Paul Dessauとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Paul Dessauの意味・解説 

パウル・デッサウ

(Paul Dessau から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 05:14 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
パウル・デッサウ
1974年の“ベルリン・アンサンブル”の連帯コンサートにおいて(左からクルト・ハーガー英語版ルート・ベルクハウス英語版ヴェルナー・ラックヴィッツドイツ語版、デッサウ、ハンス・ヨアヒム・ホフマンドイツ語版)
基本情報
生誕 (1894-12-19) 1894年12月19日
出身地 ドイツ帝国 ハンブルク
死没 (1979-06-28) 1979年6月28日(84歳没) 東ドイツ
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家指揮者

パウル・デッサウPaul Dessau1894年12月19日 - 1979年6月28日)は、ドイツ作曲家指揮者

生涯

ハンブルク出身。音楽一家に生まれ、祖父のモーゼス・ベレント・デッサウは合唱指揮者で、伯父のベルンハルト・デッサウはベルリン国立歌劇場のヴァイオリニストであった。またいとこのマックス・ヴィンターフェルトはジーン・ギルバート英語版ドイツ語版のペンネームでオペレッタ作曲家となった。

1909年ベルリンクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院に入学し、ヴァイオリンを専攻した。1912年にハンブルク市歌劇場のコレペティトールとなり、そこで指揮フェリックス・ワインガルトナーアルトゥル・ニキシュに学び、マックス・ユリウス・レーヴェンガルトの作曲クラスに在籍した。1914年ブレーメンのチボリ劇場の第2カペルマイスターとなり、1915年に兵役にとられるまで務めた。

第一次世界大戦後はハンブルクのカマーシュピレ劇場の指揮者となり、さらに1919年から1923年までの間ケルンのオペラハウスでオットー・クレンペラーのもとでコレペティトールとカペルマイスターを務めた。1923年からマインツのカペルマイスターとなり、1925年からはベルリン市立歌劇場ブルーノ・ワルターのもとでカペルマイスターを務めた。

1933年フランスに移住し、ついで1939年アメリカ合衆国に移住した。アメリカでは最初はニューヨークに居住していたが、のちにハリウッドに移った。1948年に帰国して、東ベルリンに居住した。

1952年より国立演劇学校で教職に就き、1959年から教授となった。また1952年ベルリン芸術アカデミーの会員となり、1957年から1962年まで副議長を務めた。

教え子にルカ・ロンバルディなどがいる。

作品

作品にはオペラ付随音楽バレエ交響曲管弦楽曲器楽曲歌曲などがある。1920年代より映画音楽も手掛け、初期のウォルト・ディズニーの映画の音楽も担当した。パリに亡命している間、マックス・ブロートの詞によってオラトリオ『ハッガーダー・シェル・ペサハ』を作曲した。1950年代にはオペラ制作と並行して、ベルトルト・ブレヒトに協力して劇場音楽の作曲に尽力した。またドイツ民主共和国のプロパガンダのために実用音楽を多く作曲したが、一方でヴィトルト・ルトスワフスキアルフレート・シュニトケボリス・ブラッハーハンス・ヴェルナー・ヘンツェルイジ・ノーノのような前衛音楽の紹介につとめた。

また、デッサウはヨハン・セバスティアン・バッハを尊敬しており、東ドイツ最高の作曲家であると語っていた[1]

参考文献

  • ヘルベルト・ブロムシュテット『ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命』力武京子訳、樋口隆一日本語版監修、アルテスパブリッシング、2018年、ISBN 978-4-86559-192-7

脚注

  1. ^ ブロムシュテット (2018)、42頁。

関連文献

  • Fritz Henneberg: "Dessau - Brecht. Musikalische Arbeiten." (Henschel, Berlin 1963)
  • Fritz Hennenberg: "Paul Dessau. Eine Biographie." (VEB Deutscher Verlag für Musik, Leipzig 1965)
  • Paul Dessau: "Notizen zu Noten" (ed. Fritz Henneberg, Reclam, Leipzig 1974)
  • Paul Dessau: " Aus Gesprächen" (VEB Deutscher Verlag für Musik, Leipzig 1974)
  • Joachim Lucchesi (ed.): "Das Verhör in der Oper. Die Debatte um die Aufführung »Das Verhör des Lukullus« von Bertolt Brecht und Paul Dessau." (BasisDruck, Berlin 1993)

外部リンク


「Paul Dessau」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Paul Dessau」の関連用語

Paul Dessauのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Paul Dessauのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパウル・デッサウ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2026 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2026 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2026 GRAS Group, Inc.RSS