CASINO DRIVE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 12:52 UTC 版)
| 『CASINO DRIVE』 | ||||
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| RED WARRIORS の スタジオ・アルバム | ||||
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『CASINO DRIVE』(カジノ・ドライヴ)は、日本のロックバンドであるRED WARRIORSの2枚目のオリジナル・アルバム。
1987年6月21日に日本コロムビアのBODYレーベルからリリースされた。前作『LESSON 1』(1986年)からおよそ8か月ぶりにリリースされた作品であり、作詞はダイアモンド☆ユカイおよび木暮武彦が担当、作曲は全曲ともに木暮が担当、プロデュースは日本コロムビア所属の宗清裕之および木暮が担当している。
ユカイが日米合作映画『TOKYO-POP』(1988年)の主演を担当することになったため、映画撮影後にコンサートツアーの合間を縫って限られた時間の中でレコーディングが行われた。前作に引き続きベルリン出身のマイケル・ツィマリングがレコーディング・エンジニアを担当している。本作にはビートルズやローリング・ストーンズなどに影響を受けたロックンロールの楽曲が多数収録されており、またジョン・レノンに対する思いを表現した楽曲や先行シングルとなった「バラとワイン」のアルバム・バージョンが収録されている。
本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第11位となった。1970年代風のバンドサウンドを意識した音楽性やユカイのボーカルに関しては批評家たちから絶賛された。
背景
「ホンキートンク・R&R・バンド」に所属していたダイアモンド☆ユカイと、「クリネックス」に所属していた木暮武彦は埼玉県内で行われたアマチュア・バンドが集結するイベントライブにおいて邂逅し、「ちょっとコイツの歌でギター弾いてみたいな」という印象を持った木暮はユカイに声をかけ、即興でチャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」(1958年)のセッションを行った[3]。その後「ホンキートンク・R&R・バンド」が解散したことを切っ掛けとして木暮のバンドの練習に参加するようになったユカイであったが、結婚を理由にバンドへの本格的な参加を拒否[4]。ユカイにバンド参加を断られた木暮はNOKKOたちとともにレベッカを結成する[5]。レベッカにおいてメジャー・デビューを果たした木暮であったが、バンドの方向性の違いを理由にレベッカを脱退することになり、木暮はユカイに再びバンド結成の提案を持ちかける[6]。その後尾崎豊のローディーを担当していた小川清史および木暮とともにレベッカを脱退した小沼達也の4名でバンドを結成することとなった[7]。結成当初のバンド名は「レベッカ♂」であり、ライブに来ていた聴衆はレベッカのファンが大部分を占めていたが減少傾向にあったこと、またビートルズやローリング・ストーンズのようなロックンロールを目指すために木暮がバンド名の変更を提案、音楽誌『Player』の取材を機に映画『ウォリアーズ』(1979年)に因んでバンド名を「RED WARRIORS」と名乗るようになった[8]。その後音楽事務所マザーエンタープライズに所属することが決定[9]。
1986年10月10日にはデビュー・アルバム『LESSON 1』(1986年)がリリースされる。リリースから間もなく日本武道館公演がブッキングされたが、チケット代金が1000円と安価であり、事務所が世間に対して発信するために採算度外視で計画されたライブであった[10]。その後ユカイは日米合作映画『TOKYO-POP』(1988年)への出演が決定、事務所と契約を済ませたばかりのデビュー直前に出演依頼が出されたため、バンドが始動したばかりの時期であったこともあり、メンバーは乗り気ではなかったとユカイは述べている[11]。この映画出演がRED WARRIORSの解散時期を早めたとの説もあるが、ユカイは明確にこれを否定しており、事務所側からすれば世界デビューになり映画で注目を集めることでバンド活動も軌道に乗ると計画していた節があるとユカイは述べている[11]。また、同映画の主人公役の選定は難航を極めており、当初は尾崎豊に出演依頼が出されたものの交渉が決裂したとユカイは述べている[11]。同映画は好評を得たため、1987年度のカンヌ国際映画祭に出品されることとなり、ユカイはレッド・カーペットの上を歩く経験をしたと述べている[12]。1987年4月21日には映画の撮影前にレコーディングが終了していた「バラとワイン」が先行シングルとしてリリースされた[13]。しかし同曲は売り上げが伸びず、その理由をユカイはレコードからCDへの転換期であったことや、映画撮影のためにプロモーション活動が出来ていなかったことも原因であると述べた上で、「チャートの上位に届かなかったのが残念だった」と述べている[13]。また、映画撮影が終了してバンド活動に戻った際にメンバーは「俺たちをなんでこんなに待たすんだ」と息巻いており、コンサートツアーの予定もすでに200本ほど組まれていたため、ツアー開始後にはわずかな空き時間でも本作のレコーディングに追われる状態となった[14]。
楽曲と音楽性
SIDE 1
- 「CASINO DRIVE」
- 木暮による「日本のフォークやロックの中にあったジメジメとした演歌な感じがすごく嫌いだった。もっとカラッとして突き抜けた大陸的なロックがやりたかった」との思いから制作された楽曲であり、「SHOCK ME」で目指した音楽性が完成した作品であるとも木暮は述べている[15]。本作のプロデューサーである宗清裕之によれば、セックス&ドラッグ&ロックンロールを宣伝文句としていた初期RED WARRIORSのバンドスタイルから一歩前進した「質の高いR&Rソング」であり、「歌のメッセージといい演奏スタイルといい、バンドへの精神的ポリシーと音楽的実践面がバッチリかみ合った作品」であると述べている[16]。本作におけるユカイのボーカルはメインがセンターに、ワイルドな唱法のテイクが左側に、ギター・アンプを通したテイクが右側にそれぞれ充てられたトリプル・ミックスとなっており、宗清は会心の仕上がりであると自負している[16]。1989年のRED WARRIORS解散後、アメリカ合衆国に移住した木暮が結成した多国籍バンドが本曲と同名の「CASINO DRIVE」であった[17]。音楽情報サイト『OKMusic』にてライターの帆苅竜太郎は、高倉健や菅原文太が出演している映画を見た後に気が大きくなるのと同じ効果があり、「何か大きなものにも勝てるんじゃなかろうか?」という高揚感を与えると主張、挫折を経験しながらも夢や目標に立ち向かう人々に聴いてほしい曲であると述べている[18]。ダイアモンド✡ユカイのカバー・ベスト・アルバム『I AM A ROCKMAN』(2009年)において、2009年当時ライブで演奏されていたアレンジで再録音された音源が収録された[19]。
