ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【磐舟山】石碑伝承(河内国風土記)と繋がる【産湯玉之井】

摂津国風土記の「#高津(こうづ)」で伝えられる #アメノワカヒコ(天稚彦) と #アメノサグメ(天探女)の伝承。#古事記 #葦原中國の平定 には 二神が揃って登場します。 #磐舟山の石碑 近くの #産湯稲荷神社、境内の #産湯玉之井 の由緒は高津伝承と繋がっています

目次

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アメノワカヒコとアジスキタカヒコネはそっくりさん(古事記)

摂津国風土記の「高津(こうづ)」には、アメノワカヒコ(天稚彦、天若日子)が天下ったところという伝承が紹介されています。

このアメノワカヒコ(天若日子)は、アメノサグメ(天佐具売)とともに古事記の上卷-五「葦原中國の平定」に登場します。

(wikiより要約)葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するために遣わされたアメノホヒが三年経っても帰らないため、次に遣わされたのがアメノワカヒコ。アメノワカヒコはオオクニヌシの娘・下照姫(シタテルヒメ)と結婚し、自ら葦原中國を平定しようと八年経っても帰らなかった。

そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ、高木神)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して帰らない理由をアメノワカヒコに問いただしてみると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ、摂津国風土記の天探女)が「その鳥は不吉な鳥だから矢で射るように」と勧め、アメノワカヒコはタカミムスビから与えられた天羽々矢(アメノハハヤ)で雉を射抜いた。

その矢は高天原まで飛んで行き、それを手にしたタカミムスビは「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢が当たるように」と下界に落とすと、その矢は寝所のアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。

夫の死を嘆く下照姫の泣き声が天まで届き、父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋(もや)を建て八日八夜の殯(もがり)をした。

下照姫の兄の阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼がアメノワカヒコによく似ていたため、父神と下照姫が「夫(息子)は生きていた」と抱きついたが、アジスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り神剣を抜いて喪屋を切り倒し蹴り飛ばしてしまった。

喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山*1だという。

産湯稲荷神社(うぶゆいなり)

古事記と風土記の伝承を突き合わせると、磐舟山の石碑(高津)あたりにアメノワカヒコとアメノサグメ、そしてシタテルヒメが居たということになります。

磐舟山の石碑から徒歩4分の産湯稲荷神社(うぶゆいなり)。

磐舟山の碑(味原町)と産湯稲荷(小橋町)

境内にはかつて下照姫を祀ったいたという比賣許曽(ヒメコソ)神社碑があります。

市内東西に並ぶヒメコソ神社のライン(磐舟山の石碑に近いのは真ん中の比賣許曽神社跡)

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産湯玉之井

産湯稲荷神社境内に産湯玉之井(うぶゆたまのい)があります。

藤原氏の祖・天児屋根(アマノコヤネ)の十三代の大小橋命(おおおばせ)が産湯につかったところから「産湯」の名が付き、以来「藤原殿」屋敷と云われる屋敷があったところとの言い伝えがあります。(今回は藤原氏のことではないので省略)

産湯稲荷神社・産湯玉之井(うぶゆたまのい)

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玉之井には御祭神が祀られています。

産湯玉之井と井戸の上のお社

産湯玉之井・御祭神(六柱)

御井神(中殿)は下照姫のこと(島根県出雲市の御井(みい)神社の御祭神は木股神=下照姫)

出雲伝承(口伝)の系図は、古事記の記述どおり、下照姫(木股姫)は天稚彦(アメノワカヒコ)と婚姻したとしています。

古事記に登場した下照姫の兄で、アメノワカヒコのそっくりさんのアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)の名も右殿に見えます。

ちなみにこのブログ記事の起点となっている磐舟山の石碑のあるところは大阪市天王寺区味原町。

「味」の字はアジスキタカヒコネの「味」に由来すると云われています。

系図の詳しい説明は次回に。

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*1:岐阜県美濃市の喪山天神社