国鉄485系電車
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| 国鉄485系電車 (481系・483系・485系・489系) |
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国鉄485系電車「しらさぎ」
(2001年8月12日 新疋田駅 - 敦賀駅間) |
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| 基本情報 | |
| 運用者 | 日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
| 製造所 | 川崎車両→川崎重工業 日立製作所笠戸事業所 日本車輌製造 東急車輛製造 汽車製造 近畿車輛 |
| 製造年 | 1964年 - 1979年 |
| 製造数 | 1453両 |
| 運用開始 | 1964年12月25日 |
| 運用終了 | 2017年3月3日(定期) 2022年12月11日(臨時) |
| 主要諸元 | |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電気方式 | 直流1500 V 交流20000 V(50 Hz・60 Hz) |
| 最高運転速度 | 120 km/h* |
| 設計最高速度 | 160 km/h |
| 起動加速度 | 1.3 km/h/s(MT比1:1)- 1.6 km/h/s(同2:1) |
| 車体 | 普通鋼 |
| 台車 | DT32・TR69 インダイレクトマウント空気ばね台車 |
| 主電動機 | MT54形直流直巻電動機 |
| 主電動機出力 | 120 kW × 4軸 |
| 駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
| 歯車比 | 22:77(1:3.50) |
| 定格速度 | 72.0 km/h(全界磁) 116.0 km/h(40 %界磁) |
| 制御方式 | 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
| 制御装置 | CS15系制御器 |
| 制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ |
| 保安装置 | ATS-S(登場時) ATS-P(一部) ATC-L(3000番台の一部) |
| 備考 | * 基本値。湖西線・ほくほく線にて 130 km/h、津軽海峡線で140 km/h運行を実施。 |
485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。 本項では、交流60 Hz対応の481系電車・交流50 Hz対応の483系電車、ならびに交流50 Hz / 60 Hz対応の485系電車を基本に信越線の協調運転にも対応した489系電車についても解説を行う。
概要
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)から関西対北陸・九州向け特急用に直流/交流60 Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東対東北用に直流/交流 50 Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50 Hz・60 Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として、信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は、新幹線連絡特急などで運用された。北海道にも投入されたが、同地の冬期の極寒と乾燥度の高い雪による故障が頻発し(→詳細は#1500番台を参照)、道内専用形式781系と交代する形で撤退した(その後、青函トンネル開業に伴う乗り入れで道内運用は復活している)。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、1990年代以降はジョイフルトレインへの改造車も登場した。しかし、2000年代に入ると後継車両への置き換えや老朽化に伴う廃車が進行し、2017年3月3日に全ての定期運用を終了[1]。2022年(令和4年)12月11日、最後まで残っていた「リゾートやまどり」編成が退役し同月28日付で廃車され[2]、これをもって485系は形式消滅した。
登場の経緯
国鉄初の特急型直流電車である151系(旧20系電車)は、1958年11月1日より東京 - 大阪・神戸間特急「こだま」として運転を開始した[3]。151系とほぼ同時に急行型の153系(旧91系)も東京 - 名古屋・大垣間準急「東海」に投入された[3]。
交直流電車では急行型の451系が、1962年10月1日より上野 - 仙台間急行「みやぎの」で運転を開始したが、特急型は当初151系電車を交直流仕様にした車両を新製投入することが検討されており、451系電車と同時に上野 - 仙台間の特急として投入する予定であった[3]。しかし、東海道新幹線開業で余剰となる151系電車に交直流化改造を施工する計画があったため[注 1]、既存車両を活用する配慮から新製計画は凍結となった[3]。だが、新幹線の開業を機に方針が特急列車網整備へ再転換となり、151系電車の交直流化改造は見送られ、山陽本線や上越線に転用された[3]。
この結果、一旦は見送られた交直流特急型電車新製計画が再開[3]。1964年12月25日からは北陸本線系統で交流60 Hz用の481系が、1965年10月1日からは東北本線系統で交流50 Hz用の483系が営業運転を開始した[3]。
構造
※本項では基本構造について解説を行う。詳細な設計変更は各項目を参照のこと。
車体
外観は151系の流れを踏襲しており、制御車先頭部は同様のボンネット型を採用した。なお、1972年以降製造の中期型では、ほぼ同時期に登場した183系と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10 mm高い1230 mmとし、屋根高さも151系に比べて120 mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合わせるため、扉部にはレール面970 mmの高さにステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区への投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また、側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では電動自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期型以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。
冷房装置は、初期型ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケース[注 2]に収め、先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただし、パンタグラフを搭載する中間電動車(モハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形)は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係から、屋根上へのAU12形搭載数は3基に制限され、不足する冷房能力は車内機器室に床置形のAU51形を3基搭載することで補っている。なお、中期型以降では大幅に変更された(詳細は後述)。
主要機器
制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系からの一貫した間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載するが、対応する商用周波数や製造時期などにより、若干の差異がある。
主電動機は、定格出力120 kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載した[4]。歯車比を22:77(1:3.50)とすることで、MT比1:1組成でも20 ‰程度の勾配を登坂可能となり、経済性が向上した。最高運転速度は120 km/hとされた。
台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気ばね台車DT32A形を電動車に、TR69A形を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。
パンタグラフは、設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの[5]、直流区間では離線対策から2基搭載使用となった[注 3]。国鉄末期以降は、130 km/h運転を実施していた湖西線を除いて、架線の損耗減少対策から原則として第2パンタグラフを使用中止もしくは撤去した。ただし、JR東日本の一部車両では架線の霜取りを目的に引き続き2基使用していた。
編成全体のサービス電源用電動発電機(MG)ならびに空気圧縮機(CP)は、調理用電熱器による電力消費量を確保するため、食堂車のサシ481形が自車給電用として定格容量70 kVAのMGを床下に搭載するほかは、151系以来の「騒音発生源を客室からできるだけ遠ざける」という設計思想をそのまま反映し、MG・CPとも先頭となる制御車のボンネット内に搭載された。容量ならびに搭載位置は製造年次で異なるほか、制御車の形状変更や後の3MG・CP化により付随車にも搭載されたほか、1980年代半ば以降は短編成化によりMG・CP未搭載のクハ480形や、廃車発生品のMG・CPを搭載する改造車番台区分も存在した。
- 詳細は各系列・改造車の項目を参照のこと。
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新造車
横川 - 軽井沢間の碓氷峠用の協調運転専用機器を搭載する489系を除き、主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は483系・485系においても481形が引続き増備された[注 4]。
481系電車
1963年4月より471系により運行を開始した北陸本線の電車急行列車は利用が好調であったことから、1964年度には大阪・名古屋と富山を結ぶ電車特急列車の新設が決定。交流60 Hz対応の交直流特急電車として、1964年に481系が登場した[4]。1964年8月の北陸本線金沢 - 富山操車場(現在:富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」として製造され、同年12月25日より運用を開始した[6]。
北陸特急用には、1964年にモハ481形・モハ480形電動車ユニットが11組22両と制御・付随車が計19両で11両編成×3本と予備車8両の計41両が新製された。翌1965年には、151系電車で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の置換え用として、11両編成×5本と予備車1両の計56両が増備された。新製時には向日町運転所(→京都総合運転所→現:吹田総合車両所京都支所)へ集中配置され、北陸特急と山陽・九州特急での広域運用が実施された[7]。