- 「I MISS YOU」
- 「OLD FASHIONED AVENUE」
- 音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は「まさにオールドファッションなR&Rナンバー」と述べた他、ユカイのボーカルについて「オールドスクールなR&R特有のフェイク」が導入されていることを指摘している[18]。
- 「OUTLAW BLUES」
- 音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、「へヴィなブルース」であると述べている[18]。
- 「MORNING AFTER」
- 木暮がローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて)」(1965年)もしくはビートルズの「イエスタデイ」(1965年)の中間あたりを狙って制作した曲であると宗清は推測しているが、現代のレコーディング技術ではサウンドのクオリティが高すぎたために「ショボい音が好き」である木暮にしてみれば思惑通りにならなかった曲であるとも宗清は述べている[20]。音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、アコースティック・ギターとストリングスを導入したミディアムバラードであると述べている[18]。
SIDE 2
- 「JOHN」
- ユカイが音楽を始める切っ掛けともなったジョン・レノンに対する曲として制作され、制作当初は「ノスタルジー」というタイトルであったとユカイは述べている[15]。ユカイは本曲について「なんかとてもノスタルジックなさびとメロディーがマッチしてなんとも言えないいい感じだね」と述べ、RED WARRIORSの中において好きな曲の一つであると述べている[15]。宗清は本作が「バンドの中の音楽的なひきだしを出来るだけひっぱりだそう」という意図を持って制作されたアルバムであると述べた上で、本曲がその意図の所産であると述べている[20]。本曲は結成当時に制作されたもののライブにおいても演奏されていなかった曲であり、本曲以降ユカイは歌に心情を込めるという姿勢を積極的に出し始めたと宗清は述べている[20]。音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、「ジョン・レノンへの敬愛を綴った名曲」であると述べている[18]。
- 「MONKEY DANCIN'」
- 「FOOLISH GAMBLER」
- 当初「ボーイッシュガール」というタイトルで制作されていたが、高校時代の親友が銀行強盗によって逮捕された新聞記事を見たことからその親友をテーマに作詞したとユカイは述べている[15]。テーマは「男の友情」であり、ギャング映画の要素が入っている部分をユカイは好んでいると述べている[15]。宗清によれば、当初はニューヨーク・ドールズやシルヴァーヘッドのようなミディアム・テンポのロックンロールをイメージした、木暮が趣味で制作していた楽曲であったという[21]。しかしメンバーが思っていた以上にライブにおいて盛り上がる楽曲となり、次第にハイ・テンポな演奏に変化していったと宗清は述べている[21]。また、ユカイによる独特な歌詞がファンの気持ちを惹きつけ、本曲の人気が高まったとも宗清は述べている[21]。音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、「疾走感あふれる」楽曲であると述べている[18]。
- 「WINE & ROSES #2 (Club Version)」
- 先行シングルとしてリリースされた「バラとワイン」のアルバム・バージョンとなっている。詳細は「バラとワイン」を参照。
リリース、チャート成績
本作は1987年6月21日に日本コロムビアのBODYレーベルからLP、CD、CTの3形態でリリースされた。本作からは同年4月21日に先行シングルとして「バラとワイン」がシングルカットされている。本作のLP盤はオリコンアルバムチャートにて最高位第11位の登場週数11回で、売り上げ枚数は1.6万枚となった[2]。
本作は1993年10月21日にCDのみ「CD文庫1500シリーズ」として廉価版が再リリースされた。セルフカバー・アルバム『Re:Works』(2001年)においては、「CASINO DRIVE」「JOHN」「FOOLISH GAMBLER」「WINE & ROSES」の4曲が再レコーディングされた上で収録された。2007年4月4日には5枚組CD+5枚組DVDのボックス・セット『Lesson 20 -RED WARRIORS 20th Anniversary Box-』に収録される形でデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた[22][23]。
批評
| 専門評論家によるレビュー | |
|---|---|
| レビュー・スコア | |
| 出典 | 評価 |
| CDジャーナル | 肯定的[24] |
| TOWER RECORDS ONLINE | 肯定的[1] |
| OKMusic | 肯定的[18] |
批評家たちからは本作の音楽性に対して肯定的な意見が挙げられており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では「ロック・ヒーロー気取りがちょっと鼻につくところもある」、「演奏にもう少しスウィングが欲しい」と指摘したものの、「大きな成長の跡がうかがえる2作目」であると本作を位置づけ、ボーカルの進化が著しいと述べたほか、「彼らのロックに対する理想や美意識('70年代的なものだ)は純粋で、信頼できる」と述べ肯定的に評価した[24]。音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では、ダイアモンド☆ユカイ主演映画『TOKYO-POP』で使用された楽曲が収録されていることに触れた上で、ユカイのボーカルを高く評価したほかに、当時の日本では希少であったグラムロックの音楽性を取り入れたことを指摘した上で「70年代風のバンドを意識したサウンドが本当にかっこいい」と絶賛した[1]。音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は本作を「アガるアルバム」であると主張、全9曲と収録曲が少ないものの内容がバラエティー豊かであると主張、サウンドの中心であるギターの存在感が大きいことから散漫な印象にはなっていないと肯定的に評価、さらに木暮に対しては「どんなタイプも器用に奏でつつ、“らしさ”を損なわないギタリスト」であると主張した上で、本作においてその特異さが発揮されていると述べている[18]。また「SHAKEが書いたバラエティー豊かなメロディーは、YUKAIの歌唱力、表現力があってこそ輝きを増すものである」とも主張、ユカイがボーカリストとして「非凡な才能の持ち主」であると絶賛した[18]。
