ジノ。

愛と青空の日々,ときどき【虫】

来し方の幻影

 

 また大仰なタイトルですいません。昨年秋から冬にかけてのおさんぽ記録です。

 

     
 水戸で最後までアーケードのあった南町三丁目、そのアーケードの明かり取り部分がすべて取り払われました。もうただの鉄骨です。これからは夏の日差し、降りそそぐ雨、恐竜滅ぼす隕石、そんなものが容赦なく歩道に落ちてきます。

 


 撤去前の9月の頃。歩く人々がアーケードの作るわずかな日陰を頼って右に寄っているの、わかりますか。こんなものでも役に立っていたんです。アーケードは全国規模で消えつつありますけど、それではいよいよ冷暖房完備のショッピングモールに台頭されることでしょう。バブル時代、定価売りで濡れ手に粟の大儲けをしては豪遊していた商店主たちを知っています。それでも町全体でショッピングセンターとして機能していたものが、各商店の放漫経営でみるみる衰退したその象徴がこのアーケードだと思っています。

 

       
 選挙がありましたよね。その時のこのポスター、空前絶後のセンスの悪さです。中学生が考えたレベルのコピーと、一見して子供じみた党首のポーズ。誰も指摘しなかったんだろうか。いえこの政党にはなんの興味も恨みもありません。ただ選挙で大敗した事実とこんなポスターを街頭に貼り出す感覚には深い関連があると私は思います。ねえ新しくなろうよ。

 

    
 こんな車も入れないような小径を見ると歩きたくなる。悪い癖です。

 


 メガドンキのかつてロッテリアがあった場所。何だよゼッテリアって。何の冗談かと調べたら運営会社が変わって「高級志向のバーガー屋」に生まれ変わったようです。店名改悪と高級志向、死亡フラグを二つも立ててまあ。ちなみに値段が高いだけのただのハンバーガーでした。

 


 市民のいこい、千波湖

 


 人と世の盛衰に関わることなく、私は歩き続けています。

 


 ポスターもゼッテリアも、本気で考えた結果ではあるんだろうなあ。ただ関係者に現場思考のできる人がいなかっただけ。

 

   
 どこへ行くのか、何が残るのか。想像力に欠ける人が増えたとは思います。

 

  
 私はこんな無機質な風景にだって想像力を掻き立てられるのですが

 


 アンデシュ・ハンセンの世界的ベストセラー「 スマホ」は、iPhoneが爆発的に普及した 20 1 1 年からわずか8年後に出版されていますが、SNSの危険性やら子供の知能低下やら、そこに書いてある警句はいよいよ現実化しています。ちなみに第7章のタイトルは「 バカになっていく子供たち 」。

 


 スティーブ・ジョブスが自分の子供にはiPadの使用を厳しく制限した話はご存じですか。子供が悪いんじゃないんです。スマホ、そしてSNSにいやでも触れねばならないこんな世界が悪いんです。今の子どもたちを本当に気の毒だと思います。

 


 私は知能よりも、ヒトから感性が失われていくのが恐ろしい。この空をああ美しいと見上げるよりも、ひたすらうつむいてスマホの画面をタップしている。重症者ではひと画面当たり4秒以下。感性も思考も入る余地はありません。

 


 これも実証されている事実ですが、スマホを見ている間は人の創造力や感情制御を司る前頭葉の「 背外側前頭前野 」が活動しません。ぼーっとしている時よりも活動が低下する。そして習慣化することで脳の発達が停止する。驚くべきことに見ているものが学習アプリであっても害は同じです。作家の赤川次郎さんは多作で知られていますが、その底なしの創造力を支えているのは「手書き」を続けていることだとか。そういえばスマホで「執筆」するラノベ作家に大成する人が少なく、その作品も他人のものの焼き直しがほとんどというのもうなずけることです。

 


 水戸の大通りが草ぼうぼう。南町のカド、かつてデパートがあり今はスポーツドームと屋台村みたいなのがある場所です。おしゃれといえばおしゃれな一角、でも従業員の誰も目の前の草取りをしようとしません。想像力と感性の欠如の見本だと思います。

 


 芸術館前、ガンダムマンホール。今ごろこんなものを、とは思う。

 


 見つけてしまった、意外な自撮りポイント。横断歩道の途中からしか写せないのが玉にキズ。

 


