U.S.とは? わかりやすく解説

us

別表記:アス

「us」とは・「us」の意味

「us」とは、英語の代名詞であり、一人称複数所有格である。主に、話し手聞き手、または話し手含まれるグループを指す。具体的には、「私たち」や「我々」といった意味で使用される

「us」の略語

「us」は、特定の略語ではないが、インターネットスラングチャットでよく使われる例えば、「ASAPのような略語があるが、「us」はそのような略語ではない。ただし、文脈によっては、「United Statesアメリカ合衆国)」を指す場合もある。

「us」の語源・由来

「us」の語源は、古英語の「ūs」であり、これが中英語経て現代英語の「us」になった古英語の「ūs」は、インド・ヨーロッパ語族祖語由来し他の言語でも類似した形で存在する例えば、ドイツ語では「uns」、オランダ語では「ons」となる。

「us」の類語

「us」の類語としては、「we」という単語挙げられる。「we」は、一人称複数主格代名詞であり、「us」と同様に私たち」や「我々」といった意味で使用される。ただし、「we」は主格であるため、「us」とは文法的な使い方異なる。

「us」の使い方・例文

「us」は、一人称複数所有格として使われる。以下に例文を示す。 1. She gave us a present.(彼女は私たちプレゼントをくれた。) 2. The teacher asked us a question.(先生私たち質問をした。) 3. They invited us to their party.(彼らは私たちパーティー招待した。) 4. The boss praised us for our hard work.(上司私たち努力称賛した。) 5. The coach encouraged us to do our best.(コーチ私たち最善を尽くすよう励ました。) 6. The waiter served us our meals.(ウェイター私たち食事出した。) 7. The guide showed us around the city.(ガイド私たちに街を案内した。) 8. The police officer warned us about the danger.(警察官私たち危険について警告した。) 9. The doctor advised us to get more rest.(医者私たちにもっと休むようにアドバイスした。) 10. The manager assigned us a new project.(マネージャー私たち新しプロジェクト割り当てた。)

ユー‐エス【US】

読み方:ゆーえす

United States》⇒ユー‐エス‐エーUSA


ユー‐エス【US】

読み方:ゆーえす

ultrasonography》⇒超音波診断法


無条件刺激

【英】Unconditioned StimulusUCSまたはUS]
読み方むじょうけんしげき

誘発刺激の別名。この刺激提示は“無条件に”(生得的に) 反応誘発することから、無条件刺激といわれる

US

実生未開花株。Unflowered Seedling(アンフラワード・シードリング)の略。

US

上萼片アッパー・セパル。 Upper Sepalの略。Upperは「上部の、上位の」の意。

.us

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/22 14:00 UTC 版)

.us
施行 1985年
TLDの種類 国別コードトップレベルドメイン
現在の状態 利用可
管理団体 ニュースター社(NeuStar Inc.)
後援組織 アメリカ合衆国商務省
利用地域 アメリカ合衆国に関係する実体
使用状況 アメリカでの商業利用が増加中。
登録の制限 ごくまれに合衆国の関連性への異議申し立てがされることがある。
階層構造 元々は第三・第四レベルに限られていたが、現在第二レベルへの登録が可能。幼児向けサイトの.kids.usなどでは第三レベルが可能。
関連文書 RFC 1480; Policy Statements and Documents on usTLD - About.US
紛争解決方針 usTLD Dispute Resolution Policy (usDRP)
ウェブサイト Search .US Domain Names & Register a .US TLD - About.US
テンプレートを表示

.usは、1985年に制定されたアメリカ合衆国国別コードトップレベルドメイン。.usドメインの登録はアメリカの国民・居住者・組織および国内に存在する海外の実体に限られる。アメリカ国内でのドメイン登録者は、.usよりも.com、.net、.orgなどのgTLDを取得していることが多い。これらは多くの州や地方政府で(.usドメインも使用可能であるにもかかわらず)最初から使われていた。とりわけ、.gov.milドメインはアメリカ国内の使用を指定されている。

.usの元々の管理者は、南カリフォルニア大学情報科学研究所ジョン・ポステルである。ジョンはスタンフォード研究所アメリカ国防総省から.usとgTLDの契約を所有していた)、後にはネットワーク・ソリューションズ(アメリカ国立科学財団から.usとgTLDの契約を所有していた)から情報科学研究所に委託された.usドメインを管理していた。登録者は地域・組織に次ぐサードレベルドメイン以降しか取得できなかった。.usの地理的サブドメインの大部分は様々な私的実体に委任され、登録者は.usの管理者へ直接登録を行うのではなく、それぞれ委任された管理者に登録することになっていたが、2002年4月からはセカンドレベルドメインが取得可能になった。現在、.usドメインはアメリカ合衆国商務省の契約のもと、ニュースター社(en:NeuStar Inc.)が管理している。