収録曲
- CD歌詞カードに記載されたクレジットを参照[25]。
| # | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 「CASINO DRIVE」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 2. | 「I MISS YOU」 | ダイアモンド☆ユカイ | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 3. | 「OLD FASHIONED AVENUE」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 4. | 「OUTLAW BLUES」 | ダイアモンド☆ユカイ | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 5. | 「MORNING AFTER」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
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合計時間:
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| # | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 6. | 「JOHN」 | ダイアモンド☆ユカイ | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 7. | 「MONKEY DANCIN'」 | ダイアモンド☆ユカイ、木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 8. | 「FOOLISH GAMBLER」 | ダイアモンド☆ユカイ | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 9. | 「WINE & ROSES #2 (Club Version)」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
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合計時間:
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| # | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
|---|---|---|---|---|---|
| 10. | 「WINE & ROSES」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 11. | 「I AM THE WALRUS」 | レノン=マッカートニー | レノン=マッカートニー | RED WARRIORS | |
| 12. | 「BIRTHDAY SONG -Another Tape-」 | 木暮武彦、ダイアモンド☆ユカイ | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 13. | 「ルシアン・ヒルの上で」 | 木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
| 14. | 「ROLLING DOWN THE STREET」 | ダイアモンド☆ユカイ、木暮武彦 | 木暮武彦 | RED WARRIORS | |
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合計時間:
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スタッフ・クレジット
- CDバックカバーに記載されたクレジットを参照[25]。
RED WARRIORS
- 田所 “ダイアモンド☆ユカイ” 豊 – ボーカル、カズー
- 木暮 "Shäke" 武彦 – ギター、コーラス、ホーン・アレンジメント、ストリングス・アレンジメント
- 小川清史 – ベース、コーラス
- 小沼 "Comma" 達也 – ドラムス、パーカッション、コーラス
参加ミュージシャン
- ミッキー吉野 – ピアノ(9曲目)
- 宗清裕之 – ピアノ(2, 8曲目)
- デキシーキングス – ホーン・セクション(9曲目)
- 松井亜由美 – ストリングス(5曲目)、ストリングス・アレンジメント
- 三木黄太 – ストリングス(5曲目)、ストリングス・アレンジメント
- 富田芳正 – ホーン・アレンジメント
録音スタッフ
- 宗清裕之(日本コロムビア) – プロデューサー
- 木暮武彦 – プロデューサー
- マイケル・ツィマリング – レコーディング・エンジニア、ミキシング・エンジニア
- 猪股正幸 – アシスタント・エンジニア
- 中里茂 – アシスタント・エンジニア
- 浪江暢生 – アシスタント・エンジニア
- 中川直彦 – アシスタント・エンジニア
制作スタッフ
- 佐々木健彦 – パーソナル・マネージメント(マザーエンタープライズ)
- 永野 "KAZUNI" 治 – インストゥルメント・テクニシャン
- 佐藤庄平(マザーエンタープライズ) – プロモーション・エージェント
- 本木元(マザーエンタープライズ) – プロモーション・エージェント
- やまぐちいずみ(日本コロムビア) – プロモーション・エージェント
- うつきちえ(マザーエンタープライズ) – インフォメーション
- 森川卓夫(日本コロムビア) – スーパービジョン
美術スタッフ
- 後藤繁雄 – クリエイティブ・ディレクション
- パシフィックプレスサービス (P.P.S) – 写真撮影
- 松本康男 – 写真撮影
- DIAMOND HEAD'S – アート・ディレクション、デザイン
その他スタッフ
- アバコクリエイティブスタジオ – スペシャル・サンクス
- V.F.V.スタジオ – スペシャル・サンクス
- パール楽器製造 – スペシャル・サンクス
- A&Aコーポレーション – スペシャル・サンクス
- Bill's Brothers – スペシャル・サンクス
- S.HASEGAWA – スペシャル・サンクス
- ROKKOMAN Inc. – スペシャル・サンクス
- Skinhead – スペシャル・サンクス
- 福田信(マザーエンタープライズ) – エグゼクティブ・プロデューサー
チャート
| チャート | 最高順位 | 登場週数 | 売上数 | 規格 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 日本(オリコン) | 11位 | 11回 | 1.6万枚 | LP | [2] |
リリース日一覧
| No. | リリース日 | レーベル | 規格 | カタログ番号 | 備考 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1987年6月21日 | 日本コロムビア/BODY | LP | AF-7455 | ||
| 2 | CT | CAR-1490 | ||||
| 3 | CD | 33CA-1639 | ||||
| 4 | 1993年10月21日 | COCA-11082 | CD文庫1500シリーズ(廉価版) | [24][1] | ||
| 5 | 2007年4月4日 | コロムビア・ミュージックエンタテインメント | COZA-51036 | ボックス・セット『Lesson 20 -RED WARRIORS 20th Anniversary Box-』収録 紙ジャケット仕様、デジタル・リマスタリング盤 |
[26][27] | |
| 6 | 2011年5月11日 | 日本コロムビア/BODY | AAC-LC | - | 『Lesson 20』と同内容のデジタル・ダウンロード版(全14曲) | [28] |
| 7 | 2013年4月3日 | - | 『Lesson 20』と同内容のデジタル・ダウンロード版(全14曲) | [29] |
脚注
- ^ a b c d JMD (2010年6月14日). “RED WARRIORS/CASINO DRIVE”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2019年8月14日閲覧。
- ^ a b c オリコンチャートブックLP編 1990, p. 320.
- ^ 藤沢映子 1988, p. 225- 「DREAM ON Shäke's Story」より
- ^ 藤沢映子 1988, p. 51- 「STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS Yukai's Story」より
- ^ 藤沢映子 1988, p. 231- 「DREAM ON Shäke's Story」より
- ^ 藤沢映子 1988, p. 65- 「STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS Yukai's Story」より
- ^ 藤沢映子 1988, pp. 235–236- 「DREAM ON Shäke's Story」より
- ^ ダイアモンド✡ユカイ 2009, pp. 66–67- 「11.走り出したレッズ」より
- ^ ダイアモンド✡ユカイ 2009, p. 70- 「11.走り出したレッズ」より
- ^ ダイアモンド✡ユカイ 2009, p. 72- 「11.走り出したレッズ」より
- ^ a b c ダイアモンド✡ユカイ 2009, p. 76- 「12.映画『TOKYO POP』で世界デビュー」より
- ^ ダイアモンド✡ユカイ 2009, p. 84- 「13.カンヌ国際映画祭でユマ・サーマンをナンパ」より
- ^ a b ダイアモンド✡ユカイ 2009, p. 92- 「14.バラとワイン」より
- ^ ダイアモンド✡ユカイ 2009, pp. 92–93- 「14.バラとワイン」より
- ^ a b c d e Re:Works 2001, p. 2.
- ^ a b RED SONGS 1995, p. 15- 「-解説-」より
- ^ “CASINO DRIVE、入手困難となっていたアルバムの再発商品化目指し“POP”にエントリー”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2022年2月18日). 2023年8月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 帆苅竜太郎 (2015年1月28日). “RED WARRIORSの原動力とも言えるリトライ精神を熱きR&Rに昇華させた快作『CASINO DRIVE』”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2018年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
- ^ “RED'Sナンバーも満載のユカイ・セルフカバーベスト”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2008年12月11日). 2023年8月14日閲覧。
- ^ a b c RED SONGS 1995, p. 17- 「-解説-」より
- ^ a b c d e f g RED SONGS 1995, p. 16- 「-解説-」より
- ^ “Lesson 20 -RED WARRIORS 20th Anniversary Box-|ディスコグラフィ”. 日本コロムビアオフィシャルサイト. 日本コロムビア. 2023年8月12日閲覧。
- ^ “RED WARRIORSのCD+DVD11枚組BOX-SETが登場!”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2007年1月16日). 2023年8月12日閲覧。
- ^ a b c “レッド・ウォーリアーズ / カジノ・ドライヴ [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年8月14日閲覧。
- ^ a b CASINO DRIVE 2007.