 1 1 月末、サッカーファンは盛り上がっておりました。

 


 彩雲。

 


 朝、遠くのマンションが曙光を返してきます。この季節だけの朝の光です。

 


 雪雲が流れてきました。栃木に雪を降らせた雲です。

 


 いつも利用する駅ビルスタバのお気に入り席から。落ち着いて座れる席で、最近の記事はここでメモ帳(紙の)に書いてます。周囲のお客さんはみな若い人で、必ずスマホタブレット、さらにはノートパソコンまで開いていたり。昔は私もそれがスタバのルールと思ったか、かっこいいと考えたか、電子機器を持ち込んでみましたがどうも効率が悪い。こと文章に関しては「書けなく」なることに気づきました。前述の件だと思います。今はひたすら紙とペンを使ってます。

 


 夕照筑波山

 


 その夕空を映すマンション。

 


 ザ・ノースフェースの手袋が落ちていた。とにかく上から下までこのブランドで身を固める人がいて、何がとは言いづらいのですが心中ではこういう方々を軽んじてしまいます。

 


 駅前カラス。こいつは一人の男性にまとわりついてエサをねだっていました。そういえば私も駅前でカラスにやたら話しかけられたことがありましたが、同じ個体でしょうか。

 


 駅前からの景観をひとりブチ壊していた赤ビルが解体されて、角櫓すみやぐらがすっきり見えるようになりました。

 


 
 その赤ビル跡。地下2階まであった怪しのビルはようやく姿を消しました。

 


 改札前でふと気づいたんですが、広告が学校と神社ばかり。教育と神頼みか。地方都市の現実を垣間見てしまったような。

 


 水戸ホーリーホック、J2優勝とJ1昇格おめでとうございます。J1は同じ茨城のアントラーズ優勝で幕を閉じたし、まあめでたい。都会ならともかくこんな地方でJ1チーム2つって、いいんだろうか。

 


 図書館前、ケヤキはほぼ落葉しました。赤いドウダンツツジはどうする気だろう。

 


 寒風吹く那珂川の堤防を、久しぶりに帰路に選びました。良く晴れた、これが関東の年の瀬。彼方に見える雲の壁は、今まさに栃木県より北に雪を降らせている雪雲の上端部。こんな風に見えるのだ。

 


 泉町のこんぴらさま。新年の準備も整って、水戸の街の年末です。

 

 


↓ 昨年末も同じような写真撮ってた。

要介護3だった父に起こったこと

 

 この記事をご覧になるのが新年になる方も多かろうと思います。前もって申し上げます。 です。老親介護に関するリアルで不愉快な鬱々、要介護3の父の身に起こった出来事の私的備忘録です。浮世離れが身上の私でございますが、この世の従属物である事は皆さまと変わりがない、そんなお話です。飛ばしてくださって構いません。

 

  


 98 歳の父が 1 0 月に病気の宣告を受けました。まあこちらはとっくに覚悟ができていたので、積極治療や延命治療はしない、ただ静かに見守ろうということで、それは問題なかったのですが当座の処置入院一週間、寝たきりが災いしてそれまで自分でできたことができなくなり、退院後に世話をする母の負担が一気に増えました。もともと体が弱く、それ以上に心が弱い母はすぐネをあげ、ご飯を食べなくなるわ不定愁訴がうるさいわ、要介護が一人増えた状況になってしまいました。


 そしてとどめに 1 1 月末、私がインフルエンザを持ち込んでしまいました。私以外全員が予防接種済みでしたが見事に全員罹患、母が治りかけたところで父が発熱。とはいえ 37 ℃ほどでしたが疲れと病で憔悴しきっていた母がパニくり、結局救急車を呼ぶ羽目になりました。


 搬送されたのはO病院。市内では大きな個人病院で、外科以外では搬送される確率の高い、でもあまり評判の良くない病院です。モノがインフルエンザだけに、他の総合病院から断られた結果なのでしょう。


 母が救急車に同乗し私は夕刻になって車で参上しました。ちょうど入院手続きが始まったところで、事務の方と男性看護師が母と話していました。何があっても文句言いません的サインをいくつかさせられましたが、インフルなので隔離病棟の個室、差額ベッド代一日 8800 円を取られるとのことでした。