151系は系列内に10種類の形式が用意されたが、481系では運用効率などの観点から、制御車のクハ481形、電動車のモハ481形およびモハ480形、1等車(後のグリーン車)のサロ481形、食堂車のサシ481形の5形式に集約された[8]。運用開始時の編成は、1等車を2両、食堂車1両を組み込んだ11両編成とされた[注 5]。
制御車の前面形状は、151系「こだま形」に準じたボンネットスタイルとなった[4]。ボンネットの内部は151系同様に機器室とされ、三相交流440 V・60 Hz、定格容量150 kVAを出力するMH93-DM55A型電動発電機(MG)と容量2950 L/minのMH92B-C3000A型空気圧縮機(CP)を搭載した[10]。ボンネットの側面下部には通風グリルが設けられ[9]、クハ151形の2箇所から3箇所に増設された。後の483系・485系・489系を含めたボンネット先頭車は、製造時期およびメーカーにより、先頭車部・乗務員室側窓窓枠の形状、乗務員室側窓後部に見られる水切り落とし込み部の角度・寸法に若干の差異が存在する。
運転台は後方に監視窓を設置するものの、屋根への造形が若干異なる。車体高さが高くなった分を尾灯下の裾部寸法を切り詰めることで調整し、運転室上部高さは151系と同じ3,880 mmとされた[4]ほか、前灯横左右のマーカーライト[注 6]が省略された。また、新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守が困難なため、後述の増備車も含めて大半が1970年代前半に撤去された。また、当初は後方防護用として編成最後部となる場合には下部前照灯に赤色フィルターを取付たほか、不時停車時用に交互点滅回路が搭載されたが、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
車体塗装は赤2号とクリーム4号のいわゆる「国鉄特急色」である[7]。クハ481形のうち1964年新製車のクハ481-1 - 8は直流形の151系との区別のため運転台下部のスカートが赤に塗られたが、1965年増備車のクハ481-9 - 18はボンネットに「ひげ」が入れられ、東北特急用483系の登場により50 Hz・60 Hzを識別するためスカートが赤とクリーム帯の塗り分けとなった[11]。後に1 - 8も同様の塗色に変更された。
座席は161系と同じで、1等車(後のグリーン車)がリクライニングシートのR24形、2等車(後の普通車)が回転クロスシートのT17系とされた[4]。
サロ481形 (1 - 18) は1等車で、客室定員は48名。レイアウトは151系電車と異なり、前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所とされた。
サシ481形 (1 - 9) は食堂車。調理に使用する電熱機器類ならびに冷房装置対応用として、定格容量70 kVAの自車給電用MGを床下に搭載する[12]。基本構造はサシ151形に準ずるが、回送運転台を調理室側妻面にも設置したほか、当初からFRP製椅子を採用するなどの相違点がある。旅客用の乗降扉はないが、物資積み込み用に外吊り式の引戸が設けられた[9]。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。
本グループ97両は、山陽新幹線博多開業の1975年3月10日ダイヤ改正で全車九州の鹿児島運転所(現在:鹿児島車両センター)へ転出。クハ481形 (1 - 18) は九州地区へ転出した後に赤アクセントが省略されたが、1985年の常磐線特急「ひたち」増発に伴う転用前後にスカート部がクリーム色へ変更され、「ひげ」も復元された。
電動車のモハ481形・モハ480形ユニット (1 - 26) は、国鉄末期の1985年12月までに全車廃車となった[13]。サシ481形・サロ481形も国鉄時代の1981年、1985年にそれぞれ全車廃車となったが、クハ481形は全車がJR東日本へ継承された[13]。クハ481形は訓練車編成に組成された車両を除き1997年までに廃車、最後まで残存した17も2007年に廃車となった。
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 4 | 5 - 8 |
| 39年第4次債務 | 1965 | 9 - 14 | 15 - 18 |
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 | 6 - 11 |
| 39年第4次債務 | 1965 | 12 - 20 | 21 - 26 |
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 | 汽車会社 |
|---|---|---|---|---|---|
| 向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 7 | ||
| 39年第4次債務 | 1965 | 8 - 13 | 14 - 18 | ||
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|
| 向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 |
| 39年第4次債務 | 1965 | 6 - 9 |
483系電車
クリームスカート車
東北地区用タイフォン移設工事施工済
1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴い、80系気動車で運転されていた盛岡発着の特急「やまびこ[注 7]」、仙台発着の特急「ひばり」の電車化用として、1965年 - 1966年に仙台運転所(現:仙台車両センター)へ集中配置された、交流50 Hzに対応したモハ483形・482形とした、電動車のみ、計52両のグループである。
481系との大きな差異は搭載する主変圧器で、その他の基本構造は共通である。主変圧器は453系で採用されたTM9である。
クハ481形先頭部の塗り分けは481系に準じた「ひげ」が標記されたが、スカートは50 Hz対応の識別のため、クリーム色に塗られた[8]。クハ481-26はボンネット下部の通風グリルが3箇所から2箇所に変更されている。クハ481-19・20・22・24は1982年(昭和57年)の東北新幹線開業による九州地区への転用後に赤ひげが消されたが、1985年(昭和60年)以降、常磐線「ひたち」への再転用後に復元された。
分割民営化時にはクハ481形(19 - 28)の全車がJR東日本に承継され、営業用車は1999年(平成11年)までに、訓練車に転用された24・26の2両も2007年(平成19年)までに廃車になった。21・28はジョイフルトレイン「華」の先頭車に改造されて2022年(令和4年)まで運用されていた。
モハ483形・モハ482形(1 - 15)のうち、12 - 15はJR東日本に承継され、1990年(平成2年)に廃車された。サロ481形(19 - 25)は1968年(昭和43年)から投入される奥羽本線板谷峠の急勾配対策としてMT比の変更(T車の減車)により、全車がクロ481形50番台へ改造された。サシ481形(10 - 14)は新製配置された仙台運転所から転属することなく、1981年(昭和56年)から1984年(昭和59年)にかけて廃車となった。
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|
| 仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19・20 | 21 - 26 |
| 39年第5次債務 | 1967 | 27・28 |
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 汽車会社 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|---|
| 仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 1 - 4 | 5 - 8 | |
| 39年第5次債務 | 9・10 | 11 - 13 | |||
| 40年第2次民有車両 | 1966 | 14・15 | |||
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 汽車会社 |
|---|---|---|---|
| 仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19 - 22 |
| 39年第5次債務 | 23 - 25 |
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|
| 仙台 | 39年第1次民有車両 | 1965 | 10 - 13 |
| 39年第4次債務 | 14 |
485系電車
電動車ユニットを交流50 Hz・60 Hz共用とし、国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・モハ484へ変更したグループで、1968年から1979年まで製造された。
製造期間は長期に及んだため、その間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)変圧器油の毒性が問題[注 8]となったため、新造車では1974年(昭和49年)製の1500番台から変圧器油にシリコーン油を使用したTM20形に変更。それ以前の車両も順次交換が施工された。
初期型(1968年 - 1972年)
従来は商用周波数の違いにより主変圧器が異なったため、車両形式も50 Hz用と60 Hz用で別々に起こされていたが[注 9]、交流電化区間の拡大に伴って、全国規模の広域転属や3電源区間の直通運転が要望されるようになった[14]。1968年に全国で使用可能な50・60 Hz両用の主変圧器が開発されると、1968年10月の「ヨンサントオ」改正向けに投入する特急形電車にも搭載されることになり、481系・483系を統合した3電源対応版として1968年7月に登場したのが485系である[14]。
485系の形式となったのは電動車のモハ485・484形のみで、制御車や付随車は引き続き481系と共通とされたが、以後の増備車両は485系と総称されるようになった[15]。電動車以外では、東北特急「やまばと」「あいづ」用にクロ481形が登場している。1970年には東北特急「ひばり」「やまびこ」12両化用として、サハ481形が登場した。
車体は耐候性に優れる高張力鋼が採用され、車内の天井板はメラミン化粧板が使用された[14]。客用側扉はステンレス化され、戸袋部にレールヒーターが設置された。481系・483系で準備工事であった行先表示器は583系とともに本使用が開始されたほか、車側表示灯が食堂車を除いて車体端から車体中央寄りに移動された[14]。サシ481形 (15 - 39) は、客室窓のカーテンがベネシャンブラインド内蔵の二重窓に変更された[14]。クハ・クロ481形のスカートは483系と同じくクリーム色とされた[14]。