- ^ “RED WARRIORS/Lesson 20 RED WARRIORS 20th Anniversary Box〈完全限定生産・5枚組〉 [DVD]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年8月12日閲覧。
- ^ “RED WARRIORS/Lesson 20 -RED WARRIORS 20th Anniversary Box- [5CD+5DVD]<完全生産限定盤>”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年8月12日閲覧。
- ^ “CASINO DRIVE/RED WARRIORS|音楽ダウンロード・音楽配信サイト”. mora. ソニー・ミュージックソリューションズ. 2023年8月27日閲覧。
- ^ “CASINO DRIVE(Lesson 20-RED WARRIORS 20th Anniversary Box-)/RED WARRIORS|音楽ダウンロード・音楽配信サイト”. mora. ソニー・ミュージックソリューションズ. 2023年8月27日閲覧。
参考文献
- 藤沢映子『HAPPY RED WARRIORS』CBS・ソニー出版、1988年12月1日、51 - 236頁。 ISBN 9784789704007。
- 『オリコンチャートブックLP編 昭和45年-平成1年<20年>』オリコン、1990年5月10日、320頁。 ISBN 9784871310253。
- 『RED SONGS BEST SONGS COLLECTION』(CDライナーノーツ)RED WARRIORS、日本コロムビア、1995年、15 - 17頁。COCA-12649。
- 『Re:Works』(CDブックレット)RED WARRIORS、徳間ジャパンコミュニケーションズ、2001年、2頁。TKCA-72208。
- 『CASINO DRIVE』(CDバックカバー、歌詞カード)RED WARRIORS、日本コロムビア、2007年。COZA-51036。
- ダイアモンド✡ユカイ『成りさがり』光文社、2009年3月10日、66 - 93頁。 ISBN 9784334975630。
外部リンク
- Red Warriors - Casino Drive - Discogs (発売一覧)
カジノドライヴ
(CASINO DRIVE から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/07 15:57 UTC 版)
| カジノドライヴ | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
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2008年12月7日 阪神競馬場
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| 欧字表記 | Casino Drive | |||||
| 香港表記 | 娛樂場 | |||||
| 品種 | サラブレッド | |||||
| 性別 | 牡 | |||||
| 毛色 | 栗毛 | |||||
| 生誕 | 2005年3月7日 | |||||
| 死没 | 2019年8月5日(14歳没) | |||||
| 登録日 | 2007年4月25日 | |||||
| 抹消日 | 2011年7月7日[1] | |||||
| 父 | Mineshaft | |||||
| 母 | Better Than Honour | |||||
| 母の父 | Deputy Minister | |||||
| 生国 | (ケンタッキー州) |
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| 生産者 | シェルブラッドストック | |||||
| 馬主 | 山本英俊 | |||||
| 調教師 | 藤沢和雄(美浦北) | |||||
| 厩務員 | 手島正勝 | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 11戦4勝(通算) 7戦2勝(中央競馬) 3戦2勝(アメリカ) 1戦0勝 (UAE) |
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| 獲得賞金 | 6938万6000円(中央競馬) 15万1200ドル(アメリカ) |
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カジノドライヴ (Casino Drive) は、日本中央競馬会に登録されていたアメリカ産の競走馬であり、種牡馬である。 半兄にベルモントステークス勝馬のジャジル、半姉に同じくベルモントステークスとケンタッキーオークス勝馬のラグズトゥリッチズがいる。馬名は一攫千金の旅という意味[2]。
経歴
競走馬デビュー前
2006年のキーンランドセプテンバーセールで多田信尊に95万ドル(約1億450万円)で落札されて日本に輸入された。
その後ファンタストクラブで育成され、2007年の春先に美浦トレーニングセンターの藤沢和雄厩舎に入厩。夏競馬でのデビューを予定していたが、6月に調教のため騎乗した青木芳之を振り払って放馬。その際に馬がつまずいた結果フレグモーネを発症し放牧に出され、デビューが遅れた。
3歳
新馬戦からベルモントステークス挑戦まで
夏に発症したフレグモーネが治癒し、1月に帰厩。新馬戦を2回除外され、その度に鞍上予定が変わるなど順調さを欠いたものの、3回目の登録となった2月23日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦に武豊騎乗でデビューし、2着に2.3秒の大差をつけて初勝利を挙げた。
デビュー後は血統背景・新馬戦での勝ちっぷりが話題となり、半兄・ジャジル、半姉・ラグズトゥリッチズに続くベルモントステークス制覇を期待する声もあり動向が注目されていた。オーナーの山本英俊、調教師の藤沢和雄もベルモントステークス挑戦の意向を示し、4月14日にアメリカ遠征を行うことを正式に発表。同じ藤沢厩舎所属・山本オーナー所有の僚馬シャンパンスコール、スパークキャンドルの2頭を帯同馬として引き連れ、4月30日に渡米した。
渡米後は、JRAに海外出張届を提出し調教のために帯同した騎手の青木芳之らの手によって、ステップレースとなるピーターパンステークスへ向け調整された。鞍上にはデビュー戦に引き続き武豊が予定されていたが、斤量の問題により騎乗できず、藤沢厩舎と馬主に縁のあるケント・デザーモに変更された。そして迎えた遠征初戦、5月10日のピーターパンステークスでは1番人気に支持され、2着に5馬身3/4差をつけて圧勝した。この勝利は日本調教馬によるアメリカダート重賞においての初勝利[注 1]となった。また、騎乗したデザーモは当馬の実力に感激し、本番のベルモントステークスではケンタッキーダービーを無敗で制したビッグブラウンへの騎乗予定があるにもかかわらず、「プリークネスステークスが終わるまで鞍上予定を空けて待っていてほしい」と調教師の藤沢に頼み込んだという。
ピーターパンステークス優勝後に姉のラグズトゥリッチズを所有していたデリック・スミスとマイケル・テイバーが山本英俊に金銭トレードを打診していた事が5月15日に明らかになった。移籍金は1500万ドル(約15億円)となっていたが山本英俊は即座にこの申し入れを断っている[注 2]。
山本オーナーの発案でピーターパンステークスの賞金はアメリカの養護施設へ寄付された[3][4]。
ピーターパンステークスの1週間後に行われたプリークネスステークスでは、デザーモが騎乗するビッグブラウンが優勝し2冠を達成(この時点でベルモントステークスでの当馬へのデザーモの騎乗はなくなる)。シアトルスルー以来31年ぶりの無敗の3冠を狙うビッグブラウンと、2頭の兄姉に続く3連覇を目指す当馬の対決が米国内で大きな注目を集めた。オーナーの山本は米国内での当馬への期待を考慮し、ベルモントステークスでの鞍上を当初予定の武豊から変更しアメリカの騎手に依頼することを5月18日に発表。その後の協議の結果エドガー・プラードを鞍上に迎えることが5月29日に決まった。しかし、騎手が決定し本番へ向けて順調に調教をこなしていた矢先、ベルモントステークス前日の6月6日に左後脚に挫石を発症。陣営は出否の決断をレース当日まで持ち越して治療を行ったものの、当日早朝に大事をとって出走を取り消した[注 3]。
その後6月11日に帯同馬らと共に帰国し、競馬学校で検疫を受けた後はファンタストクラブに放牧へ出され休養に入った。
BCクラシック、JCダート出走
休養を終えて8月16日に一旦函館競馬場に入厩し、8月22日に美浦トレーニングセンターへ帰厩した。当初は9月上旬にブリーダーズカップクラシック出走へ向けて渡米する予定だったが、挫石の影響のため調整が遅れ、渡米日程を変更。9月24日から9月30日までミホ分場で輸出検疫を行い、検疫後の9月30日には、ブリーダーズカップクラシックとそのステップレース両方にビクター・エスピノーザ[注 4]が騎乗することが発表された。
そして10月1日に帯同馬のシャンパンスコールとともに成田空港を出発し、約11時間後にロサンゼルス国際空港に到着。到着後はハリウッドパーク競馬場で検疫を受けた。検疫後の10月12日にピーターパンステークス以来の実戦となったサンタアニタ競馬場で行われた条件戦に出走し、単勝1.4倍の1番人気の支持に応え勝利した。
その条件戦から中1週で臨んだブリーダーズカップクラシックでは、好スタートからハナに立つも最終コーナーから徐々に後退し最下位に敗れた。
レース後は当初11月2日に帰国予定だったが、帯同馬のシャンパンスコールが11月5日に一般競走に出走したため帰国を延期し11月10日に帰国。帰国後は競馬学校で5日間の輸入検疫を受け、その後阪神競馬場に移動し3週間の着地検査[注 5]を受けることになった。阪神競馬場での検疫が決まったことで、陣営はジャパンカップダートに出走登録を行った。ジャパンカップダート登録前時点で当馬は重賞馬ながら中央競馬では1600万下クラスの条件馬であり、出走登録した日本馬38頭の賞金順では最下位であったが、当年からレーティング上位5頭に優先出走権が与えられることにより、当馬のレーティング113ポンドは4位にランクインし出走権を獲得した。同時に鞍上は安藤勝己に乗り替わることも11月24日に発表された。
ヴァーミリアン、サクセスブロッケンに次ぐ3番人気に支持されたジャパンカップダートでは、道中好位を進み楽な手ごたえで直線に入るも、伸びきれず6着に敗れた。
4歳・5歳
フェブラリーS、ドバイWC出走
2009年、明け4歳となったカジノドライヴは、前述の通り1600万円以下条件にクラス分けされていた為、1月24日のアレキサンドライトステークス(1600万円以下条件)に引き続き安藤勝己が騎乗して出走した。レースでは最終直線であっさりと抜け出して勝利し日本国内ではデビュー戦以来の2勝目を挙げ、オープン馬となった。
レース後の1月27日にミホ分場に短期放牧に出されて2月10日に帰厩し、2月13日にドバイワールドカップへ選出を受諾し、出走馬決定順で17番目の次点だったためフェブラリーステークスに出走せずに同競走へ直行する予定であった。しかしダイワスカーレットの引退とロールオブザダイスの回避によりフェブラリーステークスに出走可能となったため、当初の予定を変更して出走することになった。前走で騎乗した安藤勝己は当初ダイワスカーレットに騎乗する予定であったためミルコ・デムーロに依頼するが、ダイワスカーレットが回避することになったため、引き続き安藤勝己と共に挑むことになった。迎えた2月22日のレースでは手ごたえ良く先頭へ躍り出るも、外側からサクセスブロッケンに交わされて2着と惜敗した。 フェブラリーステークス後の2月24日に再びミホ分場に移動して6日間の輸出検疫を受けて、当初は帯同馬無しでドバイに遠征する予定であったが、関西馬のバンブーエールがドバイゴールデンシャヒーンに選出されたため、共に美浦トレーニングセンターで検疫を受け3月16日の成田空港発のチャーター便で出国した[5]。ドバイワールドカップでの鞍上は当初ピーターパンステークスで騎乗したケント・デザーモに騎乗を打診したが当日はフロリダダービーに騎乗するために断られ、オーナーの希望により引き続き安藤勝己で挑むことになった[6][7]。そして迎えた3月28日のドバイワールドカップでは8着という結果に終わり、レース後の4月2日に同じくドバイ遠征を行っていたウオッカとバンブーエールと共に関西国際空港に帰国し、検疫のために三木ホースランドパークに入厩した[8]。しかし、その後左前脚に重度の屈腱炎を発症していることが発覚。5月1日にJRA競走馬総合研究所常磐支所へ移動し、幹細胞移植の手術を受けることになった[9]。