.usのセカンドレベルドメインの開放にともない、私企業や一般市民に受け入れられるようになった。.usドメインはもはや政府機関の聖域ではなくなったのである。

州の略称によるセカンドレベルドメイン

州ごとの合衆国郵便略称に基づいている。

準州

その他のセカンドレベルドメイン

  • .dni.us:国立研究機関(distributed national institute)
  • .fed.us: アメリカ連邦政府(Federal government)機関。.govの代替
  • .isa.us:インターステート機関 (interstate agency) imcc.isa.us のみ
  • .kids.us: 13歳以下の児童に適した内容のサイト
  • .nsn.us: 固有自治民族(Native sovereign nations) 通常はネイティブ・アメリカンの部族

2002年から個人・企業によるセカンドレベルドメインの直接登録が可能になったため、非公式のサードレベル登録ができるドメイン名もいくつか存在する。たとえばブロガー用のblog.usや、細菌が見るのに適したサイトのためのprotozoa.us[1](児童に適したサイトのドメイン名kids.usのパロディ)などがあったが、現在は使われていない。

位置関係準拠の名前空間

通常のフォーマットは<組織名>.<位置関係>.<州>.us。<州>には二文字の郵便略称が入る。 <組織名>の値には以下のような意味がある。

  • ci:市(city)の機関
  • town:町(town)の機関
  • vil:村(village)の機関
  • co:郡(county)の機関

本来<位置関係>には市・郡・教区・郡区が入るが、代わりに以下のような記述が入ることもある。

  • state:州の政府機関
  • dst:行政上の管区(district)の政府機関
  • cog:州・市・郡政府の委員会(coucils of government)
  • k12:公立の小中学校
  • pvt.k12:私立(private)の小中学校
  • cc:コミュニティ・カレッジ(community college)
  • tec:技術(technical)・職業訓練校
  • lib:公立図書館(library)
  • mus:博物館(museum)
  • gen:独立した実体全般(general)(上記のカテゴリに当てはまらないもの)

.usドメインの使用上の制限

.usドメインの登録にはアメリカ合衆国との関連性が必要とされ、以下のような実体に限られる。

  • アメリカ市民・居住者
  • アメリカの組織・企業などの実体
  • 外国の組織・実体で、実際にアメリカに存在しているもの

これらの審査のため、ニュースター社はしばしば登録において「スポットチェック」を行っている。

また、必要事項を満たさない匿名の登録を避けるため、国家通信情報管理局(National Telecommunications and Information Administration)が私的なドメイン名の登録をしないように登録者を管理している[2]

登録者は完全なアメリカ合衆国との関わりに関する情報を省略することなく記入する必要があり、追加情報も必要となる[3]

電話番号や5桁・9桁の郵便番号のドメイン名が予約されており、zipcode.us において、5桁の郵便番号のドメイン(例えば90120.usのような形式。この場合はカリフォルニア州ビバリーヒルズ)で地方それぞれの情報を提供するプロジェクトが進行中である。

脚注

外部リンク


U/S

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 07:14 UTC 版)

『U/S』梅堀淳スワベック・コバレフスキによる音楽ユニット

主な作品

アニメ

映画

外部リンク


US

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/27 02:14 UTC 版)

US(ユーエス)

us(アス)

関連項目


U・S

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 23:43 UTC 版)

U・S
ジャンル モータースポーツ情報番組
出演者 ヒロミ
キャサリン
服部尚貴
大原かおり
ほか
製作
プロデューサー 柴田哲志
製作 日本テレビ
放送
音声形式 モノラル放送
放送国・地域 日本
U・S
放送期間 1997年4月4日 - 1998年9月25日
放送時間 土曜 0:45 - 1:15(金曜深夜、初期)
土曜 0:50 - 1:20(金曜深夜、中期以降)
放送分 30分
U・S改
放送期間 1998年10月1日 - 1999年9月30日
放送時間 金曜 0:20 - 0:50(木曜深夜、前期)
金曜 0:12 - 0:47(木曜深夜、後期)
放送分 30分→35分

特記事項:
本田技研工業の一社提供。
テンプレートを表示

U・S』(ユーエス)およびその後継番組『U・S改』(ユーエスかい)は、1997年4月4日から1999年9月30日まで日本テレビ系列で放送された日本テレビ製作のモータースポーツ情報番組。いずれも本田技研工業(ホンダ)の一社提供。

概要

金曜深夜の情報番組『WIN★』の放送枠縮小分を利用する形でスタートした深夜番組で、1997年からホンダが参戦したCART(後のチャンプカー・ワールド・シリーズ)に関する情報を中心に、アメリカのモータースポーツとライフスタイル全般を紹介していた。また、出演者のヒロミがCARTレースなどに挑戦する企画も併せて行っていた。初期にはアメリカでスカイダイビングロケを行ったことがあり、これが彼がスカイダイビングに興味を持つきっかけになった。