主変圧器は、50/60 Hz両用のTM14とされた[14]。直流区間を含めて3電源対応となったことから「走る変電所」とも通称された[16]。主電動機はMT54B、主制御器はCS15E、パンタグラフはPS16H形2基となり、いずれも耐寒耐雪性能の向上が図られている[14]。
ヨンサントオ改正では電車特急の120 km/h運転が実施されるため、ブレーキ率の向上が図られた[14]。ブレーキ弁は直通ブレーキのシリンダ圧を向上したME38AE2、ブレーキ制御装置は電動車がC1AE、付随車がC2AEとなった[14]。また、東北特急は所要時間短縮のために交直地上切換方式の駅である黒磯駅を通過するため、制御車(クハ・クロ)に交直車上切換用選別子が設置された[14]。
ヨンサントオ改正での奥羽本線特急「やまばと」・磐越西線特急「あいづ」電車化にあたり、板谷峠急勾配区間でのMT比2:1の確保と、磐越西線でのホーム有効長の問題から、食堂車と1等車を同時連結した6M3Tの9両編成とすることになり、クロ481形 (1 - 5) が日本車輌製造で製造された。定員は36名で、車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する[17]。また、既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため、全長はクハ481形0番台よりも短い21,100 mmとなった。
クハ・クロ481形のうち1969年(昭和44年)の増備車(クハ481-30 - 40、クロ481-5)からはボンネット下部の通風グリルのスリットが横型から縦型に変更された[11]。また、後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。新幹線博多開業後の1975年以降に九州へ転出した車両は「ひげ」が省略されたが、1985年3月改正で常磐線へ転用された車両(31・32・34・36・38・40)は「ひげ」が復活している。
1971年にはボンネット車のマイナーチェンジ車としてクロ481・クハ481形100番台が登場した。MGを583系で用いた容量210 kVAのMH129-DM88形として床下へ移設[18]、先頭車内部の搭載機器はCPのみとした。前照灯を白熱灯からシールドビームに変更、ボンネットの冷却用外気取入口にダクト状のカバーを装着した。クハ481・クロ481とも1972年(昭和47年)増備の102以降はタイフォンの設置位置がスカート部からボンネットに変更された(後に101も移設)。クハ481-109は1972年5月に60 Hz用赤スカート塗装で落成し、東北特急で運用後に同年9月に青森から向日町へ転出した。
1972年(昭和47年)製造車(MM'ユニット62 - 96・クハ481-105 - 126・サハ481-14・サロ481-36 - 51・サシ481-29 - 39)は台車の枕ばねをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。
クロ481形0番台 (1 - 5) は1・2が1975年に九州へ転出、3 - 5は1983年にクハ481形600番台へ改造されて九州へ転出し、全車とも分割民営化時にはJR九州に承継された。クハ481-602は1988年にクロ481-4に復元されたが、各車とも1995年(平成7年)までに全車廃車となった。クロ481形100番台 (101 - 104) は1982年に全車が九州へ転出、JR九州に承継され1996年までに全廃となった。
クハ481形0番台 (29 - 40)は、分割民営化時にはJR東日本とJR九州に承継されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本ではジョイフルトレインの種車となった車両を除き2000年(平成12年)までに廃車された。クハ481形100番台 (101 - 126) は、102がJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、いずれも2004年(平成16年)までに全車廃車となった。
モハ485形・モハ484形 (1 - 96) は、分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年(平成6年)までに、JR東日本では訓練車に改造されたモヤ484-2(旧モハ484-61)が2007年(平成19年)に、JR西日本では2011年(平成23年)にそれぞれ廃車となり区分消滅した。サハ481形 (1 - 14) は、国鉄時代に一部がサハ489形やクハ480形に改造され、未改造車はJR九州に継承されたが、2000年までに全車廃車となった。
サロ481形 (26 - 51) は国鉄時代に3両がサロ181形1050番台へ、4両がクロ480形へ改造された。未改造車は民営化時にJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州に承継されたが、JR北海道では1990年に、他社はJR西日本を最後に2001年に全廃された。サシ481形 (15 - 39) は全車国鉄時代に廃車された。
JR東日本で訓練車に転用されていた編成のうち、モヤ484-2は営業仕様のモハ484-61に復元され、クハ481-26とともにさいたま市の鉄道博物館で保存されている[16]。JR九州継承車はクロ481-5を格下げ改造したクハ481-603が九州鉄道記念館に保存されている。
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 東急車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 仙台 | 42年第2次債務 | 1968 | 29 | |||
| 43年第4次債務 | 1969 | 30 | ||||
| 向日町 | 31・32 | 33・34 | ||||
| 43年第5次債務 | 35・36 | |||||
| 44年民有車両 | 1970 | 37・38 | ||||
| 45年第1次債務 | 1971 | 39・40 | ||||
| 車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 九州地区転属 | クハ481改造 | 廃車日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 日車 | 42年第2次債務 | 1968.6.3 | 仙台 | 1975.5.30 南福岡 |
1993.4.23 鹿児島 |
||
| 2 | 1968.6.4 | 1975.6.6 南福岡 |
||||||
| 3 | 1968.6.6 | 1983.10.5 鹿児島 |
601 | 1993.11.7 鹿児島 |
||||
| 4 | 1968.6.6 | 602 | 1993.3.24 鹿児島 |
1988.12.4 クロ481-4に復元 |
||||
| 5 | 43年第4次債務 | 1969.6.27 | 1983.10.31 鹿児島 |
603 | 1995.3.24 南福岡 |
九州鉄道記念館 静態保存車 |
| 車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 南福岡転属 | 鹿児島転属 | 廃車日 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 101 | 日車 | 45年第2次債務 | 1971.6.30 | 仙台 | 1982.12.2 | 1988.3.7 | 1995.3.24 |
| 102 | 東急 | 46年本予算 | 1971.12.23 | 1982.10.2 | 1988.3.2 | ||
| 103 | 日立 | 1971.12.22 | 1982.9.25 | 1988.3.1 | 1995.10.5 | ||
| 104 | 46年第1次債務 | 1972.2.24 | 1982.10.15 | 1988.2.27 | 1996.3.31 |
| 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 川崎重工業 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 仙台 | 45年第2次債務 | 1971 | 101 | |||
| 46年本予算 | 102 | 103 | ||||
| 46年第1次債務 | 1972 | 104 | ||||
| 青森 | 46年第2次債務 | 125・126 | 109・110・113 - 118 | |||
| 向日町 | 105・106 | 119 - 124 | 107・108 | 111・112 | ||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 汽車会社 | 川崎重工業 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1968 | 仙台 | 1 - 12 | 13 - 17 | ||||
| 1969 | 18 - 20 | ||||||
| 向日町 | 24 - 27 | 28 - 30 | 21 - 23 | ||||
| 1970 | 仙台 | 34 - 36 | 37 - 43 | ||||
| 向日町 | 31 - 33 | ||||||
| 1971 | 仙台 | 50 - 53 | 54 - 57 | 47 - 49 | |||
| 向日町 | 44 - 46 | ||||||
| 1972 | 仙台 | 58 - 61 | |||||
| 向日町 | 62 - 64 | 82 - 88 | 65 - 67 | 72 - 74 | |||
| 青森 | 89 - 96 | 68 - 71 75 - 81 |
|||||
| 製造年次 | 新製配置 | 日本車輌 | 汽車会社 | 東急車輛 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1970 | 仙台 | 1 - 5 | 6 - 10 | ||
| 1971 | 11 | 12 | 13 | ||
| 1972 | 14 | ||||
| 製造年次 | 新製配置 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 東急車輛 | 日本車輌 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1969 | 向日町 | 26・27・30・31 | 28 - 29 | |||
| 1970 | 34・35 | 32・33 | ||||
| 1972 | 41・42 | 46 - 49 | 36・37 | 38・39 | ||
| 青森 | 40・43 - 45 | 50・51 | ||||
| 製造年次 | 新製配置 | 近畿車輌 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 川崎重工業 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1968 | 仙台 | 15・16 | 17 - 20 | |||
| 1969 | 21 | |||||
| 向日町 | 22 - 24 | |||||
| 1970 | 26 | 25 | ||||
| 1971 | 仙台 | 28 | 27 | |||
| 1972 | 29 | |||||
| 向日町 | 36・37 | 31 | 30 | 33 | ||