6歳
2011年3月6日の仁川ステークスで1年11カ月ぶりに実戦復帰。道中絶好の手応えで2番手を追走し直線入口で先頭に立ったが失速し9着に敗れた。5月1日のアハルテケステークスでは好位追走から3〜4コーナーで逃げるトーホウオルビスに馬なりのまま並び掛けたが後方待機していたブライトアイザックにかわされて3着。5月29日のつばさ賞では1番人気に支持され、道中好位追走も直線で伸びず8着に終わった。この競走を最後に競走馬を引退。社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることになった[10]。
競走成績
| 年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 [kg] |
距離(馬場) | タイム (上り3F) |
タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | |||
| 2008. | 2. | 23 | 京都 | 3歳新馬 | 13 | 6 | 8 | 1.2 | (1人) | 1着 | 武豊 | 56 | ダ1800m(良) | 1:54.4 (37.1) | -2.3 | (コパノアコチャン) | |
| 5. | 10 | ベルモント | ピーターパンS | G2 | 9 | 1 | 4.5 | (1人) | 1着 | K.デザーモ | 52.6 | ダ9F(重) | 1:47.9(計不) | -1.0 | (Mint Lane) | ||
| 10. | 12 | サンタアニタ | 条件戦 | 7 | 2 | 1.4 | (1人) | 1着 | V.エスピノーザ | 52.6 | AW8.5F(良) | 1:42.1(計不) | -0.2 | (Dakota Phone) | |||
| 10. | 25 | サンタアニタ | BCクラシック | G1 | 12 | 2 | (4人) | 12着 | V.エスピノーザ | 55 | AW10F(良) | 2:02.5(計不) | 3.2 | Raven's Pass | |||
| 12. | 7 | 阪神 | ジャパンCダート | GI | 15 | 6 | 11 | 7.1 | (3人) | 6着 | 安藤勝己 | 56 | ダ1800m(良) | 1:49.7 (36.9) | 0.5 | カネヒキリ | |
| 2009. | 1. | 24 | 中山 | アレキサンドライトS | 1600万下 | 11 | 8 | 10 | 1.2 | (1人) | 1着 | 安藤勝己 | 56 | ダ1800m(不) | 1:49.9 (35.3) | -0.6 | (ダイワルビア) |
| 2. | 22 | 東京 | フェブラリーS | GI | 16 | 7 | 14 | 5.0 | (3人) | 2着 | 安藤勝己 | 57 | ダ1600m(稍) | 1:34.6 (35.6) | 0.0 | サクセスブロッケン | |
| 3. | 28 | ナドアルシバ | ドバイワールドC | G1 | 14 | 8 | 8着 | 安藤勝己 | 57 | ダ2000m(良) | 2:05.5(計不) | 4.4 | Well Armed | ||||
| 2011. | 3. | 6 | 阪神 | 仁川S | OP | 14 | 7 | 11 | 4.0 | (2人) | 9着 | 藤田伸二 | 55 | ダ2000m(良) | 2:05.6 (39.0) | 1.9 | ワンダーアキュート |
| 5. | 1 | 東京 | アハルテケS | OP | 16 | 4 | 8 | 4.1 | (2人) | 3着 | 安藤勝己 | 55 | ダ1400m(良) | 1:24.3 (36.2) | 0.4 | ブライトアイザック | |
| 5. | 29 | 東京 | つばさ賞 | OP | 16 | 1 | 2 | 2.5 | (1人) | 8着 | 安藤勝己 | 55 | ダ1400m(不) | 1:23.9 (37.2) | 0.2 | トーホウオルビス | |
種牡馬時代
2018年以降種付けは休養、2019年8月5日死亡した[12][13]。
産駒は主に地方競馬で走っており、コンスタントに重賞に勝利している。中央競馬の重賞は2019年にヴェンジェンスがみやこステークスを[14]、2021年にメイショウカズサがプロキオンステークスに勝利している。また、カジノフォンテンが交流GIの川崎記念とかしわ記念に勝利し、種牡馬となっている。
主な産駒
- 2013年産
- 2014年産
- 2015年産
- アウトスタンディン(2018年黒潮菊花賞)
- 2016年産
- 2017年産
- 2018年産
母父としての主な産駒
- 2018年産
- トーセンジェイク(2021年黒潮菊花賞)
- 2023年産
- ダバイシュクレ(2026年佐賀若駒賞)
血統表
| カジノドライヴの血統シアトルスルー系 / アウトブリード | (血統表の出典) | |||
|
父
Mineshaft 1999 黒鹿毛 |
父の父
A.P. Indy1989 黒鹿毛 |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
| My Charmer | ||||
| Weekend Surprise | Secretariat | |||
| Lassie Dear | ||||
|
父の母
Prospectors Delite1989 鹿毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native | ||
| Gold Digger | ||||
| Up the Flagpole | Hoist the Flag | |||
| The Garden Club | ||||
|
母
Better Than Honour 1996 鹿毛 |