当初は金曜深夜枠で放送されていたが、1998年秋の改編を機に木曜深夜枠へ移動した。また、これを機にタイトルを『U・S改』と改めた。改題後も引き続きCARTレースへの挑戦企画を放送し、さらには「日本テレビCARTファンクラブ」なるものを結成してCARTファンの拡大に努めるなど、その活動はますます本格化していった。ほかに、元スキーノルディック選手の荻原次晴が自転車でオーストラリアを横断する企画も実施していた。

放送時間

いずれも。

U・S

  • 金曜 24:45 - 25:15 (1997年4月 - 1997年9月) - 『金曜ロードショー』の放送状況により、30分あるいはそれ以上の遅れを伴うことがあった。
  • 金曜 24:50 - 25:20 (1997年10月 - 1998年9月) - 24:45枠で『i・z』がスタートしたため、以後は5分遅れで放送。

U・S改

  • 木曜 24:20 - 24:50 (1998年10月 - 1999年3月)
  • 木曜 24:12 - 24:47 (1999年4月 - 1999年9月)

出演者

U・S

U・S改

スタッフ

  • ディレクター:大山昌作
  • プロデューサー:柴田哲志
  • 現地コーディネーター:河合直行、デビット・ウルビナ、石川泰清(RASプロダクション)

外部リンク

日本テレビ 土曜(金曜深夜)0:45枠 → 土曜(金曜深夜)0:50枠
前番組 番組名 次番組
WIN★
(23:55 - 翌1:15、放送枠30分縮小)
U・S
(1997年4月 - 1998年9月)
日本テレビ 金曜(木曜深夜)0:20枠 → 金曜(木曜深夜)0:12枠
マチャミの全部いただきっ!!
(0:20 - 0:50、木曜の水曜深夜0:20枠へ移動)
U・S改
(1998年10月 - 1999年9月)
BOON!
(0:12 - 0:47)

アメリカ合衆国

(U.S. から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/02 04:09 UTC 版)

アメリカ合衆国
United States of America
国旗 国章
国の標語:E pluribus unum(1776年8月 - 現在[1]
ラテン語:多数から一つへ)
In God We Trust(1956年7月 - 現在)
英語:我らは神を信ずる)
Annuit cœptis
ラテン語:神は我らの企てに与し給えり)
Novus ordo seclorum
ラテン語:時代の新秩序)
国歌The Star-Spangled Banner(英語)
星条旗
公用語 なし(法律上)[注釈 1]
英語(連邦政府)[注釈 2][2][3]
首都 コロンビア特別区
(ワシントンD.C.)
最大の都市 ニューヨーク
政府
大統領 ドナルド・トランプ
副大統領上院議長 J・D・ヴァンス
下院議長 マイク・ジョンソン
最高裁判所長官 ジョン・ロバーツ
面積
総計 9,867,000km23/4位[4]
水面積率 4.9%
人口
総計(2025年 347,275,807人(3位[5]
人口密度 35.19[5]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2025年 30兆5072億1700万アメリカ合衆国ドル[6]
GDP(MER
合計(2025年 30兆5072億1700万ドル(1位[6]
1人あたり 89,105[6]ドル
GDP(PPP
合計(2025年 30兆5072億1700万ドル(2位[6]
1人あたり 89,105[6][7]ドル
独立イギリスより)
独立宣言 1776年7月4日
国家承認パリ条約 1783年9月3日
南北戦争終結 1865年4月9日
通貨 アメリカ合衆国ドルUSD
時間帯 UTC-5 から -11 (DST:-4 から -9)
ISO 3166-1 US / USA
ccTLD .us
国際電話番号 1

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、アメリカ英語: United States of America, USA)は、北アメリカ大陸の中央部および北西部(アラスカ州)に位置し、大西洋および太平洋に面する連邦共和国。略称は合衆国United States, US)。通称は米国(べいこく)またはアメリカAmerica)。首都コロンビア特別区(ワシントンD.C.)[8]

概要

コロンビア特別区および50州から構成される[9][10]。うち大陸本土の48州は北のカナダと南のメキシコとの間の北アメリカ大陸中央に位置する。アラスカ州北アメリカ大陸北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡を挟んでロシアと国境を接している。ハワイ州太平洋中部に位置する島嶼群である。アメリカは太平洋およびカリブ海に5つの有人の海外領土を有する。

約1万5000年前、パレオ・インディアンユーラシア大陸から現在の北アメリカ大陸本土に移住し、ヨーロッパ諸国による植民地化16世紀に始まった。アメリカ合衆国の建国は、大西洋沿岸に沿って位置する13植民地に端を発する。イギリスと同植民地との間の紛争によってアメリカ合衆国は独立した1776年7月4日アメリカ独立戦争におけるイギリスとの交戦時に同植民地の代表はアメリカ独立宣言を全会一致で発布した。(この日はアメリカで「Fourth of July」[11]と呼ばれている。)1783年9月に同戦争はイギリスからのアメリカの独立の承認により終結し、ヨーロッパの植民地帝国を相手に成功した世界初の独立戦争となった[12][13]