| 青森 | 38・39 | 32 | 34・35 | |||
中期型(1972年 - 1973年)
電車特急網の整備が全国に進むと、将来的には電車急行のような分割・併合運転が電車特急でも行われることが予想された[19]。1972年10月の羽越本線新津 - 秋田間電化で日本海縦貫線特急「白鳥」「いなほ」電車化用に投入された62両以降は、同年6月に登場した直流特急形の183系に準じた前面貫通構造の採用と冷房装置の変更などの設計変更が行われることになり、485系200番台と称されるグループが登場した[19]。向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。
| モハ485 | モハ484 |
|---|---|
| 97 | 201 |
| ↓ | |
| 135 | 239 |
| 136 | 601 |
| 137 | 240 |
| ↓ | |
| 145 | 248 |
| 146 | 602 |
| 147 | 249 |
| ↓ | |
| 206 | 308 |
クハ481形は分割併合を考慮した前面貫通形を採用し、200番台に番台区分された[20]。連結面車体長も21000 mmと短縮されたが、定員はボンネット車より8名多い64名となった[20]。運転台からの後方監視窓はない。前頭部の連結器はボンネット車の並形自動連結器に代わり、中間車と同じ密着連結器が採用された[19]。
貫通路の構造はクハネ581形・クハネ583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すものであるが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。運転室への昇降は201 - 220がはしご式、221以降が階段式であるほか、階段式車では客室から乗務員室へのドアを右側にオフセットする設計変更が行われた。
青森配置車の203・204[注 10]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた[21]。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされただけに留まり、1976年には撤去されている[注 11]。
冷房装置は、モハ484形は1基で1両全体を冷房できるAU71A形集中式冷房装置へ、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更された[19]。モハ484形は集中式冷房装置への変更に伴い平天井となり、AU41形を設置する機器室と業務用室が廃止されたことで定員が8名増加、72名となり、200番台 (201 - 308) に区分された[22]。
台車は空気ばねをダイヤフラム式としたDT32E・TR69Eが当初より使用された[21]。クハの床下には210 kVAのMGと容量を2000 L/minへ変更したMH113-C2000形CPが搭載された[12]。
東北特急ではグリーン車を編成端に連結していたため、モハ484形に編成中間に専務車掌室と業務用室を設けた車両が登場し、600番台 (601・602) に番台区分された。定員は200番台より8名少ない64名である[22]。一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込んでいたため、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していた[23]ためこのような構成となった。この構造は後の1000番台・1500番台に承継された。
モハ485形 (97 - 206) ・サロ481形 (52 - 103) ・サシ481形 (40 - 72) は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このため、それまで一致していたMM'ユニットのハイフン以下の車両番号が不揃いとなった。
クハ481形200番台は全部で63両 (201 - 263) が製造されたが、うち42両が青森運転所に、21両が向日町運転所に配置された。これにより、青森に配置されていた100番台車10両は全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時、東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったものである。なお、後にホーム有効長や奥羽本線の板谷峠区間の急勾配の制約などの諸事情を鑑みた結果、この計画は白紙に戻された[注 12]。また、欠点である貫通扉からの隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進んだ結果、青森運転所の配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。
分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
サシ481形は、国鉄時代に54・55・69 - 71の5両がサロ481-501 - 505(和式グリーン車「だんらん」)へ、52・67の2両は一旦廃車され車籍抹消となった後に車籍復活のうえスシ24 3・501へ改造された。分割民営化時には、JR東日本に64・68、JR北海道に50の計3両が承継されたが、JR東日本所属の2両は1988年にスシ24 504・505へ、50は1989年にスシ24 508へ改造されたため、本形式は消滅した。
電動車ユニットはモハ485-196・モハ484-298が最後まで残存していたが、2016年1月28日で廃車となり区分消滅した。サロ481形は、2004年2月にJR西日本が承継した68・71の廃車により消滅した。クハ481形200番台は、JR九州で国鉄色に復元されていた大分車両センター所属の256が2016年10月2日付で廃車され区分消滅、廃車後は小倉工場で保存されている。
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 青森 | 201 - 204 | 205・206 211・212 |
207・208 213 - 218 227・228 |
209・210 219・220 |
|
| 向日町 | 225・226 | |||||
| 1973 | 青森 | 235 258・259 |
221 - 224 254・255 |
229・230 256・257 |
237・238 262・263 |
236 260・261 |
| 向日町 | 233・234 245・246 |
243・244 | 231・232 251 - 253 |
239 - 242 247 - 250 |
||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 青森 | 201 - 208 | 209 - 212 221 - 224 |
213 - 216 230 - 233 247・248 602 |
217 - 220 | |
| 向日町 | 225 - 229 243 - 246 |
234 - 236 | ||||
| 1973 | 青森 | 293 - 296 | 237 - 239 285 - 288 601 |
289 - 292 | 262 - 264 301 - 308 |
297 - 300 |
| 向日町 | 256 - 258 273・274 |
240 - 242 271・272 277 |
249 - 255 281 - 284 |
265 - 270 275・276 278 - 280 |
259 - 261 | |
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 青森 | 97 - 104 | 105 - 108 117 - 120 |
109 - 112 126 - 129 144 - 146 |
113 - 116 | |
| 向日町 | 121 - 125 140 - 143 |
130 - 132 | ||||
| 1973 | 青森 | 191 - 194 | 133 - 136 183 - 186 |
187 - 190 | 160 - 162 199 - 206 |
195 - 198 |
| 向日町 | 154 - 156 171・172 |
147 - 153 169・170 |
147 - 153 179 - 182 |
163 - 168 173 - 178 |
157 - 159 | |
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 青森 | 52 - 55 | 56・57・59 | 64・72・73 | 58 | |
| 向日町 | 60 - 63 70・71 |
65・66 | ||||
| 1973 | 青森 | 101 | 67・99 | 100 | 103 | 102 |
| 仙台 | 84 - 86 | |||||
| 向日町 | 79 - 81 91・92 |
68・69 | 74 - 78 97・98 |
87 - 90 93 - 96 |
82・83 | |
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 青森 | 40・41 | 42・45 | 43・48 54・55 |
44 | |
| 向日町 | 46・47 | 49・53 | ||||
| 1973 | 青森 | 70 | 50・68 | 69 | 72 | 71 |
| 仙台 | 60 | |||||
| 向日町 | 58・64 | 51・52 63・67 |
56・57 65・66 |
61・62 | 59 | |
後期型(1974年 - 1976年)
1972年より増備されていた485系200番台は前面貫通構造が採用されていたが、貫通扉からの隙間風侵入や運転台スペースが狭いなどの課題があった[24]。また、同時期新製の183系では、普通席に簡易リクライニングシートが採用されていたことから、485系においても前面非貫通化や座席の簡易リクライニング化などの改良を加えた増備車として、485系300番台と称されるグループが1974年に登場した[25]。このグループは新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置された。
クハ481形は前面非貫通の形状となり、300番台に区分された[25]。車体長を200番台より250 mm延長し、0番台・100番台と同じ連結面車体長が21,250 mmとなった[25]。定員は200番台と同じ64名である[20]。貫通扉用のレールは存置されたほか、運転室後部の後方確認用小窓が復活した[25]。騒音源であった床下のCPは助士席下部へ移設され、助士席下部の車体側面には空気圧縮機用通風ルーバーが設けられた[20]。列車名表示器は大型長方形で側面方向幕連動の電動式に変更された。以後に製造された1500番台・1000番台は、基本的にこのグループの同期製造車の仕様を踏襲する。
普通車の座席は、183系電車や14系客車と同じ簡易リクライニングシートのR-51AN形が設置された[25]。一部車両では循環式汚物処理装置準備工事[注 13]を施工した。
| モハ485 | モハ484 |
|---|---|
| 207 | 309 |
| ↓ | |
| 223 | 325 |