 実はこれ不当な出費でした。あとで他の病院の方から聞いたのですが、隔離するのは病院側の判断なのでまっとうな病院なら徴収しないお金だと。まあその時はそういうものかと特に疑問は持たず、父を預けました。


 その三日後、土曜の朝。同じ看護師から電話が来ました。父が夜間に動き回る。このまま骨折とかされてはたまらんので、家族から付き添いを出すか即退院かを考えろと。


         おいおいおいおい。


 その昔は付き添いという職業が存在しましたが「完全看護」という建て前のもとその人たちは病院から追い出されました。そんな経緯、完全看護という言葉を吹っ飛ばすかのような暴言です。責任放棄も甚だしい。


 この病院はダメだ、と家人と相談し、他の信用ある病院への転院を決めました。


 その日の午後、別の看護師から電話があり、今度は ① 付き添い ② 拘束 の選択を迫られました。仕方なく拘束を依頼すると共に、転院の希望を伝え、月曜になったらその手続きを始めることをお願いしました。特に問題なく伝わったように思えました。


 退院と転院の違い、わかりますか。面倒くさい患者を「退院」はただ放り出すだけです。でも「転院」は、入院中のと転院先のと、双方の病院の「ソーシャルワーカー」が話し合って調整し、書類を整えなければなりません。手が掛かりますがそれが病院ソーシャルワーカーの仕事です。

 

   


 さて月曜。また違う看護師との電話で、改めて転院の依頼、ソーシャルワーカーへの働きかけをお願いしました。そのつもりでした。「明日の十時半に退院でーす」なんてノリでその看護師から返答を得て、すっかりうまく回っているものと思い込みました。夕刻近くになって転院先となるS病院から連絡が来て、O病院からさっぱり連絡がないとのこと。その後はS病院のソーシャルワーカーさんに交渉を依頼したのですが、判明したのは


① 看護師は退院時間なんて言っていない、もちろん転院なんて聞いていないと主張
② 当然O病院のソーシャルワーカーは動いていない


という気の遠くなるような状況でした。誰が悪いのか知りませんが、O病院のソーシャル氏がまるで機能していないのは確かでした。ソーシャルワーカーが所属する部署は「連携室」なんて言うのですが、病棟と連携室どころか病棟内ですら連携の取れていない病院でした。S病院関係者の尽力で、ようやく明日の転院が決まりました。

 


 翌日。とにかく今日はO病院を脱出できれば勝ちとします。会計も病院の言いなりに支払いました。隔離病棟から一般病棟に移っていましたが、こちらの希望を聞くことなく強制的に個室、差額は取られ続けてました。しかもインフルは完治したが肺炎の兆候がある、あと2週間入院して抗生剤の治療を続ける予定だったが家族の強い希望で転院となった、なんて意見まで付けられて。転院先の診察では肺炎の兆候なんて見つかりません。あのまま入院していたらたっぷり二週間分差額と治療代を搾り取られるところでした。


 とまれ無事脱出成功です。転院先のS病院も大きな個人病院ですが、院長先生が穏やかで無欲、その院長から末端までよく連携のとれた雰囲気のいい病院で、個室ですが差額は取られません。職員の皆さんも余裕があって、医療者の本分をわきまえた人たちです。父も、O病院ではなかった睡眠剤の処方をしてもらってよく眠れるようになり、夜のせん妄は出なくなりました。そして私も、病院からの電話を戦々恐々待ち続ける日々からようやく解放されました。


 父はこのままS病院で年を越し、1月になったら有料老人ホームに移る予定です。かなりの費用が掛かりますが、介護の厚みは金額に比例します。ほんの数か月のことと考えれば少しの無理も致しましょう。

 

 


 自分の話ばかりしてしまいました。騒ぎの中心にあって父は元気です。ほぼ耳は聞こえず歩行は困難、生活のすべてに介助が必要な状態ですが幸か不幸か胃腸は丈夫で食欲旺盛、ボケてもおりません。明日の元旦は外出許可が出て久しぶりの帰宅、一族に囲まれての新年会です。楽しんでくれたらと思います。

 

 

 

遠い呼び声 2025年 最後の初崎海岸

 


 2025 年最後の記事になりますか。初崎海岸の情報を。

 


 砂浜は回復しつつあります。

 


 段差も小さくなり、むき出しになっていた基壇の岩も砂に隠れました。これだけなら福音なのですが

 