1787年9月17日、現在のアメリカ合衆国憲法が起草された。集合的に権利章典と名付けられた最初の10の修正案は1791年に批准され、多数の基本的な市民の権利および自由を保証することを目的として策定された。マニフェスト・デスティニーの教義に駆られ、19世紀を通してアメリカ合衆国は先住民の強制退去新たな領土取得、次第に承認した新たな州[14]により北アメリカの西部へ拡大した。アメリカ合衆国史上唯一の内戦である南北戦争は、アメリカにおける合法的な奴隷制を終焉に至らせた[15]19世紀末までに、アメリカ合衆国は太平洋まで拡大し[16]米国経済は成長し始めた[17]

米西戦争に勝利したアメリカは、第一次世界大戦中にイギリスやフランス日本とともに連合国として参加。本土が戦火に巻き込まれなかったアメリカは経済的繁栄を謳歌した。戦後には共産主義国家を広げないためにロシア革命内政干渉を行い、他の列強と共にシベリア出兵を開始したが、1920年代後半には大恐慌で大打撃をこうむった。

第二次世界大戦には1941年12月の真珠湾攻撃によって連合国側で参戦し、優れた技術力および圧倒的な物量によって連合国を勝利に導いた。戦勝国の中心として世界への影響力を強め、ソビエト連邦と世界を二分する超大国となった。西側諸国の中心的な存在としてソ連を中心とする東側諸国と対立し、冷戦に突入したが、1989年の東欧革命により社会主義諸国は次々と崩壊、1991年にソビエト連邦が崩壊したことでアメリカが世界唯一の超大国と見做されるようになった。この状態は超大国を上回る極超大国と称されることがあった。

第二次世界大戦の戦勝国である事から、国際連合安全保障理事会常任理事国であり、国連から核兵器の保有を合法的に認められている他、NATOの加盟国でもある。アメリカ軍(米軍)は陸軍海軍空軍宇宙軍海兵隊沿岸警備隊で構成されており、北米アメリカ北方軍)・アジアアメリカインド太平洋軍)・欧州アメリカ欧州軍)・アフリカアメリカアフリカ軍)・中東アメリカ中央軍)・南米アメリカ南方軍)など世界中の国家(170か国ほど)に多数の駐留軍事拠点(米軍基地)を設置し、同盟国などの国家安全保障を担っている[18]

2000年代に入り、経済面でヨーロッパ諸国の衰退と日本がバブル崩壊によって先進国が長期低迷しているという反面、自国の金融とIT企業が急成長し世界に影響力を高めた。

アメリカは、2018年の世界の軍事支出英語版の36%を占める世界最大の軍事大国である[19]。世界で初めて核兵器を開発した国であり、日本への原子爆弾投下によって戦争において核兵器を使用したことがある唯一の国である。

2020年代まで、アメリカ合衆国が事実上唯一の世界の超大国として君臨していた[20]

2023年現在、アメリカは国際社会に最も多大な影響を及ぼす政治的・経済的・軍事的大国であり、世界で最も民族的に多様かつ多文化な国のひとつである他[21]、科学研究および技術革新における世界のリーダー的存在であるともされている[22]。アメリカのピュー研究所の調査によると、2020年代には、中国が経済面ではアメリカに匹敵し始めたが、軍事力ではアメリカが圧倒的に上回っており[23]、経済・軍事的に台頭する中国ロシアなどとの間で新冷戦と呼ばれる状況に突入している。

アメリカは先進国であり、世界最大規模の国民経済を有する経済大国である[24]世界貿易機関G7G20経済協力開発機構北大西洋条約機構(NATO)、米州機構米州相互援助条約などの加盟国でもある。米国経済は、豊富な天然資源および労働者の高度な生産性によって支えられている[25]。アメリカは脱工業化社会であるとされている一方で、世界最大の製造国のひとつであり続けている[26]

国号

1507年、ドイツ人地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーは、イタリア人探検家および地図製作者のアメリゴ・ヴェスプッチの名をとって西半球の陸地をアメリカ州と名付けた世界地図を作成した[27]

United States of America(ユナイテッド・ステイツ・オヴ・アメリカ)という言葉の最初の文書証拠は、大陸軍ジョージ・ワシントン副官および検閲官の大将であるスティーブン・モイランにより書かれた1776年1月2日付の手紙である。手紙はジョセフ・リード中佐宛で、革命戦争において「アメリカ合衆国の大量で十分な力」でスペインを支援する嘆願をモイランは記した[28]