| 224 | 603 |
| ↓ | |
| 228 | 607 |
| 229 | 326 |
| ↓ | |
| 248 | 345 |
| 249 | 608 |
| ↓ | |
| 255 | 614 |
1975年増備車では付随台車の設計変更があり、クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更された。また側面ドアコック蓋・非常口ハッチをユニット式に、電動車については妻面の冷却風取り入れダクトの形状も変更された。
クハ481形300番台は54両が製造され、東北地区に重点投入された。これにより、貫通型の200番台を九州の長崎本線・佐世保線電化用に捻出した[25]。他形式の車両番号は中期型からの続番で、MM'ユニットはモハ485-207 + モハ484-309からとされたが、モハ484形は車掌室・車販準備室の付いた600番台は603 - 614も製造されたことから、引き続き番号の組み合わせが不揃いである。サハ481形は15が仙台運転所に、16 - 19は金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置された。食堂車はサシ481 - 73 - 76をもって製造終了し、以後は既存車両の改造転用で賄われた[26]。
サロ481形は104 - 133が製造されたが、このうち1975年11月改正での奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化と「つばさ」の電車化用に新製された、115・116・122・123・127・128の6両は、雪害対策として床下にMG・CP搭載、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置で製造された[25]。これらのグループは1978年にサロ481形1000番台1051 - 1056へ改造された。
1976年にはサハ481形100番台が18両製造され、北陸・九州特急増強用に向日町と南福岡へ集中配置された。後位側に車販準備室・業務用室が設置され、定員はサハ481形0番台より8名少ない64名である[27]。床下にMG・CP設置準備工事が施工されており、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。
1985年3月改正で北陸特急「雷鳥」系統への食堂車連結が終了し、食堂車が外された代わりにMG・CP付きのサハ481形100番台が組み込まれた[27]。サシ481-73・74は、1985年に和風グリーン車「だんらん」へ改造、75・76は1986年3月31日付で一旦廃車されたが、1987年3月に車籍復活のうえスシ24 502・503へ改造され、JR北海道へ継承された。サハ481形100番台は後に大部分がクハ481形や183系・189系電車の先頭車に改造され、残った車両も1998年の廃車をもって区分消滅している[27]。
サハ481形0番台15 - 19は、1985年に全車が紀勢本線特急増発用のクハ480形に改造されて消滅した[28]。サロ481形は、JR西日本が承継した118が2005年12月に廃車されたことで原型車が消滅。クハ481形300番台は2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車されたことで区分消滅した[29]。
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 向日町 | 301・302・304 | ||
| 金沢 | 303・305 306・308 |
307・310 | ||
| 仙台 | 312・314 | |||
| 1975 | 青森 | 332 - 337 | 311・313・315 | 342 |
| 金沢 | 318 - 327 | 343・344 | ||
| 仙台 | 328 - 331 | 316・317 | 338 - 341 | |
| 1976 | 青森 | 345 - 352 | ||
| 仙台 | 353・354 | |||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 仙台 | 309・310 | 603 - 607 | |
| 向日町 | 311 - 315 | |||
| 金沢 | 316 - 322 | 323 - 325 | ||
| 1975 | 青森 | 610・611 | ||
| 仙台 | 608・609 | |||
| 金沢 | 329 - 336 | 343 - 345 | ||
| 南福岡 | 337 - 342 | 326 - 328 | ||
| 1976 | 青森 | 612 - 614 | ||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 仙台 | 207・208 | 224 - 228 | |
| 向日町 | 209 - 213 | |||
| 金沢 | 214 - 220 | 221 - 223 | ||
| 1975 | 青森 | 251・252 | ||
| 仙台 | 249・250 | |||
| 金沢 | 232 - 239 | 246 - 248 | ||
| 南福岡 | 240 - 245 | 229 - 231 | ||
| 1976 | 青森 | 253 - 255 | ||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1974 | 仙台 | 15 | |||
| 金沢 | 16・17 | 18 | |||
| 1975 | 19 | ||||
| 1976 | 向日町 | 101 - 113 | |||
| 南福岡 | 114 - 118 | ||||
| 製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|
| 1974 | 仙台 | 114 | ||
| 金沢 | 108 - 111 | 112・113 | ||
| 向日町 | 104 - 107 | |||
| 1975 | 青森 | 130 | ||
| 秋田 | 122・123 | 115・116 | 127・128 | |
| 仙台 | 124・125 | 126・129 | ||
| 金沢 | 117 - 121 | 131・132 | ||
| 1976 | 青森 | 133 | ||
| 製造年次 | 新製配置 | 日立製作所 | 東急車輛 |
|---|---|---|---|
| 1974 | 向日町 | 73・74 | |
| 金沢 | 75 | ||
| 仙台 | 76 |
| モハ485 | モハ484 |
|---|---|
| 1-96 | 1-96 |
| 97-133 | 201-237 |
| 134 | 601 |
| 135-144 | 238-247 |
| 145 | 602 |
| 146-223 | 248-325 |
| 224-228 | 603-607 |
| 229-248 | 326-345 |
| 249-255 | 608-614 |
1500番台
北海道・函館本線の電化区間であり、道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川[注 14]間では、冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため、同形式をベースとした新型交流用特急車が計画されたものの、TM14形を含む従来形主変圧器において絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明したことから、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことから、暫定的に485系をベースとして北海道向け耐寒耐雪強化車が1973年度第1次債務で川崎重工業(現在:川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造されることが決定し、1974年に北海道向け特別耐寒耐雪形である485系1500番台が登場した[30]。
編成はモノクラス4M2Tの6両編成とされ、6両編成3本と予備のMM'ユニット1組・クハ481形2両の計22両が製造された[31]。クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、冬季の視認性向上の観点から運転台上前照灯を2灯とした[32]。また、ワイパーブレードを4本に増強し運転台側面ガラスも熱線入りに変更した[30]。モハ484形は専務車掌室・車販準備室設置とした600番台の構造を踏襲した。
台車は呼吸式軸箱とした上で、軸箱支持装置用の軸ばねをゴムでカバーし、電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した。主抵抗器は強制通風であるが、電動送風機が停止しても力行可能なMR127形とされた[33]。主変圧器はPCB油に代わり、無害なシリコーン油を使用するTM20形が採用された。床下機器箱には凍結防止用電熱ヒーターを追加し、防雪ならびに粉雪浸入防止シール類を新設した。
新製直後は耐寒耐雪装備の試用を兼ね、青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に充当された。「白鳥」暫定運用時は前面ヘッドマークをシール貼りとした[32]。1975年7月より北海道初の電車特急「いしかり」の運行が開始された[34]。北海道での運用に際しては先頭車の連結器を並形自動連結器としたが、これは青函連絡船を含み非電化区間となる青森→札幌の配給回送、車両故障発生時のED76形500番台やDD51形による牽引を行うためである。
しかし、485系は基本設計が本州仕様であることから、冬季の北海道では様々なトラブルが発生した。巻き上げた雪で尾灯が埋もれる現象が多発したため、1976年に苗穂工場で尾灯が外付け式に改造された。また、無接点制御装置搭載の711系電車に対し485系では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く、侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良が発生した。さらに、機器箱に負圧部を作らないよう対策を取らなかったことが原因となり、走行時の負圧でアスピリンスノーと称される極微粒の粉雪を吸い込み、機器の熱で溶けて故障の元となった。
また、走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口や貫通幌隙間から大量に侵入し、凍結した客用扉の不作動による遅延・運転打切り・運休が続発した[注 15]。
これらトラブルの根本的解決のため、1978年には北海道専用特急電車となる781系電車が開発され、1980年には量産車による置換えが完了した。485系1500番台は1980年夏までに全車が本州の青森運転所に転出し、台車を標準品のDT32E・TR69H形に、主抵抗器をMR52Dに、クハの先頭連結器を密着連結器に交換した。
