STS-61-Hとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > STS-61-Hの意味・解説 

STS-61-H

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/07/07 16:25 UTC 版)

STS-61-H
徽章
ミッションの情報
ミッション名 STS-61-H
シャトル コロンビア
発射台 LC-39A
打上げ日時 1986年6月24日~7月1日(計画)

STS-61-Hは1986年に打上げが予定されていたスペースシャトルのミッション。コロンビアが使用されるはずだったが、チャレンジャー号爆発事故を受けてキャンセルされた。

目次

クルー

  • コマンダー:マイケル・コート(Michael L. Coats
  • パイロット:ジョン・ブラーハ(John Blaha
  • ミッションスペシャリスト1:アンナ・リー・フィッシャー
  • ミッションスペシャリスト2:ジェームズ・ブチェリ(James F. Buchli
  • ミッションスペシャリスト3:ロバート・シュプリンガー(Robert C. Springer
  • ペイロードスペシャリスト1:ナイジェル・ウッド(Nigel Wood、イギリス)
  • ペイロードスペシャリスト2:プラティウィ・スダルモノ(Pratiwi Sudarmono、インドネシア)

バックアップ・クルー

  • ペイロードスペシャリスト1: リチャード・ファリモンド(Richard Farrimond、イギリス)
  • ペイロードスペシャリスト2: タウフィック・アクバル(Taufik Akbar、インドネシア)

ミッション内容

ミッションの主な目的は商業衛星3機(スカイネット4A、パラパB3ウェスター6S)を軌道に投入することだった。イギリスのスカイネット、およびインドネシアのパラパはそれぞれの国の宇宙飛行士によって軌道投入されるはずだった。

チャレンジャー号爆発事故後、スペースシャトルによる商業衛星の軌道投入は中断し、さらにアメリカ以外の宇宙飛行士は数年間、搭乗員候補にあがらなかった。ゆえにイギリス、インドネシア両国の宇宙飛行士は宇宙飛行の機会を逃すこととなった。アメリカの宇宙飛行士らはSTS-29に参加した。ただしアンナ・フィッシャーのみジェームス・バギアンに代えられている。

スカイネット4Aは1990年1月1日にタイタンIIIで、ウェスター6Sはギャラクシー6に改名され1992年10月12日にアリアン4で、パラパB3はパラパB2Pに改名され1987年3月20日にデルタ3920でそれぞれ打ち上げられた。

関連項目

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「STS-61-H」の関連用語

STS-61-Hのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



STS-61-Hのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのSTS-61-H (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS