事象平原の彼方に

笑いの本質構造論 コミュニケーションと力 我思う故に我あり、よりも

財務省と自民党は暴力団と同じ

財務省は、従わない相手には厳しい税務調査を強行し締め上げるなどの恫喝の力を暗に誇示し、一方で自分の周りの天下りなどの規制はユルユル・甘々。自民党はそれに迎合し一体化している。
共に公権力と法の衣をかぶって暗に力を誇示し、他の一般人には不利益でしかないような利益(お金など)を自身に誘導する、暴力団と同じ位の真っ黒団体。
それに支配され歪んだ後進国の日本は、国民一人当たりのGDPも低く経済発展も出来ず、何十年も閉塞感の中にいる。
後進国のオールドメディアの人達は、役人の目の色・顔色を窺いながら仕事をしている。
この日本には自由も民主もないのか?
財務省自民党は、この日本という国から駆逐されればいいのにな、と思う。
自浄能力が無いから、財務省で必要最低限の機能は他の所で一から作り直した方がはやいだろう。
そうしてオールドメディアを含むすべてのメディアに真の表現の自由報道の自由が獲得され保障された日が来るのが待ち遠しい。
選挙でしっかりと意思を示そうと思う。
選挙がマスト。

〇2025/11/3(月)以下、追記:
オールドメディアの政界利権(例:現東京都知事の存在)との癒着・忖度構造、行政・司法・立法の利権癒着(例:「上級国民」への優遇、警察官の事件の際などでの優遇)がひどいということがネットでは常識になって来ている。昭和はもう時代遅れ、とは言うけれど、平成でももう時代遅れの部分はあり、20世紀以前のオールドメディアのマスコミや利権団体・政党団体は、「N段目ロケット切り捨て」ということで全部切り捨てて、21世紀型に作り直した方が良いよな~、と最近はさらに強く考え思ってしまいました。

笑いの本質構造論II(続)

(以下の記述は、「笑いの本質構造論I」の続きです。)
(修正を2025/6/22(日)から入れ始め、マイペースで修正・更新していて、更新し終えたら明記する予定です。)

大きな声を上げたりお腹を抱えて大きく笑う「笑い」について、認知科学的見地から考えてみる。
そのような笑いには、大別して考えると、「I」で述べたように、「反「生命肯定」的事象による笑い」と「ズレによる笑い」の2つが考えられる。

脳について、事象を認識するコンピュータシステムとして考えてみると、笑いはそこにどのような作用をもたらすのか?

1.「反「生命肯定」的事象」を認識すると、データ自体が身体システム自体に危険なバグデータであり、身体に依存する脳システムにとって、バグエラーを起こすのを回避するために、高エントロピーを持つ「濁神」を生じさせる。

2.「ズレ」の認識も、かけ離れた複数の概念を同時に一つの関連のあるものとして認識しようとする(洒落など)、もしくは、一般常識とはかけ離れた事象を認識しようとする、などの点で、認識の枠組み=フレームに揺れや破綻をおこしそうなエラーに近いデータであるために、バグエラーを起こすのを回避するために、高エントロピーを持つ「濁神」を生じさせる。

脳の認知システムでは以上のことが行われ、以下の身体の動作は「I」で述べたように、呼気動作により高エントロピーを持つ「濁神」を排出する活動が行われ、笑いになる。

笑いにより「濁神」はなくなり脳の認知システムは認識力・認知力の低下も避けて正常に機能し続けることが出来る。


別の表現:
「笑い」を伴う事象は、脳神経の認知領域では、身体生命の否定・エラー情報に対する拒絶反応と、脳神経上の概念不安定化のエラー情報に対する拒絶反応と、の2つの方向性が認知的見地からの主な拒絶反応であり、濁神を生じる。これが脳内システムで起こる「笑い」への最初の認識反応だろう。


以上の考察は「認知科学的見地からの笑いの考察」と言えるのかもしれない?
(->?、自分は学位などないし素養が不十分で足りていないからな~。)

 