本州転出後は、青森運転所所属で「いなほ」・「はつかり」・「むつ」で運用されていたが、電動車ユニットは1985年3月改正で全車が向日町運転所へ転出し、北陸本線の特急「雷鳥」で運用された[35]。この電動車ユニットは国鉄分割民営化前の1986年11月改正で上沼垂運転区へ転属し、日本海縦貫線系統の「白鳥」「雷鳥」「北越」で運用された[35]。クハ481-1502 - 1505・1507の5両も1986年に上沼垂区へ転属した。クハ481-1508は1982年の広域転配に伴う転属車牽引のため、鹿児島運転所へ入線したことで電化区間最北端・最南端両方への到来実績がある。
-
クロハ481-3020
(元・クハ481-1501) -
クロ481-1503
-
クハ481-1505
-
クハ481-1507
本番台区分は分割民営化の際に全車がJR東日本に継承された[35]。このうちクハ481形は青森残留車と上沼垂運転区・秋田運転区へ転出する車両に分かれたが、最終的には全車とも一度は新潟へ配置された。上沼垂区の電動車ユニットは全車がグレードアップ改造を受けたが、2002年に全廃された[35]。
クハ481-1501は、1987年にクロハ481-1020へ改造、1999年に3000番台リニューアル改造でクロハ481-3020となったが、2006年に新潟へ転出、2017年4月6日付で廃車された[36]。クハ481-1506は秋田を経て新潟へ転出し、2000年に3000番台リニューアル改造でクハ481-3506となったが、JR羽越本線脱線事故で被災し、2007年3月31日付で廃車された。
クハ481-1502・1503は、上沼垂区におけるグレードアップ改造の施工を経て、2006年に長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503へ改造されたが、屋根上の2灯前照灯は撤去された。2015年7月1日付で交直切換機能を直流側に固定しクロ481-5502・5503へ再改番[37]されたが、2017年10月20日付で廃車された[38]。
クハ481-1504・1505は、上沼垂区におけるグレードアップ改造の施工を経て、2002年より勝田電車区の波動輸送用K60編成に組み込まれたが、2013年1月に運用を離脱、廃車回送された[39]。クハ481-1507も上沼垂区におけるグレードアップ改造を施工されたが、2006年6月1日付で廃車された。
クハ481-1508はJR化以降の1987年に秋田へ転出し、「つばさ」「あいづ」用にATS-Pを搭載、1992年に青森へ再転出し、急行「津軽」用に車内減光装置を搭載した。2000年に上沼垂へ転出、2001年よりT18編成[注 16]の先頭車となり、2008年6月には上沼垂色から塗装変更されたことで国鉄特急色をまとうようになった[30]。2014年時点では新潟車両センターに所属し、特急「北越」、快速「くびき野」で運用されていた[35]が、2015年7月10日付で廃車となった[29]。廃車後は新津鉄道資料館で保存されている[40]。
| 車両番号 | 製造会社 落成日 新製配置 |
転属 | 改造 | 廃車 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1501 | 川重 1974.5.23 札幌 |
青森 1980.9.10 |
新潟 2006.3.24 |
クロハ481-1020 1987.12.24 クロハ481-3020 1999.3.24 |
2017.4.6 | ||
| 1502 | 青森 1980.8.10 |
新潟 1986.9.19 |
長野 2006.5.22 |
クロ481化 2006.5.22 5502・5503へ改番 2015.7.1 |
2017.10.2 | ||
| 1503 | 新潟 1986.10.28 |
||||||
| 1504 | 青森 1980.6.11 |
勝田 2002.12.6 |
2013.1.23 | ||||
| 1505 | 日立 1974.4.25 札幌 |
新潟 1986.9.19 |
|||||
| 1506 | 青森 1980.9.10 |
秋田 1992.7.1 |
新潟 1997.3.27 |
クハ481-3506 2000.12.12 |
2007.3.31 | ||
| 1507 | 日立 1974.6.1 札幌 |
青森 1980.9.28 |
新潟 1986.10.15 |
2006.6.1 | |||
| 1508 | 秋田 1987.7.1 |
青森 1992.7.1 |
新潟 2000.7.2 |
2015.7.10 | |||
| 車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 新製配置 | 青森 転属 |
向日町 転属 |
上沼垂 転属 |
廃車日 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1501 | 川重 | 1974.5.23 | 札幌 | 1980.9.10 | 1985.2.14 | 1986.11.1 | 2001.7.19 |
| 1502 | 1980.8.10 | 1985.2.5 | 2001.6.13 | ||||
| 1503 | 1980.6.11 | 1985.2.14 | 2002.4.2 | ||||
| 1504 | 日立 | 1974.4.25 | 1980.8.10 | 2001.4.3 | |||
| 1505 | 1980.9.10 | 2002.4.2 | |||||
| 1506 | 1974.6.1 | 1980.9.28 | 1985.3.14 | 2001.4.3 | |||
| 1507 | 1985.2.5 | 2001.11.21 |
1000番台
-
クハ481-1015 公式側
-
クハ481-1015 非公式側
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クハ481-1016 公式側
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クハ481-1016 非公式側
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モハ484-1023 公式側
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モハ484-1032 非公式側
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モハ485-1032
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クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細
助士席側
KE9形 高圧三相引通
運転席側
KE70形 総括制御用(右)
KE76形 給電区分変更制御用(左)
本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害によるMG故障などの車両不具合が多発したことから、1974年に登場した183系1000番台をベースとした耐寒耐雪強化構造の電車の投入が要望された[41]。183系1000番台は両先頭車の電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)に加えて中間車のサロにもMG・CPを搭載した「3MG方式」が取られており、先頭車のMGが故障した際にもサービス電源と圧縮空気の供給に支障がないようにされていた[42]。
1975年の奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化に伴う特急「つばさ」電車化における485系投入では、当初は九州の長崎本線・佐世保線電化用の200番台に、スタンバイMG付きで新製されたサロ481形とジャンパ連結器を改造した従来のサシ481形を組み込んで「つばさ」に暫定投入された。1976年には485系基本番台後期型を元にした耐寒耐雪強化仕様車が開発され、485系1000番台が登場した[43]。
編成は中間にMG・CP付きのサロ481形を組み込んだ3MG方式の12両編成とし、食堂車は既存車の引き通し線追加改造車が編入された。クハ481形は300番台に準じた非貫通型で、モハ484形は東北地区の要望から600番台に準じた車掌室付きとされた[41]。サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更した。485系1000番台ではMGトラブル発生時にクハ481形運転席から給電区分をワンタッチで変更できるよう改良されたため、KE76形ジャンパ連結器1基による給電制御用引通線を増設した。クハ481形は片渡りとなり、奇数番号車が奇数向き、偶数番号車が偶数向きに固定された[44]。
当初は「つばさ」用として秋田運転区へMM'ユニット24組48両・クハ481形12両・サロ481形6両の計66両が[注 17]、1978年から1979年にかけて秋田運転区への増発対応用としてMM'ユニット32組64両・クハ481形18両・サロ481形2両の計102両が、青森運転所へ在来車に代わる増備車としてMM'ユニット28組56両・クハ481形13両の計69両、全体で237両が新製された。
食堂車のサシ481形は新製されず、既存車に引通線増設などの改造を計14両へ施工し充当した。既存車に搭載の70 kVA MGは電子レンジなどの調理用とし、冷房・照明などサービス電源はクハからの供給とされた[41]。サシ481形は原番号のままで、サシ489形からの改造車は横軽協調運転装置を外してサシ481形80番台へ改番された。また、青森運転所への1000番台新製配置車には1000番台対応の食堂車は組み込まれなかった(青森運転所では編成単位で使用せず既存の在来車と混用していたため、食堂車も既存車を使用)。1976年施工の6両は「つばさ」電車化用に伴う元「にちりん」用編成からの転用車で、他車の九州復帰後もこの6両は秋田に残留した。1978年ならびに1979年施工の8両は「つばさ」増発用で、余剰となった仙台運転所のサシ481形1両、金沢運転所のサシ481形5両とサシ489形3両を改造して充当した。
モハ484形の主整流器は、当初は乾式風冷式のRS22A形もしくはRS40A形を搭載したが、1010・1012・1014・1016・1018・1020・1022・1024はフロン沸騰冷却式のRS45A形を、1979年製造の1081 - 1088は改良型のRS45B形を搭載する。
このほか、耐寒耐雪仕様として、電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)・主電動機の寒冷地仕様強化ならびに器箱密閉化および防水処置・空気ブレーキ装置の機器箱収納化を実施した[45]。また、主電動機およびMG冷却用風道に夏⇔冬切替およびフィルター交換の容易化を施工[46]、水揚装置で凍結対策を施工した[47]。クハ481形は乗務員室の暖房を強化した。
電動台車はブレーキシリンダに防雪カバーを取付けたDT32E形、付随台車はゴムシリンダ式としたTR69H形とし、クハ481形の先頭台車にスノープラウを装着した[43]。
210 kVA MGとCPを搭載するサロ481形ならびに厨房設備に対応する70 kVA MGを搭載するサシ481形では、通常時は自車給電とし、いずれかのクハ481形が搭載するMGに異常が発生した際にはサロ481形搭載MGからの給電区分に切り替える。また、サシ481形のMGに異常が発生した場合もサロ481形からの給電となり[注 18]、サロ481形搭載MGに異常が発生した場合はクハ481形からの給電となるバックアップが確保された。