 浜に小石がありません。ええそりゃもう見事なくらいに。以前に浜が痩せていた時も若干のシーグラスが見られたものですが、今回は1個も見つけられませんでした。もっともこの日は早朝に引き潮があり、多くの足跡が砂の上に残っていました。わずかなシーグラスはすべて拾われたあとだったかも知れません。

 


 海水浴場側から。

 


 こちらは本当にただの砂浜になってしまいました。あの、小粒の美しく摩耗して廃棄物から天然の宝玉へと生まれ変わった初崎のシーグラスは消え去ったままです。何が起こっているのか、やはり謎のまま。シーグラスはもとよりこの世から消え去る運命ではありますが、あまりにも早く、そして徹底した変化に心が付いていけません、あうう。年末年始に初崎を考えておられた皆さま、期待はなさいませんように。初日の出はよく見えますよ。

 


 さあそして最近の定番。シーグラスが消えたのは初崎だけ。日立市内にはまだまだ光り物の浜が残っているのです。例えばここ、前回に命名ルミネ海岸。蛍光するウランガラスが毎回拾える海岸です。さあ今日はどうかなー。

 


 それっぽいのを次々に拾って

 


 こんなになりました。でもちょっと違和感。ルミネ海岸のシーグラスは、薄くて平らな窓ガラスとかびんのねじ口が残っているのとか、露骨に元の形状を示すのが多くて、初崎のカボッションカットの宝石みたいなシーグラスを知る眼には興醒めです。そういうのは除外しましょう。

 


 で残ったのがこれ。それではお約束の蛍光当てクイズです。光るのはどれかなー。

 

 

 

 


 こうでした。真ん中のうすぼんやりと光るのを含めて8個でしたおおお。ツバキの花みたく見えるのは中心の1個の強い光のせいで、周囲のは光ってません。

 


 そのツバキの花芯のと穴のあるの、この2個は外します。なぜってこれ、プラスチックだから。左のは夜店のビーズ、右のもそういうおもちゃの一片です。あくまでもウランガラスにこだわります。

 


 大柄のぼんやり光っていた奴。これもウランガラスとは言えない気がする。

 


 残ったのがこれ。

 


 3個は摩耗して丸まったのと砕けたカケラです。赤と黄色、おおきれい。

 


 これと

 


 これには明らかに同じ形の装飾があります。元は同様の、あるいは同一の照明器具だったのかも。

 


 大きい方。見事な蛍光を発します。

 


 そして裏側。なんと文字の刻印がありました。出所を知る手掛かりになるかな。どなたかこれを知る方、よろしければコメントください。

 


 これは蛍光しません、ビー玉の摩耗したもの。以前にも拾いました。ここルミネ海岸の謎のひとつです。

 


 初崎海岸、とうとう丸1年完全復活せず。来年はどうかな。茨城県沖の黒潮北上は関係するのかな。2026 年も初崎への巡回は続けようと思っております。初崎を愛する兄弟たちよ、どうか吉報をお待ちください。

 

 

 


↓ 初崎海岸のシーグラスを楽しんだのはこれが最後。

↓ ウランガラスの楽しみ。

海岸メノウとオールスターズ

 

 山歩きをしていたら次々と冒険が降りかかり、わーいネタができたぞふふふとほくそ笑んだところで目が覚めました。


 夢オチかよおお。

 


 というわけで持ちネタからある日の浜歩きをお届けします。

 


 こんなのと

 


 こんなのに挟まれた海岸です。放射能が怖くて茨城県人はやってらんねーぜ。

 


 とはいえこの日はほんの思い付きで出た海辺です。潮はほぼ満潮、波は荒く、拾い物にはおよそ不向きの仏滅デー。メノウ拾いというよりは、潮騒を聞き潮風を鼻腔に満たし蒼天を仰ぐ、まあそんな浜歩きです。

 


 ざざーん。正直言ってここはポイントとしてはあまり戦果の上がらない場所で、メノウの混じる小石の堆積もごく一部。そういう意味でさしたる期待もなくそぞろ歩いておりますと

 


 お?

