ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

あの世とこの世の境界地。四天王寺【西門(さいもん)】の石鳥居が舞台の【弱法師】の物語

引っ越して四天王寺さんに行きやすくなったこともあり #春の彼岸 の夕陽が名残惜しく、#四天王寺 西門(さいもん)に連日参拝。あの世とこの世の境 #石鳥居 の夕景を舞台にした謡曲 #弱法師(よろぼし)を紹介します #サイノカミ信仰

目次

本文

四天王寺 石鳥居 西に沈む夕日(2025年3月21日撮影)

彼岸の四天王寺が舞台となった謡曲・弱法師(よろぼし)

四天王寺の石鳥居は、地元では「西門の鳥居(さいもんのとりい)」と呼ばれます。

室町時代、西門を舞台に、謡曲 弱法師(よろぼし)が創られました。

世阿弥の長男とされる観世元雅の作。

大坂・四天王寺、梅の花咲く春の彼岸に、八尾の商人(高安通俊、たかやすみちとし)が、弱法師という盲目の乞食に出会い、それが、かつて放逐した我が子の俊徳丸(しゅんとくまる)であると知る物語。

「弱法師」屏風絵。下村観山作(大正4年)国指定重要文化財

聖徳太子は四天王寺を創建するにともない、四箇院(しかいん、敬田院・施薬院・療病院・悲田院*1を設けました。

www.shitennoji.or.jp

釈迦の教えに則った救済施設群で、身寄りが無く盲目であった俊徳丸は、現在でいうところの社会福祉施設である悲田院に身を寄せていました。

四天王寺 石鳥居 西に沈む夕日(2025年3月21日撮影)

ちなみに悲田院(ひでんいん)は今でも町名に残されています(大阪市天王寺区悲田院町、JR天王寺駅を含む四天王寺の南側一帯)

四天王寺 聖霊院 太子奥院(八角殿)宝珠に映る夕日

弱法師(よろぼし)あらすじ

夕日の光が中心伽藍、さらに奥の聖霊院まで届く(3月20日再掲)

河内国、高安の商人・通俊が、他人の虚言を信じてしまい、我が子の俊徳丸を追放してしまいます。後にそれが偽りであったことを知った通俊は心を痛め、大坂四天王寺で貧しい人々への施し(施行)を行ないます。

四天王寺境内の梅(3月中旬)

そこへ盲目で足元も頼りないひとりの男−弱法師(よろぼし)−が現れます。彼は境内の花の香りで、今が梅の花散る頃だと知ります。弱法師は、通俊の施行と、梅の香や衣に落ちた花びらに感謝し、上宮太子(聖徳太子)が大寺を建立したことを語り舞います。その様子を見た通俊は、弱法師こそが我が子と気付き、夜になれば名乗り、家に連れ帰ることにします。

西門から夕日

彼岸の中日の夕、日没を遥拝し、西方極楽浄土を想い祈る日想観(じっそうかん)。弱法師は見えぬ目で西門の石の鳥居から真西に沈む夕日を拝みます。かつて見た景色(難波浦から見た景色、淡路・絵島・須磨・明石、紀の海)を記憶をたどりながら心の中で見渡します。

諦観の心情であるものの、懐かしい南の住吉の松、東の草香山(くさかやま)、北の長柄の橋。心の中の幻を追ううちに、人々に突き当たり転び伏し、現し世の我が身に打ちひしがれます…が、やがて夜になり、親子の対面をした弱法師は、通俊に手を引かれ高安へと帰っていきました。

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弱法師の物語は東京大空襲をテーマにした現代能として三島由紀夫が戯曲化しています。

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*1:敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたります。リンク先サイトよりコピペ