「United States of America」という言葉が最初に公開出版された証拠は、1776年4月6日にバージニア州・ウィリアムズバーグのザ・バージニア・ガゼット紙面に匿名で書かれたエッセイである[29][30]。1776年6月、トーマス・ジェファーソン独立宣言の「原草稿」の見出しにすべて大文字で書かれた「UNITED STATES OF AMERICA」という言葉を加えた[31][32]。独立宣言の7月4日の最終版において、表題の該当する部分は「アメリカ合衆国13州一致の宣言」に変更された[33]。1777年に連合規約が発布され、「連合の名称を『United States of America』と定める」と規定した[34]

短縮形は「United States」が標準的であり、単に「United States」と表すだけで「アメリカ合衆国」とする場合が多い。ほかの一般的な形式は、「U.S.」「USA」および「America」である。ほかに口語での名称として「U.S. of A.」があり、国際的には「States」がある。18世紀後半の詩歌において人気な名称である「コロンビア」は、クリストファー・コロンブスが起源であり、コロンビア特別区の名に見られる[35]

英語以外の言語において、アメリカの名称は「United States」または「United States of America」のいずれかの、口語では「America」の翻訳であることが多い。加えて、USAのような略称はときどき用いられる[注釈 3]。東アジアでも、「America」を「亞米利加」「亞美利加」「米利堅」「美利堅」などと音訳し、「United States」を「合衆国」と翻訳することで、日本語では「アメリカ合衆国」「米国」、中国語朝鮮語ベトナム語では「美利堅合衆國」「美國」と漢字表記する。この漢字表記は歴史上一定していたわけではなく、「亜墨利加」「亜国」などの表記が用いられたことがあった[38]。一方、英語名称の翻訳を由来としない名称としては、ベトナム語でのアメリカの名称である「Hoa Kỳ」(花旗)があり、これは中国南部でのアメリカ合衆国の国旗の古称「花旗」およびアメリカの古称「花旗国」に由来する。

「United States」という言葉は、1865年批准のアメリカ合衆国憲法修正第13条にみられる、「the United States are」のように、本来は独立州の集合体を表現した複数形として扱われていた。南北戦争終結後には、「the United States is」のように単数形として扱うことが一般的になった。要は複数の州が集結して一つの国家になったものといえよう。現在は単数形が標準的であり、複数形は「these United States」のような慣用句にその形を留める[39]。その違いは州の集合体および単一体の間の違いを反映しており、慣用以上の重要なものとされている[40]

アメリカ国民の標準的な言及方法は、「Americans」である。「United States」「American」および「U.S.」は、「American values」および「U.S. forces」のように形容詞的に国を言及するのに用いられる。Americanは、アメリカ合衆国と関連のないものへの言及には英語ではほとんど用いられない[41]

日本語における名称

日本語においては、単に「アメリカ」、もしくは「アメリカ(亜米利加)合衆国」の通称として「米国」(べいこく)・「米」(べい)と呼ばれる場合が多い。公用文では「米国」が使用されており、「アメリカ」呼称は口語もしくはテレビのニュースなどで用いられることが多い(NHKなど)。 尚、戦時下においては国民やマスメディア、大本営発表内での呼称として、「鬼畜米国」(きちくべいこく)、「敵米国」(てきべいこく)や、イギリスと合わせて「鬼畜米英」(きちくべいえい)等と呼称されていた。

ただし、上述のように「アメリカ」はアメリカ大陸全体を指すので、正しくはない。在日米国大使館・領事館などはそのウェブサイトにおいて自国の事を一貫して「米国」と記述している。

歴史

新大陸の到達

1620年、メイフラワー誓約の署名
1764年、ヨーロッパ人(左)と会うネイティブ・アメリカン(右)

イタリアジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブススペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国への到達を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。当初は東アジアの一部と考えられていたが、現在の大陸名の由来ともなるイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの主張をもとに新たな大陸とされた。その後、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名し、その名が定着していった。

これを契機に、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への侵略が開始した。イタリアジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスニューイングランド植民地の領有を宣言し、フランスジャック・カルティエセントローレンス川を探検したあと、その一帯をヌーベルフランス植民地とするなど、南北アメリカ大陸の探検と開拓が開始した。

のちに、アメリカ人は「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、たとえ貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手にすることができるという文化を形成して「自由と民主主義」理念の源流を形成した。その成功が誇張も含めて旧大陸に伝来し、さらに各地からの移民を誘発することになった。それと同時に、先住民であるネイティブ・アメリカン大量虐殺や追放をして彼らの土地を強奪していった。

グレートブリテン王国(イギリス)からの独立

ジョン・トランブル画『独立宣言』:1776年第2回大陸会議へ草稿を提示する5人の委員
国璽(表)
国璽(裏)

北米大陸にヨーロッパ諸国が植民地支配を展開する中、イギリスと13植民地との間に経済・租税措置を巡って対立が生じた。1775年アメリカ独立戦争が勃発すると、1776年7月4日独立宣言を発表し、イギリスの優位性を崩すためにフランスと同盟を締結した。

