中〜近世とされる鎌倉・室町・(戦国)・江戸時代の和人には、交易相手として #アイヌとその文化 が認識されていました。主な交易品の #シカ皮 は武家に珍重されました #厚真町軽舞遺跡調査整理事務所(2022年10月訪問)#国立アイヌ民族博物館 #イヨマンテ
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本文
アイヌの人々とシカ(yuk)
エゾシカは、北海道でも一般的というか、一番よく出会う野生動物で、支笏湖周りなど山間を運転中に何度か見かけています。
「奈良シカ」よりも大きくて、オスは見た目が黒っぽいです。

アイヌ語で鹿は ユク(yuk)。
ユクには「獲物」という意味があるくらい、アイヌの人々にとっても一般的で、
シャケとともに重要なタンパク源として、
干し肉にしたり、汁物(ohaw)に入れたりするそうです。
アイヌの人々から、ユクはカムイ(kamuy、神霊)扱いされることはなく、
ただし、ユクコロカムイ(yuk kor kamuy)− ユクを司る神霊 − を通して、地上に遣わされる動物という認識だったようです。
従って、先回紹介したように、クマやシマフクロウのようにカムイ(kamuy、神霊)の化身として神聖視されることはなく、霊送りの儀式(イヨマンテ、yoomante*1)が斎行されることはありませんでした。

本州以南では、鎌倉〜室町〜江戸期の中・近世は、北海道では「アイヌ文化期」と区分されます。
【注!近年「アイヌ文化期」という呼称は少なくなっています。考古学的な検証によりアイヌ文化は縄文時代を源流とする続縄文〜擦文文化(弥生・古墳・奈良・平安時代に相当)とオホーツク北方文化の融合継承文化と考えられますが「アイヌ文化期」という表現は、アイヌ文化(民族)が歴史上、突然表れたような印象と誤解を生む可能性が指摘されています。ウポポイ(国立アイヌ民族博物館)では「アイヌ文化期」という表現は止めています】

アイヌと和人の交易。本州では貴重なシカ皮
この時代、武具(甲冑、鎧兜)・馬具としてアイヌのシカ皮が武士たちに珍重され 交易品 として大量のシカ皮が津軽海峡を越えました。
厚真町(あつまちょう)では、シカの骨がまとまって出土する場所が、数十カ所も見つかっているそうです。
厚真のアイヌの人たちは、その見返りとして、和人から腰刀、銅鏡、漆器、古銭、装飾品などを入手し、祭祀・葬礼などに利用していました。


中・近世の本州では、殺生を禁じる仏教信仰のほか、藤原氏の平安時代以降に盛んとなった春日(鹿島)信仰ではシカは神使とされていますから、シカの狩猟はきわめて制限されていました。(武家のたしなみは「鷹狩り」。獲物は小動物のみ)
唯一といってよい例外は、諏訪大社の鹿食免(かじきめん)でしょう。
武家の大需要を、アイヌからの輸入に依存していたと考えることができます。
ただし、先ほど、シカは神送りされる生き物ではなかったと書きましたが、厚真町ではシカの頭骨が一カ所に集められ、イヨマンテに類似した儀式が行われたこん跡が見つかっており、(ニタップナイ遺跡、1600年代)
シカ皮取りで大量消費される近世になって、ユクを司る神様(ユクコロカムイ)に対する畏怖と感謝から、シカの霊送り儀式が行なわれていのではないかと推理されています。

*1:例えば熊。集落で小熊を育て、ある年齢に達すれば、本来戻るべき場所、つまり、カムイの世界に送り返す儀式。小熊の頭骨は祭壇に飾られる