 


 おお、デカい玉髄。川流れしたものではありません。こんな大きなもの、久慈川なら沢の上流部でしか拾えません。茨城の沖合いにはメノウ/玉髄の脈があるという話が、より信憑性を帯びてきました。

 


 その後も次々と。ふだんそんな拾える場所ではなく今日は海況も悪い、それでも運気の巡りあり。

 


 貝化石を含んだ砂岩。たまにこういうものも見かけます。


 これ 1 1 月のことでした。すぐ屋内撮影して記事にしたいところ、まあいろいろあって

 


 ようやくカメラの前に引っ張り出しました。はいみんな、お化粧はオッケー? 今日はいばらきオールスターズのみんなも協力してくれますよー。

 


 ちなみにブラックライト。

 


 あの巨大玉髄なんですが

 


 光ることは浜でひと目見てわかってました。

 


 カラッパと絡めてみた。すいません初見の人には何が何だか、ですよね。

 


 ジャリーズ登場。…… 1 0 年ほど前、山の中の小さな町で、大きな岩を流れ下る川で存分に夏休みを堪能する男の子たちを見かけました。それは「美しい日本の夏」を象徴する光景の一つとして私の胸に残りました。ジャリーズにはその光り輝く川面と子供たちの歓声と視界に広がる夏の匂い、いつもそんなものを再現してもらってます。称して「永遠の夏休み」。さあしかし、そんな幸せな話だけでは終わらせないぞー。

 


 異次元に墜ちてしまえーうふふふふ。

 


 この玉髄、とにかく蛍光が強くて面白い画ができてしまいます。

 


 おなじみ高校球児たち。円陣を組んだところで

 


 わああああ。個人的には野球をやっている子たちが大好きで、応援しています。エラいなあって。こんなネタにするのは申し訳ないので、これくらいで。他のメノウにもオールスターズを絡ませてみよう。

 


 貝化石の上を歩く高橋さん。今日も足取りは重いのです。

 


 赤いやつ。メノウの晶洞部分のようで

 


 微結晶がありました。

 


 ミカちゃんたらこんなところでサボって。

 


 白化した赤メノウ。とてもいい色合いで

 


 透過光では燃えるよう。

 


 田中さんと流星号

 


 燃える大地も何のその。

 


 晶洞の水晶が削れてクラック模様になったメノウ。

 


 ちゃんと縞模様もあります。ブラックライトで蛍光も放ちます。

 


 そこに悪の支配人登場。

 

        
 怪しの術を心得たようで、壁抜けで姿を消しました。キングアラジンなんて言っても若い人には通じないよなあ。

 


 こちらは大きな晶洞、内部に真っ黒の仏頭状構造。これぞご当地名物黒メノウ。

 


 仏頭の表面が虹色に輝いているの、わかりますか。

 


 そしてこの晶洞の底なんですが

 


 ごく薄くなっていて、反対側から光が透過するんです。

 


 こんな画が撮れたりして。洞窟の出口なのだ。

 


 ミカちゃんズ、揃っておサボり中。

 


 あとはオールスターズと絡ませるには小粒のものばかり。まとめてご覧ください。

 


 いつも申しますが、夜店の宝石箱みたい。

 


 小粒の黒メノウの縞を拡大してみるのも興趣が深い。




 ジャスパー/碧玉の唐草模様。当地にはこんなものもあるんです。

 


 白波立つ海岸。茨城の海はだいたい1年を通してこんな感じです。この波がいろいろな美しいものを運んでくれます。海岸歩きはやめられません。

 

 


↓ オールスターズと海岸メノウのコラボは初めてかも。

秋の王国

 


 王国ことわが庭。この秋はじっくり鑑賞する余裕がありませんでした。ミツバアケビのこの開き具合、「ひつじのショーン」が人を小馬鹿にして笑っている口元に見えてなんかイヤ。

 


 タイヤに何か付いているの、見えますか。

 


 コカマキリの卵のう。おお、なぜここで産気づいた。このままグルグル回したらどんなカマキリが出るのかな、なんてしょーも無いことを考えましたが、触れたらポロリと簡単に外れてしまったのでそのままスイカズラの茂みに隠しました。

 


 家人が大根を虫から守るために被せたネット。弾かれた雨粒がキレイ。

 


 さてこれは何を写したのでしょう。手前の黄変した葉はグラジオラス。夏の間それに隠れてすくすくと葉を広げ光合成に励んでいた奧の緑の単子葉はススキ、いやたぶんオギです。なぜこの街中にあるかというと、昨年のお月見のさいに私が採ってきて、余った穂をこのあたりに捨ててしまったのが発芽していたのです。ちょっとこの類の生命力をナメてました。ダテに日本の草原の優占種なのではありません。片手で引き抜こうとしましたがびくともしません。