13植民地の独立とアメリカ合衆国の建国

この7月4日は現在も「独立記念日」として、クリスマス感謝祭と並び、米国の代表的な祝日とされる。13植民地が勝利すると1783年パリ条約が締結され、「アメリカ合衆国」として正式に独立(建国)し、独立した13州に加えてミシシッピ川以東と五大湖以南をイギリスから割譲された。

初代アメリカ合衆国大統領 ジョージ・ワシントンアメリカ合衆国 建国の父の一員とされている。

1787年9月17日には、連合規約に代わる中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定された。1789年3月4日に発効され、同年に初代大統領として大陸軍司令官であったジョージ・ワシントンが就任した。

アメリカは、「自由」と「民主主義」を標榜したことから、近代の共和制国家としても、当時としては稀有な民主主義国家であった。しかし、女性アフリカ大陸から強制的に連行させられた黒人奴隷アメリカ先住民の権利はほとんど保障されなかった。その結果、奴隷制度人種差別が独立後のアメリカに長く残ることとなった。

西部開拓と南北戦争

米国の領土拡張の推移である。18世紀以後、各領土は州として承認された。
南北戦争で事実上の決戦となったゲティスバーグの戦い

1791年ウィスキー税反乱が発生したものの、連邦政府の勝利に終わった。北西インディアン戦争勝利により、1795年北西部を獲得した。未開の地であった西部の勢力拡大を企図して、1803年フランスルイジアナ買収を実施したが、イギリスが西部開拓を阻んだため、1812年米英戦争が勃発するも1814年ガン条約を締結して事態は収拾し、西部へ進出した。

アメリカ合衆国軍事占領下のメキシコシティ(1847年)

入植時からの先住民との戦争を継続しながらも、1819年スペインフロリダ買収1830年インディアン移住法によりインディアンを強制的に西部に移住させると、1836年メキシコ領テキサスでのテキサス共和国樹立と1845年のアメリカへの併合、1846年オレゴン条約、および米墨戦争によるメキシコ割譲により、領土は西海岸にまで達した。現在のアメリカ本土と呼ばれる北米大陸エリアを確立したのである。

それと同時期に遠洋捕鯨が盛んになり、太平洋にも進出を開始した。1850年代鎖国状態だった日本へ食料や燃料調達のために開国させることを目的に米軍艦を派遣した。2つの不平等条約を締結した上で開国させた。以後、アジア外交にも力を入れるようになった。

南北戦争によって大量の戦死者を出したアメリカ兵。全体でも60万人以上発生したとされる。

1861年奴隷制廃止に異を唱えて独立宣言を発した南部連合国と北部の合衆国の間で南北戦争が勃発し、国家分裂の危機を迎えた。これを受けて1862年に当時の大統領エイブラハム・リンカーンによって奴隷解放宣言が発表され、1865年に南北戦争はアメリカ合衆国の勝利で終結し、アメリカ連合国は解体された。しかし、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民など、その他の少数民族に対する人種差別はその後も継続することになる。

南北戦争後、鉄道網の発達と共に本格的な西部開拓時代に突入した。19世紀後半には、鉄鋼業や石油業が繁栄したことによってアメリカ経済が大きく躍進することになった。

海外進出

移民流入の主な玄関口であったニューヨークエリス島

南北戦争後も諸外国との戦争などを通して、海外領土の拡大が続けられた。1867年にはアラスカロシア帝国から購入し、1898年にはハワイ王国が併合され、スペインとの米西戦争に勝利してグアムフィリピンプエルトリコ植民地にし、キューバ保護国に指定した。これにより、現在の北米・太平洋圏でのアメリカ領土が確立した。また1899年から1946年にかけて、スペインに代わってフィリピンを支配した。

1900年には義和団の乱平定に八カ国連合軍としてに派兵した。1904年日露戦争にアメリカは干渉し、日本とロシア帝国の両国はアメリカ合衆国連邦政府の斡旋の下で、講和条約としてポーツマス条約を締結させた。

1910年代から外国人土地法を徐々に施行し、有色人種に対する圧力を強化した。1919年、「国際連盟規約」中に人種差別の撤廃を明記するべきという 人種的差別撤廃提案に当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは反対した。

米比戦争を勃発しアメリカが勝利した後には、数十万人のフィリピン人を虐殺した上で独立運動を鎮圧したが、1916年には議会がフィリピン自治法(ジョーンズ法)を制定、将来的なフィリピンの独立について規定し、1934年には議会がフィリピン独立法(タイディングス=マクダフィ法)を制定、10年後の独立を認めた。しかし、フィリピン独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)は日本軍の侵攻により1942年にアメリカに亡命した。これによりフィリピンの独立は1946年まで遠のくこととなった。

第一次世界大戦

1914年7月28日にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦では、当初は中立を守る一方で、1915年ハイチ1916年ドミニカ共和国に出兵して占領を開始した。

