感じているのであって、援助交際はそのストレスに対処するための防衛手段だ。(もっとも、適切な防衛手段ではない。このような行動を「非効果的コーピング」と呼ぶらしい)

 

このような行動を取る人物は多くの場合、幼少期に親からの無関心(ネグレクト)か、あるいは過干渉という扱いを受けていることが多いとされるが、1巻時点ではかなえの幼少期に関するエピソードはない。

 

しかし、かなえのこれらの行動が「普通はそのようにはしないだろう」という常識的な疑問を挟みつつも、「かなえという人間が、描かれたような状況に置かれたら、おそらくそうするだろう」という「わからなくもなさ」に繋がっている自分の思考にゾッとさせられる。これはそんな漫画だ。

 

一花への襲撃も、「かなえのような人間が、それを実行できる力またはコネクションがあれば、最も簡単な解決方法としてそれを選ぶだろうな」と想定できる。

 

つまり、この漫画は登場人物を描いているようでいて、読者自身の考え方のクセや、人間への理解度をまるで鏡のように見せてくる、そんな印象を受けた。

 

「愛されたい」は普遍的な願望、では「愛されて痛かった」とは?

 

 

かなえほどではなかったとしても、「人に愛されたい」「求められたい」という願望は多くの人、いや、ほとんどの人が持っているだろう。つまり普遍的な願望だ。

 

では、タイトルにある「愛されて痛かった」とはどういう意味か。

 

言葉どおりに読めば、「愛されることによる痛み」であるから、かなえが実際に愛を受け取る段になって、彼女自身が抱える問題と向き合わなければならない展開が今後あることを意味しているのだろう。

 

しかし、1巻時点ではまだかなえが「愛される」描写はない。つまり、次巻以降でこのタイトルの意味と、この表現になった原因といえるかなえの問題が明らかになってくるはずだ。

 

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実はやまねこ自身はすぐに2巻以降を購入して読んでしまったが、この記事は1巻の感想であるため、ここまでとしよう。

 

なお、「知るかバカうどん」氏の作品の特異性について、極めて詳細に解説しているブログ記事があって非常に感銘を受けたので、紹介させていただく。

 

msknmr.hatenablog.com

 

このブログ記事は、「君に愛されて痛かった」という作品に感じる独特の雰囲気、それを生み出す知るかバカうどん氏の内面の理解に大いに役立つだろうと思う。

 

次巻の感想についてはまた後日公開しようと思う。