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1978年以降製造の車両は、モハ484形の冷房装置をAU71B形に変更したほか、屋根上ランボード構造も変更された。屋根布はアルミ蒸着ビニール(銀色)から通常の屋根布(灰色)へ変更された。モハ485形・484形およびサロ481形の車端部には、埋め込み型の手摺りを設置した。普通車の簡易リクライニングシートは、背もたれが倒れた状態でロックが可能なR-51BN形へ変更した[44]。1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。
1978年の「つばさ」増発時には、基本番台の3MG車サロ481-115・116・122・123・127・128の6両が1000番台用引き通し線装備改造を行い、サロ481-1051 - 1056となった。
分割民営化時には、モハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。JR西日本承継車はグレードアップ化改造された車両のほか、組換により在来車とユニットを組成したケースも多い。JR東日本承継車は、クハ481形43両中29両がクロハ481形に、モハ485形は9両がクモハ485形に改造されるなど、短編成化に起因する施工例が多く、3000番台化された96両のうち89両が本番台区分からの改造である。
JR東日本では、クハ481-1001→クロハ481-1010→3010・1003→クロハ481-1011・1005→3005・1033→クロハ481-1018・1034→クロハ481-1006→クハ481-3034→クロハ481-3026・1037→3037→クロハ481-3037の5両が方向転換改造を施工した。
2016年4月時点では、仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両とクハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、2016年6月19日の運用を最後に離脱、2016年8月4日付で廃車された[48]。
| モハ485+モハ484 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
| 1976 | 秋田 | 1001 - 1008 1021 - 1024 |
1009 - 1012 | 1013 - 1016 | 1017 - 1020 | |
| 1978 | 1069 - 1080 | 1042 - 1049 | 1050 - 1053 | |||
| 青森 | 1038 - 1041 | 1025 - 1030 | 1057 - 1065 | |||
| 1979 | 1031 - 1037 | 1066 - 1068 | 1054 - 1056 | |||
| 秋田 | 1081 - 1084 | 1085 - 1088 | ||||
| クハ481 | ||||||
| 製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
| 1976 | 秋田 | 1001 - 1004 1011・1012 |
1005・1006 | 1007・1008 | 1009・1010 | |
| 1978 | 1032 - 1037 | 1021 - 1026 | ||||
| 青森 | 1019・1020 | 1013 -1016 | 1027 -1031 | |||
| 1979 | 1017・1018 | |||||
| 秋田 | 1038・1039 | 1040 - 1043 | ||||
| サロ481 | ||||||
| 製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | |
| 1976 | 秋田 | 1001・1002 1006 |
1003 | 1004 | 1005 | |
| 1979 | 1007・1008 | |||||
489系電車
1969年10月改正において、金沢 - 上野間を信越本線経由で結ぶキハ82系気動車特急「はくたか」が電車化されたが、485系では信越本線横川 - 軽井沢間(横軽)の最大66.7 ‰の急勾配区間である碓氷峠を越える対策がなく、電車化に際しては上越線経由へ変更された[49]。一方、1972年3月15日国鉄ダイヤ改正では客車急行「白山」が電車特急に格上げされるのに伴って、485系0番台をベースに、横軽間にて最大12両編成でEF63と協調運転可能な設備を備えた車両を増備することになり、新系列の489系が1971年に登場した[49]。
横軽間を通過する電車は無動力状態で最大8両編成に制限されていたが、1967年に急行形の165系を元に開発された169系では、EF63との協調運転を行うことで最大12両編成の入線が可能となった。489系は485系に横軽用協調運転機能を付加した系列で、169系と同様に形式末尾が9となっている[50]。485系の設計変更期と同時期に製造されたため、それぞれに対応する区分番台が存在している。
電動車・付随車とも新形式が起こされ、1971年にはクハ489形・モハ489形・モハ488形・サロ489形・サシ489形の5形式[50]、1972年にはサハ489形も登場した。各車とも台枠・連結器の強化などの通称「横軽対策」がなされ、この対策を示す「Gマーク」が車両番号の横に表記された[49]。なお、EF63との協調運転は不可能となるものの、485系と混結しての運転も可能である。
1971年 - 1974年にかけて、制御車14組28両・グリーン車28両・電動車ユニット42組84両・食堂車ならびに付随車が12両の新製車164両と、181系・485系からの改造車4両、12両×14本・168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 19]」「しらさぎ」「北越」「はくたか」でも運用された。1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造した。
分割民営化時には、JR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。新製車174両のほか、国鉄時代にサシ181形からの改造車が2両、サハ481形からの改造車が2両、分割民営化後の1990年にJR東日本がサロ481形から2両を改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため、全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。
1997年に北陸新幹線長野暫定開業が開業したことに伴う信越本線横川 - 軽井沢間の廃止により、本系列は存在意義を失った[注 20]。また、老朽化も進行していたため、JR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車となっていた新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までにほとんどが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となったことで本形式は廃系列となった[51]。
初期型(1971年 - 1972年)
1971年7月に夏期臨時列車への充当目的も兼ね、向日町運転所へ同所の485系と共通の11両編成で落成・配置された。1971年秋よりEF63との協調運転テストを行い、年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。1972年3月改正より信越特急「白山」での運用を開始した。
車体はおおむね485系0番台に準ずるものの、クハ489形偶数向き車はEF63との連結を日常的に行うため自動連結器のカバーが省略されたほか、解放テコが設置された[49]。ジャンパ連結器は485系と共通する編成総括制御用KE70形と別に協調制御用KE76形を増設する方式[注 21]を採用したため、付随車も489形の別形式となった。このためクハ489形はクハ481形と異なり、片渡りで方向転換ができない構造となったことから、上り方と下り方で番台区分が異なる。
「あさま」「そよかぜ」で運用されていた181系では、電気機関車と連結するクハは別形式のクハ180形とされたが、489系では同一形式の番台区分としてクハ489形の奇数向きが0番台、偶数向きが500番台とされた[19]。クハ489形はクハ481形100番台に準じており、MH129-DM88型 MG(容量 210 kVA)[18]を床下に、ボンネット内部に吐出量2950 L/minのMH92B-C3000A型CP[12]を搭載した。偶数向き500番台はクハ180形同様にブレーキホース(BP管)を装着し、ボンネットの自動連結器が常時剥き出しの状態になるが、連結器カバーの装着は可能である[注 22]。
EF63と連結される上り方のクハ489形は直通予備ブレーキを設置し、抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を搭載するほか、連結器カバーが省略され運転席下側にEF63との協調制御用KE70形ジャンパ連結器[注 23]を装備する。横軽間での下り列車における前方監視のため、クハ489形奇数向き車の運転台側面に車掌弁を設置した。
主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えてEF63とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130に変更した。台車は初期車はDT32A・TR69A形を装着したが、横軽区間での座屈防止のため空気ばねをパンクさせる装置が設けられた[19]。
1972年上期には、当初からサハ489形組込で落成した12両編成が「白山」格上げ名義により向日町運転所に配置された。タイフォン設置位置はクハ489-1・2・501・502がスカート部であったが、クハ489 - 3 - 5・503[注 24] - 505はボンネット部に変更された。台車は300番台グループまでDT32E・TR69E形を装着した。
なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。また、サシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。
また、サロ489形・サハ489形は1986年までに他形式への改造種車となった。サシ489形は3・4が1985年以降保留車となったままJR西日本に継承。1988年3月にスシ24 1・2へ改造され廃形式となった。一方でクハ489形とMM'ユニットは全車JR西日本が承継。一部は「能登」をJR東日本へ移管する2010年まで運用された。
| 形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 |
|---|---|---|---|---|
| モハ489+モハ488 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 - 3 | 4 - 6 |
| 1972 | 46年本予算 | 7 - 9 | 10 - 15 | |
| クハ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・501 | 2・502 |