アメリカは軍政を展開したことで西半球における権益確保政策を進めた。ルシタニア号事件などの影響もあり、次第に連合国に傾き、1917年には連合国側として参戦した。1918年には共産主義の拡大を防ぐ目的でシベリア出兵を実施した。

1918年11月11日に終結した第一次世界大戦後は、1919年パリ講和会議で当時の大統領ウッドロウ・ウィルソンの主導によって国際連盟設立と人種差別撤廃案阻止[42]に大きな役目を担う。モンロー主義を提唱してヨーロッパへの不干渉およびラテンアメリカに対する権益の維持をしようとするアメリカ合衆国上院の反対により国際連盟への加盟は実現しなかったが、他の戦勝国とともに5大国の一員として注目された。1920年代にはアメリカン・アニメーションの黄金時代とも呼ばれ、アニメーション産業が活発化した。

国内では首都ワシントンをはじめとする多くの都市で「赤い夏」などの人種暴動により数万人が死傷した[43]1924年には排日移民法を施行して人種差別政策を強めた。1927年に出兵していたニカラグアサンディーノ将軍の率いるゲリラ海兵隊を攻撃したため、1933年にアメリカ軍はニカラグアから撤退し、従来の政策から善隣外交(Good Neighbor policy)に外交政策を移行した。

戦間期

続く1920年代バブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代」が起こるが、1929年10月29日ウォール街ニューヨーク証券取引所で発生した株の大暴落「暗黒の木曜日」が契機となり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌によって、労働者や失業者による暴動が頻発するなど多大な社会的不安を招いた。

当時の大統領フランクリン・ルーズベルトが実施したニューディール政策により経済と雇用の回復を目指したものの、1930年代末期まで経済も雇用も世界恐慌以前の水準には回復せず、第二次世界大戦の戦時経済によって世界恐慌以前の水準を上回る、著しい経済の拡大と雇用の回復が実現された。一方で、経済不況を受けてドイツイタリア日本などでナチズムファシズム軍国主義が1930年代前半から台頭し始め、のちの第二次世界大戦の起因となった。

第二次世界大戦

アメリカのハワイを攻撃する日本軍機(1941年)
オマハ・ビーチに接近するアメリカ軍(1944年)

1939年9月1日にドイツ軍ポーランドに侵攻し、ヨーロッパ第二次世界大戦が勃発した当初は中立政策は維持していたものの、1941年にはレンドリース法の施行により、イギリスソビエト連邦自由フランス中華民国に大規模な軍需物資の支援を実施し、日本のアジア進出に対してABCD包囲網を形成した。1941年12月7日(日本時間:12月8日)に日本軍による真珠湾攻撃があり、これを契機にイギリスやソ連が中心となっていた連合国の一員として参戦した。

開戦後まもなく、日系アメリカ人南米諸国の日系人のみを強制収容所に連行した(日系人の強制収容)。日系人男性はアメリカ兵として忠誠を示すために戦闘に参加した。日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回にわたる西海岸への攻撃はあったものの、本土への被害はほとんどなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、あわせてドイツ、イタリア、日本の三国同盟を軸とする枢軸国に対する戦闘でも大きな役割を果たした。1943年夏頃からはヨーロッパ戦線南太平洋戦線においてイギリス軍や中華民国軍オーストラリア軍らとともに本格的な反攻作戦を開始。1944年にはパリの解放を行ったものの、フランス国内における米兵の犯罪が多発した。

また、敵国であったドイツや日本だけでなく、または同盟国であった中国に対する戦略爆撃無差別爆撃を実施した。1944年、中国本土爆撃(漢口空襲)では市街地の50%以上が焼失した。アメリカ軍が行った日本本土空襲の中でも、1945年3月10日の東京大空襲では推定約14万人、ドイツに関してもドレスデン爆撃で最大20万人を死傷させた。

アメリカ軍は日本への原子爆弾投下広島長崎)を実施した。

1945年5月8日にはドイツが連合国に対して無条件降伏した。1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て原子爆弾を完成させた。同年、アメリカは世界で初めて一般市民を標的に、日本の広島(8月6日)と長崎(8月9日)に人類史上初の核兵器を投下し、推定で合計約29万人が死傷した。8月15日に日本がポツダム宣言を受諾して降伏し、同年9月2日の日本全権による連合国への降伏文書調印をもって第二次世界大戦は終結した。

第二次世界大戦以前は非戦争時にはGDPに対する軍事費の比率は1%未満から1%台で、GDPに対する軍事費の比率が低い国だったが、第二次世界大戦で史上最大の軍拡(後述)を実施したことで、各種関連企業が潤うことで著しく軍事偏重状態になり、ボーインググラマンフォードグッドイヤーなどによる軍産複合体が政治に影響力を行使する恐れがあると批判されるようになった。