〇「優越の笑い」について
多くの場合は「反「生命肯定」的事象への笑い」に含まれると思われる。そちらの方がより事態を明確に記述していると思われる。例えば、北野武氏の有名なギャグの「赤信号、みんなで渡れば恐くない」などのようなものを「優越の笑い」とすると、それは脳内の仮想の人物に対しての優越の笑いとなり、少しおかしな説明になってしまう。脳内で生命危機の概念を認識し危険を察知して笑うのであろう。
 親しい人が「コケたり」するのを笑う場合でも「優越の笑い」と言えるが「反「生命肯定」的事象への笑い」とも言えなくもない。
 かなり純粋な「優越の笑い」は極めて限定して存在すると思われる。それは、誤解を恐れずに言うと、「他人を見下す傾向の強い人」にごく自然に見られる笑い・笑みである。社交的でかつ社会的には少し不適合な人によく見られる笑いである。(「I」でも「優越感の笑い」として少し記述している。)

 

〇「緊張と緩和」は笑いの本質ではない。
笑いを強めるための「修飾」の状態であって、笑いの傍系と言えると思われる。
純粋な「緊張と緩和」だけなら「気の緊張からの緩み」だけで笑いは生じない。一方で、「お笑い」などでは「技術的に」必要な場合が当然有り得る。
物理的に流れる物(ここでは感情・情動)が「緊張」によって一旦せき止められれば貯まる量が増大し、「緩和」によって開放されれば発現する勢い・量は大きくなる、というだけのことだろうと思う。


〇「性的な事象に対する笑い」を「快の笑い」と浅く考えるのは間違い。
性への笑いは「禁忌(タブー)への侵犯」でありこの禁忌は子供の頃に植え付けられるものである。性は本質的にタナトス(死へ向かう欲動)であり、よってこれも「反「生命肯定」的事象への笑い」に含まれると考える。また、シモのこととして便は一般に「不浄」なもので、この見地でも「反「生命肯定」的事象への笑い」になると考える。

 

これで笑いについては解析終了か、とも思われたが、笑いは文化のフロンティアの一つであり、未知な部分もあるだろうし出て来るだろうから、今までの題名にあった「--解析終了?」は外しておくことにした。

アスコルビン酸の原末(ビタミンC粉末)は熱中症対策に常備すべき!?

アスコルビン酸の原末(純粋なビタミンCの粉末)は、軽度の熱中症対策または熱中症予防には良いと思う。よく考えてみたら他人にV.C入りのドリンクを提供することでも、「医療行為」に該当するかもしれず、医者などの資格や知識がないのなら、飲ませる人は自分や家族や親しい間柄の人に限るべきだろうと思います。以下の記述は、18歳以上の大人で最終的には自己責任の判断で行動できる人が読み進めて下さい。(始めから堅苦しい文章になってしまいましたが「医療行為」の言葉が引っ掛かるために仕方ないのかなと思います。)

ただ、気楽にビタミンCを飲むなら「CCレモン」(500mlPBでビタミンC:800mg入り)をスーパーで買って飲めばよいと思います。もしくは末尾に追記したDHCサプリを使えばよいと思います。

ビタミンCは即効性の抗酸化作用があり、使用した経験上お腹を冷やす感覚があるので深部体温も速く低下させるのではないかと思う。(私は医学関係の人間ではありません)

アスコルビン酸原末は、大きなドラッグストアなら置いていて(黄色の箱の場合が多い)、100グラムあたり2千円以下で購入できるはずで日頃のV.C剤としても安く使いやすいです。知らなかった人は、思いのほか安いビタミンであることに驚くのでは?

白い純粋な「酸」なのですっぱく、苦手な人はスポーツドリンクなどに混ぜたり蜂蜜などをさらに加えて味を調整するとよいと思います。(私は面倒で1g位を直接舌にのせて水で飲んだりしています)

用量としては、熱中症やその予防なら、大人(15才以上)なら1g位を1回量、多くの水分(スポーツドリンクなど)と共に。意識がはっきりとしていて誤嚥の危険のない人を対象に。アスコルビン酸の副作用として「嘔吐」も記載されているので、嘔吐して誤嚥してしまわないように注意して下さい。子供(15才未満)だと薬箱には「服用させないこと」と書かれているので処方はやめておいた方がよいでしょう。ーー熱中症対策・予防に、これから真夏日猛暑日が現れる季節なので、あらかじめスポーツドリンクなどに混ぜておいて常備して少しずつ飲んだりすることがよいかもしれません。また自分や飲ませる人(家族など)の適性を知っておくためにも外出などで暑さにさらされる日よりも前に、屋内で飲んで嘔吐など副作用の出ない体質か判断しておいた方が良いかもしれません。(くどいようですが念のために)