Deputy Minister 1979 黒鹿毛 |
Vice Regent | Northern Dancer | |
| Victoria Regina | ||||
| Mint Copy | Bunty's Flight | |||
| Shakney | ||||
|
母の母
Blush with Pride1979 栗毛 |
Blushing Groom | Red God | ||
| Runaway Bride | ||||
| Best in Show | Traffic Judge | |||
| Stolen Hour F-No.8-f | ||||
血統背景
父マインシャフトは遅咲きながら、アメリカの年度代表馬に輝いた。母ベターザンオナーはアメリカG3の勝ち馬で、繁殖入り後はベルモントステークス勝馬のジャジル(父シーキングザゴールド)、同じくベルモントステークスなどG1競走4勝のラグズトゥリッチズ(父エーピーインディ)の2頭のG1競走優勝馬のほか、2009年のブリーダーズカップ・マラソン優勝馬マンオブアイアン(父ジャイアンツコーズウェイ)を輩出。当馬とあわせて4頭の重賞優勝馬の母となっている。また遠縁にはフサイチパンドラや、アーモンドアイ、トライマイベストなどもいる
脚注
注釈
- ^ 元日本調教馬がアメリカの厩舎に移籍後、ダートのG3競走で優勝した例はある(2004年フェスティバルによるダリアハンデキャップ、2007年ユートピアによるウェストチェスターハンデキャップ )。また、前田幸治氏所有(ノースヒルズマネージメント生産)であった日本産アメリカ調教馬(カジノドライブはアメリカ産日本調教馬)のサンデーブレイクは2002年のピーターパンステークス優勝馬である。
- ^ 2人とも日本中央競馬会の馬主の資格はないため、トレードの場合は海外へ転厩する可能性もあった。
- ^ ライバルと目されたビッグブラウンも蹄の故障に悩まされ、何とかベルモントステークスに出走したものの最下位(記録上は競走中止)に終わった。
- ^ エスピノーザは当初当馬のデビュー戦に騎乗する予定だったが、サンタアニタ競馬場の排水トラブルの影響から来日を断念していた。
- ^ 「滞在競馬場での着地検査中に限れば、滞在競馬場でのみ出走が許可される」という規定を利用したものである。
出典
- ^ “カジノドライヴ引退、種牡馬に”. ラジオNIKKEI. 2022年7月31日閲覧。
- ^ “公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル”. www.studbook.jp. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “藤沢和師「大成させられなかった馬が何頭も」で思い出す虎模様のメンコ | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “【馬三郎・弥永】山本オーナーのタイガーマスク秘話”. uma-jin.net. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “カジノドライヴ号・バンブーエール号がドバイに遠征”. JRA (2009年3月17日). 2009年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月5日閲覧。
- ^ “カジノドライヴが安藤勝騎手とコンビ継続でドバイへ”. uma-jin.net. UMAJINニュース UMAJIN.net (2009年3月11日). 2022年2月3日閲覧。
- ^ “アンカツドライヴでドバイ制覇だ!”. スポーツニッポン. (2009年3月11日) 2022年2月3日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “ウオッカ号・カジノドライヴ号・バンブーエール号がドバイから帰国”. JRA (2009年4月2日). 2009年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月5日閲覧。
- ^ “カジノドライヴ屈腱炎…幹細胞移植の手術へ”. サンケイスポーツ. (2009年5月4日). オリジナルの2009年8月29日時点におけるアーカイブ。 2009年5月4日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “カジノドライヴが引退、社台SSで種牡馬入り | 競馬ニュース”. netkeiba.com (2011年7月5日). 2011年7月5日閲覧。
- ^ “カジノドライヴ死す。アメリカ遠征時、藤沢和雄がとった一見奇妙な行動とは……(平松さとし) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “2019年供用停止馬情報”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2020年3月3日閲覧。
- ^ “2019年の供用停止種雄馬一覧”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “09年フェブラリーS2着 カジノドライヴ、昨夏に14歳で死亡していた”. スポーツニッポン. (2020年3月4日) 2022年2月4日閲覧。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “種牡馬情報:種牡馬成績 |カジノドライヴ(USA)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月24日閲覧。
- ^ “ノーブルサターン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月7日閲覧。
外部リンク
- カジノドライヴ特集 - JRAレーシングビュアー(中央競馬ピーアール・センター)
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- カジノドライヴ(USA) - 競走馬のふるさと案内所
固有名詞の分類
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