 


 もう地下茎がこんなに。これで周囲を埋め尽くしていきます。長い目ではセイタカアワダチソウも駆逐されるという。庭に入れてはならない植物その8くらいかな。

 


 千日紅。ほったらかしのまま咲き誇っています。千日はウソです。

 


 百日草。百日は本当かも知れない。見た目にはスガれていますが、個々の小花はまだ元気に花粉を出してます。

 


 夏の頃から元気なマリーゴールドオンブバッタ。1 0 月の末でもまだ意気軒高、生命の継承に余念がありません。どちらもすっかり我が王国に定着して、勝手に世代交代しています。

 


 1 1 月に入り、それでも返り咲きするクレマチス

 


 ハマナスが最後の花を開き、そして散る。

 


 赤い実シリーズ、ビナンカズラ。今年は剪定した影響で、まん丸い果実にはなりませんでした。

 


 マンリョウ。また鳥めに食われちゃうのかなあ。

 


 ウメモドキ。暑い夏で、カイガラムシの被害が大きかった。

 


 庭の2カ所でずっと生き続けている小菊があります。元は同じ、黄色の香り高い花をたくさん鈴なりにつける一株でした。増えたのは結構なんですが

 


 なんかおかしい。元の花とは似ても似つかぬ3種類の花を咲かせる株に分かれてしまいました。どうやらこれが「先祖返り」という現象で、交配に使われた複数の原種の特徴が現れてしまったようです。園芸種にはよくあることで、原因は水不足や高温などのストレスなのだと。もう元には戻りません。ううむどうしよう、3種いずれも私の好きな菊の香りがありません。

 


  替わって晩秋の王国で香り高いのがツワブキ

 


 香りも、燃えさかるような金色の光も大好きです。

 


 つい接写までしてしまいます。すると見えてくる、花粉を振りまく雄性期から噴水のような柱頭を開く雌性期への生命のコンビネーション。命ってよく出来てるなあ。

 


 コムラサキシキブと重なっている個体がありました。植物どうしが隣り合うとなると、地上では光の奪い合い、地下では毒物質を出し合って邪魔し合いとえげつなく戦っていて決して「仲良く」はないのですが、ここは無理やり笑顔のツーショット。ほらほらもっと笑って。

 


 父も母も体調悪く、特に父はいつどうなるかわからない。もはやそれも季節の巡りの一部に思えてしまう私は、どこか麻痺しているのかも知れません。

 

 

 

 

↓ 関連記事です。カテゴリー「王国の日々」もよろしくお願いいたします。

おまえは誰だ

 

 さあ本来の「ジノ。」っぽい記事の再開です。


 さっそくですが

 


 ネンザしました。インフル感染より前、1 1 月前半のお話です。

 


 玉川支流のそのまた支流、まだ歩いたことのないあたりでした。完全に護岸された用水路、まず良いメノウなんか期待できない場所ですが、ないならないでそれを実証しなければなりません。


 科学においては、ある事象が「ある」と言うのは簡単です。膨大な実験や調査を繰り返し、ただの一度、たった一つの事例でもそれが見つかれば「ある」なのです。逆に「ない」は難しい。結果が出ないことを前提とした実験や調査をいつまでも無限にし続けるという、賽の河原で小石を積み続けるような作業を延々と繰り返すのです。もちろんみんなどこかで適当に切り上げるかごまかすかするんですけど。


 で、この支流での玉川メノウ。とにかく今日一日で結論を出しちゃいましょう。

 


 まーホントに用水路。わずかに小石が堆積した河原とも呼べないような一隅を探しますが

 


 この程度の玉髄のかけらがわずかに。腐っても玉川よのうフォッフォッフォくらいの誉め言葉しか出てきません。このまま本格的な労力を投入しても相応の見返りがあるとはとても思えません。早々にココだめよーと結論しちゃいます。

 


 とはいえ動植物にも思わぬ発見がある玉川です。せっかくなのでもう少し歩いてみましょうか。…… なんて思った途端、この視界のすぐ左の水路の中に突っ伏してるキツネさんのご遺体を見つけてしまった。写真は自粛します。

 


 庭にひともと、ナツメの木…… ってのが古い歌にあったな。

 


 路地のナツメはほぼ虫に食われてますけど、この有用な実がたわわに生っているのを見ると心が豊かになります。

 


 いつの間にか川沿いに戻ったところで

 


 お?