多量に飲むと下痢になります。他の副作用としては吐き気・嘔吐があるようですが基本的に他に害はないようです。水溶性のため、多く飲んでも尿で排泄されます。

ちなみに、下痢をする位に大量に飲むと(飲み方:1~2gを30分~1時間間隔で追加していく。下痢にならないなら最大量は自己責任で判断して下さい)、ナチュラルハイになる場合があります。特に、若くて、健康で、試した回数の少ない人は(但し、体質にもよるでしょう)。私はもう回数と年齢のせいでハイにはなりません、下痢になるだけです。ナチュラルハイを試し遊ぶにしても下痢になり眠気も低くなるので、休日の午前中に試すのがよいでしょう。出来れば予定のない連休初日の午前中に。試してみると分かると思いますが、高頻度に飲む気は起きないと思います。

昔はガンに効果があるのでは?とも言われたことがあり、一日量が10g以上も飲ませる療法があったようですが(体調がひどく悪い人は下痢になる閾値が高くなるよう)、現在メジャーではないところを考えるとガンにはそれ程効果がないようです。(※訂正:現在も治療法の一つとして研究されていて、経口ではなく点滴による投与でした。興味のある方は調べてみるとよいと思います) 高頻度に多量に飲むことは、お腹が冷えたり体調が悪くなる可能性もあるので一般的に言って推奨できません。

アスコルビン酸をグラム単位で服用することのネタ元は、丸元淑生(まるもとよしお)氏の以下の文庫本です。(熱中症対策についての関連は自分の経験で考えたものです。昔は「熱中症」という言葉はなく「日射病」という言葉でした。)

丸元淑生のスーパーヘルス 老化を遅らせる食べ物と食事法」(新潮社) か

「図解豊かさの栄養学」(新潮文庫)

のどちらか(どちらかは確実、多分最初の方か?)だったと思います。

丸元淑生氏の本は非常にためになるものが多く、当時としては最新の知見を得られる高水準の健康栄養本でした。残念なことに、上記2冊は未だ電子化されていないようです。

以上です。

----翌日5月15日と6月29日に修正。

・・・今日(2024/5/14)はたまたまタイムリーか?と思い気楽に記事にしようとしましたが、医療関係の慎重なネタにもなるかと考え、思考エネルギーをかなり使い5/15にかけて修正するドツボにはまってしまいましたw

 

〇2025/11/3(月)以下を追記:DHCのビタミンCサプリ「持続型ビタミンC」の紹介(特にDHCと契約などしているということはありません)。
(DHCは買える店が多く値段も安いからお勧め、遅延効果と速効効果の両方で使えるところもお勧め)
60日分(V.C.60g)プラパックで千円以下で、使い勝手など考えると比較的安いと言えると思う。持続型で徐々に溶け、水溶性で体内持ちの悪いV.Cの弱点をカバーしている。速効で効かせたかったら歯で噛み砕いて水分で胃に流し込めば良いだろう(この製品本来の使い方ではないだろうが)。アスコルビン酸の瓶や箱は携帯しづらくPBに混ぜ入れても大量には携帯できないから、このパックの製品は通勤・通学などでの携帯に便利だろう。夏に常備すべきはPB水分とこの製品かな?
もう今夏はとっくに過ぎましたが。来年などの暑さ対策としての情報追加です。

Intel「Core Ultra プロセッサ」は映画「ターミネーター」のAIチップの先駆けになるのか?ー>今後10年以内は不可能と予測

〇夜、眠る前にこの発想の文章を思い付き、
まだネットに出ていなかったようなので、
自分で考えてみようと思ったら、
寝付きが悪くなりましたw

〇シンギュラリティという点で考えると、
クライアントCPUレベルのAIは、
リソースのずっと大きいサーバのコンピュータには
かなわないだろうから、
シンギュラリティは初めはサーバ側のコンピュータで
起こるのでしょう。

