HARD WAY TOUR 1991
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 09:37 UTC 版)
| 『HARD WAY TOUR 1991』 | ||||
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| SHOW-YA の ライブ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 1991年2月2日 名古屋市公会堂 |
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| ジャンル | HM/HR | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | 東芝EMI/EASTWORLD | |||
| プロデュース | ATSUHIRO SAKAMOTO YASUYUKI MORIYAMA |
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| チャート最高順位 | ||||
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| SHOW-YA アルバム 年表 | ||||
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『HARD WAY TOUR 1991』(ハード・ウェイ・ツアー・ナインティーン・ナインティワン)はSHOW-YAの2枚目のライブ・アルバム。
内容
1991年2月11日に名古屋市公会堂で開催された『HARD WAY TOUR 1991』ライブの模様を収録。
脱退を発表した寺田恵子在籍時のラストツアー。
初回盤特典はフラッグポスター。
ライブ・ビデオは同年5月12日に発売されているが、本ライブ・アルバムとは収録曲が異なる。
収録曲
作詞:安藤芳彦(特記以外) 全編曲:SHOW-YA
- METALLIC WOMAN
- 作曲:五十嵐美貴
- LIFE IS DANCING
- 私は嵐
- 作曲:寺田恵子
- BLUE ROSE BLUES
- 作曲:寺田恵子
- 何故
- 作曲:寺田恵子
- Keyboard solo(Instrumental)→BATTLE EXPRESS(Instrumental)→魔性
- 作曲:中村美紀→作曲:五十嵐美貴→作曲:中村美紀
- MAKE IT UP -どうにかしてよ-
- 作曲:五十嵐美貴
- LOOK AT ME!
- 作詞:安藤芳彦・寺田恵子 作曲:SHOW-YA
- Fairy
- 作詞:寺田恵子 作曲:五十嵐美貴
- ギャンブリング
- 作曲:五十嵐美貴
- 限界LOVERS
- 作曲:寺田恵子・五十嵐美貴
関連項目
脚注
「HARD WAY TOUR 1991」の例文・使い方・用例・文例
- 信頼関係を築くには2WAYコミュニケーションが大事だ。
- ALWAYS続・三丁目の夕日
- この続編は,最初の映画「ALWAYS三丁目の夕日」の結末から4か月後の昭和34年が舞台だ。
- 1991年の証券不祥事は日本のビジネス界に深刻な損害を与えた。
- 私は1991年から1995年まで中国にいた。
- 米国とその同盟軍がイラクを破った地上戦で、100時間続いた(1991年)
- 軍事機構は我々が1991年に向き合った同じものであるが現在はさらに弱い
- 1991年12月のソビエト連邦崩壊前にソビエト社会主義共和国だった国家で構成された同盟
- かつてのソビエト社会主義共和国連邦を構成していた国の1つ(1922年−1991年)
- キルギスタンの首都(1926年−1991年はフルンゼとして知られる)
- 米国の物理学者で、陽電子と呼ばれる反電子という形で反物質を発見した(1905年−1991年)
- 米国の物理学者で、ノーベル物理学賞を2度受賞した(1908年−1991年)
- 米国のフィルムメーカー(1897年−1991年)
- カナダの文学批評家で、神話と象徴主義を使用することに興味をもった(1912年−1991年)
- 児童書を書いた米国の作家(1904年−1991年)
- 米国のダンサー、振付師で、その作品がその厳粛で、技術的な厳格さで知られる(1893年−1991年)
- 英国の小説家でカトリック教徒(1904年−1991年)
- 米国の発明者で、ポラロイドフィルムをレンズの中に組み入れ、一段階写真処理を発明した(1909年−1991年)
- 米国の女優(イングランド生まれ)(1899年−1991年)
- 米国の抽象表現主義の画家(1915年−1991年)
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