 


 わああ見つけてしまった。これでこの地はメノウが「ある」に分類されてしまいました。

 


 まごうかたなき玉川赤メノウの上モノです。

 


 透過光でもきれい。この手の玉川メノウは蛍光を発しないのが通例ですけど

 


 隅っこの晶洞部分のオパールが美しい水色に光りました。こういう予想外があるから面白い。


 良いのが拾えてしまった。これでこれからはこの支流も巡回しなければなりません。なんとなく厄介ごとを背負いこんだ気分です。


 それでもう少しちゃんと見ようと河原に降りて、慣れぬ場所とて這い上がるさいに手首をひねってしまい、冒頭の捻挫となりました。何をやってんだか。


 この日のフィールドはこれだけでしたが、家では毎日のように騒ぎを起こす両親、次々と職人が入る修理工事、とどめにインフルエンザと、ドトウのように「生活」が続きました。一段落ついたと思えたのが父のインフルエンザ入院。不謹慎な話ですがようやく一息です。さて身辺のお片づけをしよう。

 


 というのでこれは、書斎周辺に散らばっていたメノウ類。記事にする余裕もなかったわけですが、せめて分類整理だけでもやっておこう。ええと、コレとコレはあの時の海岸で…… なんて感じで一つずつ除けていったらば

 


 出所不明のこんなのが残った。誰だおまえら。

 


 誰だというのは愚問です。どこからどう見ても典型的な玉川メノウです。
 ① 白色不透明、いつもバイカル湖の氷に例える蛍光オパール
 ② 晶洞が赤い縞で囲まれた文字通りの赤縞メノウ。
 ③ 巨大仏頭状構造。


 先の赤いのもそうでしたが、いずれも玉川で見られるメノウのいくつかの分類の、それぞれの見本みたいなの。玉川で得られたもので疑う余地はありません。問題は、それを拾った記憶も記録もすぽーんと抜けていて、それを手にした感覚をひとかけらも憶えていないことなんです。ものすごく不気味です。行動記録をよく調べたら確かに一度、玉川方面を通過しています。機会があったとすればこの時です。でも自分でも信じられないことに、写真一枚も残していないのです。何でもかんでも記録する性癖のこのナチュラリストが、です。野帳が泣くぞこら。


 とりあえずお写真を。まずは白色オパール

 

 赤縞メノウ。


 巨大仏頭。


 かなり個性的なメノウたちですが、写真に撮ってみてもやはりその出合いを思い出せません。あああ気持ち悪い。そこだけ切り抜かれた記憶。…… ナチュラリストとは、記録はもちろんですが、驚くほどフィールドでのことを憶えているものです。今ここにある沖縄のツマベニチョウの標本。ひと目見ただけであの日あの場所の空の蒼さ、森の熱気、風の匂い、花の香り、木々の葉ずれ、同行人の顔。いずれもそれが現実であったことの証左のように鮮烈によみがえります。それがないんです、今回のメノウには。



 インフルエンザの発熱による記憶の混乱でしょうか。家事多忙の中で長期記憶に残らなかったのでしょうか。認めたくないけど齢のせいなのか。これからこういうことが増えるのか。あああ。せめて覚悟と備えだけはしておこうと思います。

 

 

 


↓ 記録する人生。

↓ 私イチ押しの薬酒。

写真だけでもご覧ください / 笠間の菊祭り

 

 ストック写真がトラック3台分、もはや身動きが取れません。ご大層な記事に仕上げてやれなんて野望はかなぐり捨てます。今回は 1 1 月 1 2 日に1時間程度で撮った笠間の菊祭りの様子をご覧ください。ぼーっと川の流れを見るように。

 


 シルエットでわかりますか。大石内蔵助さんです。大石家は笠間に少しだけ所縁があるんだって。
 


 これでもかと菊の花。専用の菊栽培場が笠間市にはあります。


 食べ物屋、土産物屋、骨董屋がこの笠間稲荷前にコンパクトに集まってます。

 

 つまんない写真ばかりでごめんなさい。写真よりも語りたいことがこの町にはあるんです。

 

 

 

↓ 笠間といえばついこれを。