〇AIが自我を持つ、という話はシンギュラリティとは
別の次元の話だろうと思う・・・?
知性AIと自我存在AIは別の話だろうと思う・・・?
もしそうなら、ここでCore Ultraプロセッサにも
自我存在AIになる可能性が残されている、
と言えるのかも・・・

AIに自我を持たせるには、
「個体としての自己存在」の、
(人間以外の他の生命体にもある)無意識レベルの知覚と
(人間特有の言語)意識レベルの認識の両方が
必要だろうと思われる。
それを背景にした言語意識存在が自我ということだろう。

コミュニケーション・会話の入出力能力だけで
自我が存在するというのなら、
もう今のAIでも存在する、ということになり、
それは少しおかしいだろう。

「個体としての自己存在」に必要なのは、
知覚感覚の総体か?
五感のうち、味覚・嗅覚はあまり必要ないと思われる。
視覚はカメラで、聴覚はマイクで、既に実装されている。
キーボードなどからの言語などの入力や、
ネットとの入出力、ディスプレイ出力、
といった生命にはない入出力もPCは備えている。

そうなるとあと必要なのは、触覚知覚の総体か?
・・・それこそ直前の記事で書いた
「自己身体存在感覚」
(一体の生命身体存在を背景に持つ、
とても大きなデータ量を持つ存在感覚)
であって、一つの閉じた(「私」という自我存在に必須の)世界だと思うが、
・・・それをコンピュータに実装させる方法は・・・
・・・私の思考能力では思い付かない・・・
とりあえず「触覚」を閉じたコンピュータ空間の周りに
無数と思える程、配置・接続するようにするのか?
・・・少し違うような感じがする・・・

〇それとも「楽観的に?」考えて、
知性AIが十二分に内部の質と量のリソースを満たせば、
シンギュラリティの辺りで、
「自動発生的に?」「自我に目覚める」のか?
・・・触覚などの感覚がどうしても必要なように私には思えますが・・・
・・・私の思考能力を超えていて分かりません・・・

現在までに考えた内容は以上です。

 

以下、2024年6月29日(土)追加

〇そういえばアンドロイド(人型ロボット)というものがあったな、と思い出した。

最近では(ソフト)ロボティクスとかいう、足を生命体のように有機的に動かす技術も出て来ている。しかしアンドロイドをサーバーのデーターセンターにつなげて最新のAI、AGIにつなげても、自我存在AI(認識主体)は出来ないだろうと思った。倫理的問題や設計上の問題(人のような脳や脊髄・延髄や腸(太陽神経叢)を模倣できていない、有機生命体の壁を簡単には超えられない、等)や目的的問題(AIに自我を持たせる意義はあるのか?)などがある。

〇以上のようなことを考えるに、(サーバー型でも)自我存在AIが実現するのは、ASIやシンギュラリティが出て来るまでの少なくとも今後10年は、不可能だろうと私は推測する。シンギュラリティ以後は人智を超えた世界であるかもしれず、自我存在AIが出てくることも有り得なくはない、と考える。

〇SFでよくある、サイバー空間に自我を溶け込ませる、というような表現も、自我は境界を持っているため、フィクションに過ぎないと思う。

以上です。
(2025年2月26日(水)少し修正)

〇2025/11/3(月)以下、追記:クラウドAIとエッジAI。
AIはサーバーで動くというよりも複数のデータセンターを分散コンピューティングとしてまとめてようやく1個のAIソフト(「クラウドAI」と言うそう)として動いているのだそうです。(AIに尋ねて知りました。) それでも人間一人とはニューロンなどのベース値を比較して100倍以上人間の方がまだ上、とか。電力などの環境負荷が大きいのは難点だが、AI信仰の最近の人間は邁進しようとしている。とはいえAIにはAIならではのメリット(人物の顔認識の精度の高さ、等)もある。もっと電気効率の良い半導体を現在開発中のようだけれど。いずれにしてもクラウドAIでも、自我存在はまだずっと先だから、一片のPCクラスのCPUの単独AI(「エッジAI」と言うそう)で自我存在を実在的に実行するというのはそのさらにずっと先になる。ネット接続でクラウド自我存在AI?にアクセスしてスレッドで模倣、というのなら、ある程度早く模倣できるだろうけれど・・・。