アメリカは、大戦における主な戦場から地理的に離れていたことから本土にほとんど戦災被害を受けなかった。戦勝国として日本の委任統治領であったマーシャル諸島マリアナ諸島カロリン諸島などの太平洋の島々を新たに信託統治領として獲得するとともに、敗戦後の日本ドイツを統治した。1946年からマーシャル諸島でクロスロード作戦などの大規模な原水爆実験を繰り返して核大国としての地位を固める。核拡散防止条約(NPT)はアメリカを核兵器国と定義し、原子力平和利用の権利(第4条)と核不拡散(第1条)・核軍縮交渉(第6条)義務を定めている[44]

以後、世界最強の経済力と軍事力を保持する超大国として、「自由民主主義」の理念を目的・大義名分として冷戦期およびそれ以後の外交をリードする事になる。

戦後とソ連との冷戦

1985年、ジュネーブにて、ミハイル・ゴルバチョフソ連書記長と会談する米大統領ロナルド・レーガン

第二次大戦後は、連合国としてともに戦ったソ連との冷たい戦争(冷戦)が始まった。一時は上院議員ジョセフ・マッカーシーらに主導された赤狩り旋風(マッカーシズム)が発生するなど、世論を巻き込んで共産主義の打倒を掲げた。

冷戦においては、ソ連を盟主とした東側諸国共産主義社会主義陣営に対抗する西側諸国資本主義自由主義陣営の盟主として、西ヨーロッパ諸国や日本、韓国中華民国台湾)などに経済支援軍事同盟締結などで支援した。共産主義国家を除く世界の大半の国に影響力を広めることになった。

アメリカ合衆国は北大西洋条約機構(NATO)によって、ソビエト連邦はワルシャワ条約機構によって他国に多数の自国の軍事基地を設立させていった。核兵器を保有していないドイツイタリアオランダなどの国内にもアメリカ軍基地の他に核兵器を設置した(核シェアリング)。しかし、発射の決定権は全てアメリカ連邦政府が保持していたため安全保障面で疑問視された。

戦勝国であり核兵器までも保有しているイギリスにも1万人を超えるアメリカ兵と在英アメリカ軍が、また上記以外にもトルコノルウェースペインサウジアラビアにもアメリカ軍が駐留し、西側諸国の上空を守っていた。アジアでも朝鮮戦争停戦後、韓国には在韓米軍フィリピンタイに駐留した。日本にも日米安保条約に基づき在日米軍が数万人駐留している。

同時に南アメリカもアメリカ合衆国の政策の影響力により、アメリカ合衆国寄りとして政策を続けられたため、「合衆国の裏庭」と批判されるほどであった[注釈 4]が、キューバ革命以降はキューバと敵対している。

冷戦期には朝鮮戦争ベトナム戦争など世界各地の紛争に介入している。グレナダ侵攻の際は宣戦布告を行わないまま開始した。ベトナム戦争ではトンキン湾事件で事実を一部捏造し本格的介入に踏み込んだ。核兵器の製造競争などもあり、ジョン・F・ケネディ政権下の時代にソ連との間でキューバ危機が起こるなど、核戦争の危機もたびたび発生し、1963年にはケネディ大統領暗殺事件が発生した。

冷戦中に「自由と民主主義の保護」の理念を掲げたが、国益追求もひとつの目的でもあった。実力行使で理念と矛盾する事態を発生させ、ベトナムへの介入は西側・東側諸国を問わずに大きな非難を呼び、国内世論の分裂を招いた。「反共産主義」であるという理由だけでアジアラテンアメリカ諸国をはじめとする世界の右派軍事独裁政府への支援や軍人に対しても、パナマ米州学校で「死の部隊」の訓練を行った。こうして育てられた各国の軍人は母国でクーデター内戦を起こし、母国民に対して政治的不安定と貧困をもたらす結果となった。

同時に、大戦の後遺症に苦しむ同盟国への支援と安全保障の提供は、経済成長をもたらす一因ともなって東側との大きな生活水準格差を生み出し、のちに東欧革命の原動力の起因となった。

人種差別と公民権運動

民主主義国家」を標榜するアメリカであったが、1862年の奴隷解放宣言以降や第二次世界大戦後に至っても南部を中心に白人による人種差別が法律で承認され、一部の州では結婚も禁止する人種差別国家でもあった。1967年まで16州で白人が非白人と結婚することを禁じていたが、アメリカ最高裁判所が異人種間結婚を否定する法律を憲法違反と判断した[45]1960年代にはこのような状態に抗議するキング牧師を中心としたアフリカ系アメリカ人などが、法の上での差別撤廃を訴える公民権運動を行った結果、1964年7月に当時の大統領リンドン・ジョンソンの下で公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。

差別撤廃のための法的制度の整備は進んだものの、現在に至るまでヨーロッパ系移民およびその子孫が人口の大半を占め、社会的少数者の