
先日、久しぶりに親父とゆっくり野球の話をする時間がありました。
特別なきっかけがあったわけでもなく、テレビを見ながら、自然と話題が高校野球へ。
そこで出たのが、最近よく耳にする7回制野球の話でした。
私から
「7回制、いよいよ現実味あるみたいだね」
と振ってみたところ、親父は少し考えてから、ぽつりとこう言いました。
「……それ、野球が別物になるぞ」
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「9回制でしか身につかない体力がある」
親父の一番最初の意見は、とてもシンプルでした。
「9回制を戦い抜く体力が、そもそも身につかなくなる」
これは、投手だけの話ではありません。
野手も、ベンチも、9回を想定して身体と気持ちを作るのが、
これまでの高校野球でした。
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暑さに耐える
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集中力を切らさない
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終盤まで脚を残す
そういった“地味だけど大事な力”は、
試合時間そのものの長さの中で、
自然と鍛えられてきた部分もあると思います。
7回制になれば、もちろん負担は減る。
でも同時に、「9回を戦い切る前提」
で積み上げてきた体力や感覚が、育ちにくくなる。
親父は、そこを一番気にしているようでした。
序盤・中盤・終盤という「流れ」が薄れる
もう一つ、印象に残った言葉があります。
「序盤・中盤・終盤の“配分”ができなくなる」
9回制の野球には、はっきりとしたリズムがあります。
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序盤:探り合い、我慢の時間
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中盤:流れを引き寄せる勝負どころ
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終盤:ミスが許されない、本当の勝負
この時間の使い方、戦術の配分こそが、
野球の面白さでもある。
7回制になると、
「ここから勝負」という中盤以降が、一気に圧縮される。
結果として、
最初からフルスロットルの野球になりやすくなるのではないか。
そんな感覚がある、
と親父は言っていました。
確かに、
1点の重み
1アウトの価値
采配のタイミング
すべてが、今とは違う形になるかもしれません。
「悪い」と言い切れないからこそ、難しい
話していて感じたのは、
そういった事情があるのも、
理解はしている。
ただ、
大人の事情で
「野球そのものが変わってしまう」
その覚悟が、ちゃんと共有されているのか。
そこが一番の疑問なんだと思います。
回数を減らす前に、考えられることはないのか
個人的には、今回の親父との話で、改めて思いました。
7回制は、“野球を軽くする”方向の解決策です。
一方で、
こうした「運用」で守れる部分も、まだあるのではないか。
回数を減らす前に、
9回制のままでできる工夫を、
もう少し突き詰めてもいい。
そんな余地は、まだ残っている気がします。
おわりに
話の最後に、親父はこんなことも言っていました。
「大人の事情で、子どもの夢の機会やチャンスを削っていくのは、本当に良くないよな」
少子化、暑さ、働き方改革。
どれも無視できない現実で、
向き合うべき課題なのは間違いありません。
ただ、その“調整役”を
すべて子ども側に
押し付けてしまっていないか。
親父が言いたかったのは、
そこだった気がします。
野球は本来、
「もっと上手くなりたい」
「最後までやり切りたい」
そう思う子どもたちの気持ちから始まるものです。
大人の都合を優先するあまり、
・試合の舞台が減る
・挑戦できる場が縮む
・経験できたはずの9回の景色が失われる
もしそうなってしまうのなら、
それは本当に“子どもたちのため”の改革なのか、
立ち止まって考える必要があると思います。
変えること自体が悪いわけではない。
でも、変える理由の中心に、
「子どもが何を得て、何を失うのか」
この視点だけは、
置き去りにしてはいけない。
親父のその言葉は、
7回制か9回制かという議論を超えて、
「高校野球を誰のために守るのか」を、
静かに問いかけているように感じました。