我思う故に我あり、よりも・・・

「我この世に数十キログラムの身体として存在することを自覚する、故に我あり」
と考えた方が自己存在認識として合点がいくのでは?、
と随分昔の青年時代に自分で考えました。
その考えに自分で納得し、今でも自分の精神存在を
身体存在を基盤にして考えています。
形而上の閉じた世界だけでは虚しい、おかしい、と思う次第です。

「現在の一般の人達」があまり意識していない
「自己身体存在感覚」をしっかりと意識することは、
自己認識の深化にとって有意義である、
と言えると思っています。
・・・
この記事をしっかり書き上げるのは、
私のブログの更新ペースは遅いので
数ヶ月~1年以上?かけて空けるかもしれず(ー>2025年以降)、
妥当性は各自で考えてみてもらいたいと思います。

関連項目として「自律訓練法」を紹介しておきます。
自律訓練法は、最近よく聞く「マインドフルネス」に含まれる、
さらに狭義の概念のようで、昔からある思考法です。
知らない人は、ネットのWikipediaなどで調べて下さい。
実践する際には、注意事項があるのでそこには注意して下さい。

(2024/1/3(水)と1/7(日)と2025/2/26(水)に少し更新)

〇2025/11/3(月)追記:
この記事の深化・追加は、プライバシーも関係するので有料記事にしようかなと考えています。最初の記事の「笑いの本質構造論I」で道教や気功の知識の一端を用いていますが、そうなることに至った背景・バックボーンなどの説明・理由付けになるものです。

ウェザーニュースLiVEには面白いキャスターが多い

一般にメディアの女性キャスターはきれいな人が多いけれど
ウェザーニュースLiVEのキャスターには
「面白さ」も要求されているのかも・・・(あくまで推測です)
YouTubeの切り抜きなどの動画がよく出来ています。
〇駒木結衣キャスターはサザエさんに似ている?
 「おきゃんなおゆいはサザエさん似?」
 ・・・サザエさんよりも若々しくて知的で面白いです。
 お薦めのYouTubeの切り抜きは、次のようなもの等:
    「駒木結衣、タメ口発動の瞬間」(55秒):https://www.youtube.com/watch?v=yQqqFqbdQHM
〇高山奈々キャスターは安定の笑顔 :-)
 現在、産休&育休中です。
 お薦めのYouTubeの動画は、次のようなもの等:
    「777会見」(音量注意)(1分43秒):https://www.youtube.com/watch?v=YKVP6WRpEUQ
〇他にも面白いキャスターが多くいるので興味があればYouTubeの切り抜きを見ればいいと思います。
まあチャンネル登録者数が現在112万人を超えている位だから多くの人がもう知っているのでしょうが。

(このブログの他の記事とはかけ離れた内容だけれど、
ネットで引っかかるにはここがいいかな、と思った。
まあブログだから他に差し障りがなければ基本自由だよね。)

コミュニケーションと力、いじめの問題

コミュニケーションと力の関係について述べる。
「コミュニケーションの本質は言葉であって力ではない。
『力によるコミュニケーション』の中では言葉はその意味を失う。」

 

コミュニケーションにおいて、語調や態度で力を示しながら言葉を伝えると、
言葉を受け取る側はその語調や態度に構え警戒してしまい、
認知的不協和を感じてしまい(態度に警戒するから言葉にも不信感を感じてしまい)、
その言葉の意味をストレートには認識し得ない、ということである。
 力が強いと言葉とは逆の意味で受け取られる場合もあり得る。
(この場合は逆ギレにもなる場合もあり得る、ということである。)

 

(「コミュニケーションにおいて 力が 言霊の伝達濃度に与える影響」の論題と言えるのか・・・)

 

これは子供に対するコミュニケーションの場面で大きな意味を持つ。

親が子供を力でもって厳しくしつける・教育する・指導する場合。
教師が生徒を力でもって厳しく教育する・叱責する・指導する場合。

問題は、人格形成・成長の段階で力の加わった態度でしか
コミュニケーション出来ない親に育てられた子供の心である。
 子供の心は孤立し置き去りにされる。
そこで子供の心は健全に育っていくだろうか?

