ヴィパッサナー瞑想・・・。石の様に固くなって座る瞑想。
初めはそれで、普段は「自分」として同一視している「心」
の動きを観れる様になる練習としては良いが、
瞑想が終わるとあまり観れなくなるよね。忘れている時もある(笑)
それなら起きた直後から、寝る瞬間まで日常を瞑想にすればいい。
静かな場所を探して座って呼吸を整えてやるやり方は、確かにその時だけ静かで
気分が落ち着くだろうが、それは「条件付き」だからダメだね。
例えば、
レインコートを着てる間は、雨に濡れないがレインコートを脱いだらどうなりますか?
勿論濡れます。座ってやる瞑想はその様にして条件付きです。
瞑想が終わった瞬間から、あの仕事この仕事あの予定、次の予定、
あのメールその電話。
買い物、子供の予定、夫の予定、妻の予定、明日の事、明後日の事、
友人との事あれこれと湧き上がって混乱する事があるでしょう。
瞑想した時の「静けさ」が壊れません様にと願うばかりです。
残念ですが壊れます。
こう観て下さい。
勿論、体は自分ではありません。それは理解できると思います。
ヴィパッサナー瞑想をするくらいならね。
仮に「自分」は「空(そら)」なんだと。
そこに流れて来る、色々な感情、良い億記憶、嫌な記憶、思考は「雲」なんだと。
空に長く留まる雲もあれば、素早く去って行く雲もあるでしょう。
嵐の時の様に、ぶ厚く黒く長居する雲も来るでしょう。
しかし、全ては来ては去って行く雲です。
そう思えば気が楽でしょうし実際にそうです。無常ですからね。
どんな台風が来ようと、嵐が来ようと、空はこれにより壊れません。
あなたと言うのは「空(そら)と言う意識の空間」として日常を観て過ごして下さい。
そうして行くと雲の上にいるので雨は自分より下に降り注ぐので濡れもしません。
もうレインコートも着る必要もない。条件が必要ない。
初めは上手く行きませんが、雲にリソースを注がないで下さい。
その内上手になります。
「何もしないで下さい」と言ってません。
今やるべき事に、今している事にリソースを注いでください。
何かを変えようとしないで下さい。雲を変えようとか
意識(空そら)を変えようとかバカな事はしないで下さい。
雲に捕らわれてその雲を「自分」「俺」「オレ!」と言っている内はまだまだです。
苦しみの渦中です。
※ブッダの教えの中に
①一切の悪を辞める
②善い事だけやる
③善い事も捨てて行く
とありますが、②善い事を心がけて時間があれば面倒臭いと言う「雲」が現れても
スルーして「善い事」は行ってください。
後々、「善い事」が原動力で行動する事になります。
日常で盗みや、不倫、噂話、酒のみ
本人に向かって言えない悪口(あっくとも言う)嘘など問題外。
後、日和見の事なかれ主義の根性無しもダメだな。勇気が無い。
仏教の伝統的な文化風習で五戒とか言いますが、そう言う事は言わない。
ブッダが仏教徒でなかった様に私も仏教徒ではないのですからね。
これの意味が分かる人には分かるでしょう。