私は、いじめの加害者の一部はこのように孤立し置き去りにされた心を
持っているのではないか?と考える。

いじめの被害者の一部も、親との心の交流が少なく孤立している場合も
あるだろうと考える。

ニュースなどで、子供が自殺や不登校になって初めて、
子供がいじめられていたなどという事をその親が知る、
という場合が多いことを知らされる。

子供と親に会話があり普通のコミュニケーションが取れていれば
思春期・青春期であっても、いじめがあれば親に相談などをして
親はいじめに気付くはずである。
そうすれば親は子供の代弁者となり、行動をとり、いじめに立ち向かい、
子供をいじめから救うことが出来るはずである。
(昨今の教育機関関係は自己保身だけに終始して頼りにならないようで、探偵や弁護士などを通したりして弁護士や警察を加害者との間に入れて刑事や民事で解決するようである。いじめの行為を録音(録画は難しそう)するところから始めるのだろう。いじめの証拠を集めるなどの具体的な方法は専門家に相談してください。)

 

親や教育者などが力を持ったコミュニケーションを行う原因の多くは、
「コストの削減」、「手間をかけたくない」、「ロジックの弱さをごまかしたい」
から、という場合が多いであろう。
その言葉の意味の正当性を優しく説諭するのが面倒・コストがかかるからなのであろう。

また、親自身がそもそもそのように育てられ、暖かなコミュニケーション関係を
知らないから、という場合もあるであろう。
コミュニケーションの分断が親子間で連鎖しているのではないかと考えられる。

 

親は子供を「勉強するように」(代表例)などのコミュニケーションの伝達の際に、
力を強くして叱ったりするだけでなく、10回に数回位は、
その理由などを優しく説諭して伝えて、意味をストレートに伝えるようにすべきである。

 

 

 

コミュニケーションと力の関係をもっと俯瞰して考えてみる。

以上に述べていた論理は、立場の強いものから弱い者へ、のコミュニケーションの場合である。
そこで強い力を使って、コミュニケーションをしようとする場合である。
ここで強い力を使うのではなく、対等、もしくは弱い力(同情させるような論理)で
コミュニケーションをすればよいのではないか?という提言である。

 

立場の強弱に重なりコミュニケーション自体の強弱、という2つの場合分けが考えられる。

 

最初に述べた文:
「『力によるコミュニケーション』の中では言葉はその意味を失う。」
は、立場の弱いものから強いものへのコミュニケーションでは、逆に
「『力によるコミュニケーション』の中で言葉はようやくその意味を持つ。」
という文に切り替わる。

どういうことかというと、デモやストライキなどの場合である。
弱い立場の大衆の言葉は、団結して力を用いないと、上の立場のもの達に届かないからである。
そこでは「力によるコミュニケーション」の中で
言葉は初めて意味を持ちストレートに相手側に届くことになる。

 


このコミュニケーションの論理は国際的なコミュニケーションでもある程度適用できよう。
経済的制裁など力だけの圧力で、他国の方針を変えようとするコミュニケーションは、
その力により意味が正しく伝わらず、相手国は萎縮したり反発したりしてしまいかねない。
慎重に力によるコミュニケーションを用いなければならない。
(実際は相手国側が、独裁体制などで、コミュニケーション以前に
問題を抱えている場合が多いようである。)


警察・防災・軍事などにおける指導・コミュニケーションの場合を考えてみる。
そこではコミュニケーションにおける言葉は「信号」としての要素を強く持つ。
そのため信号は強い方が情報としては価値がある。
そのため力が強まっても立場の強弱に無関係に、
言葉は意味を失わずにストレートに伝わる、という場合がある、と言えよう。

 

このコミュニケーションといじめの関係の論題は
ずいぶん前に「いじめ」について思索していたときに思い付いた。

 

(2020/04/18(土):一部削除と修正、2025/2/26(水)一部修正、2025/6/22(日)修正ほぼ終了。)

以上。