| 1972 | 46年本予算 | 3・503 | 4・5・504・505 | |
| サロ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・2 | 3・4 |
| 1972 | 46年本予算 | 5・6 | 7 - 10 | |
| サハ489 | 1972 | 46年本予算 | 1・2 | 3・4 |
| サシ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 | 2 |
| 1972 | 46年本予算 | 3・4 |
中期型(1972年 - 1973年)
485系200番台と同様に、先頭車の貫通化や冷房装置の変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。
クハ489形は下り方が200番台、上り方が600番台に区分された[24]。600番台のCPは0番台車と仕様を合わせるため、容量2,100 L/minのMH113-C2000[12]を2基搭載としたほか、連結器を密着連結器として解放テコを廃止した[24]。前面ジャンパ連結器は、奇数向き車が運転席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形・助手席下側にKE9形三相引通、EF63と連結する偶数向き車は運転席下側にEF63協調制御用KE70形とKE9形三相引通、助手席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形の構成となった。
モハ488形は、屋根上の冷房装置を集中式のAU71形へ変更したことで乗車定員が8名増加したため、200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで既存車の続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットのハイフン以下の車両番号が不揃いとなった。本グループでは モハ489-16からモハ489-30までと、モハ488-201からモハ488-215までの番号順に組成されたユニット15組(30両)が該当する。付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため、基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工され、車番が +200 された 1 - 4 → 201 - 204に対応して元番号の続番の5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。
1972年下期製造車は、向日町運転所へ「白山」2往復化[注 25]と同所の485系との共通予備車名義により11両×3編成で落成配置されたグループである。うちサハ489形1両はサハ481形改造車を、サシ489形1両はサシ181形改造の100番台をそれぞれ充当した。
1973年製造車は、「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。1973年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。
向日町所属車は、3月15日付で0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成、7月に0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成、9月に200番台・600番台1編成が金沢に転出。11両のままとされた0番台・500番台1編成[注 26]のみが向日町に残存して引き続き共通予備車とされたが、翌1974年4月に純増備となる485系[注 27]が配置されたため金沢に転出した。
JR東日本へ継承されたクハ489形は、本グループに属する201 - 203・601 - 603の6両である。JR西日本継承車は、200番台が204・205の廃車で2003年に、600番台が604の廃車で2011年に廃区分番台となった。モハ489形・モハ488形民営化時には全車JR西日本が承継。サハ489形はサロ489形は13がJR西日本へ、14 - 16がJR東日本へ継承された以外は1986年までにサロ110形へ改造された。サシ489形は1986年 - 1987年に全車廃車となったが、民営化後の1989年3月に7が車籍復活と同時にスシ24 507へ改造され、寝台特急「北斗星」に転用された。
| 形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|---|
| モハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 16 - 18 | 19 - 21 | 22 |
| 1973 | 47年第1次債務 | 23 - 25 | 26 - 30 | ||
| モハ488 | 1972 | 47年第1次民有 | 201 - 203 | 204 - 206 | 207 |
| 1973 | 47年第1次債務 | 208 - 210 | 211 - 215 | ||
| クハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 201・601 | 202・602 | 203・603 |
| 1973 | 47年第1次債務 | 204・604 | 205・605 | ||
| サロ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 11・12 | 13・14 | |
| 1973 | 47年第1次債務 | 15・16 | 17 - 20 | ||
| サハ489 | 1973 | 47年第1次債務 | 5 | 6 - 8 | |
| サシ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 5 | 6 | |
| 1973 | 47年第1次債務 | 7 | 8 |
後期型(1974年 - 1979年)
489系300番台は485系300番台に対応するグループで、1974年から1979年にかけて製造された。1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用を向日町から金沢運転所へ移管し、485系電車との共通予備車とした。
クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を700番台に区分した[25]。空気圧縮機は床下搭載としたことから、助手席(1位側)下部の機器室カバーがない[52]。普通車の座席は簡易リクライニングシートとされた。中間車の車両番号は中期型から続番であるため、MM'ユニットはモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-42 + モハ488-227の12組24両。
クハ489形は全車JR西日本に継承され、300番台は2004年の303廃車で、700番台は2010年9月の702廃車で廃区分番台となった。モハユニットはJR東日本にモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-33 + モハ488-218・モハ489-35 + モハ488-220 - モハ489-40 + モハ488-225、JR西日本にモハ489-34 + モハ488-21・モハ489-41 + モハ488-226・モハ489-42 + モハ488-227が継承された。
サハ489形は、1985年に9・11が他形式へ改造、10・12は向日町運転所へ転出しJR西日本に継承されたものの保留車扱いとされたのち1991年12月1日付で廃車。サロ489形は、21・22・24が1986年にサロ110形へ改造されJR東日本に継承されたほか、23・25 - 28は金沢配置のままJR西日本に継承された。
サシ489形は9が1986年に余剰廃車[注 28]。10 - 12は1978年にサシ481形へ改造されたものの、12はサシ489-83として1982年に本形式へ復元。1985年以降は保留車とされたが、1987年3月に北長野運転所へ転出しJR東日本へ継承。1988年2月にスシ24 506へ改造された。
| 形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
|---|---|---|---|---|---|
| モハ489 | 1974 | 48年第3次民有 | 35 - 37 | 31 - 34 | |
| 48年第1次債務 | 38 - 40 | ||||
| 48年第2次債務 | 41・42 | ||||
| モハ488 | 48年第3次民有 | 220 - 222 | 216 - 219 | ||
| 48年第1次債務 | 223 - 225 | ||||
| 48年第2次債務 | 226・227 | ||||
| クハ489 | 48年第3次民有 | 303・703 | 301・302・701・702 | ||
| 48年第1次債務 | 304・704 | ||||
| サロ489 | 48年第3次民有 | 23・24 | 21・22 | ||
| 48年第1次債務 | 25 - 27 | ||||
| 48年第2次債務 | 28 | ||||
| サハ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
| 48年第1次債務 | 11・12 | ||||
| サシ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
| 48年第1次債務 | 11 | ||||
| 48年第2次債務 | 12 | ||||
サロ489形1000番台
1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「はくたか」は三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また、編成が7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから[注 29]、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である。本グループのみ台車はTR69H形を装着する。
車体はサロ481形1000番台に準じたが、MG設置位置はサロ181形1100番台と同様に車体中央部とされた[53]。489系在来車と編成を組成することから、485系1000番台に装備された制御車からの給電区分変更制御機構はなく、どちらかのクハ489形でMGトラブルが発生した際には手動で給電区分を変更する必要がある。
1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため、1991年までに廃区分番台となった。
| 車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 配置 | 改造後車番 | 施工工場 | 施工日 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1001 | 東急 | 1978.9.7 | 金沢 | クロ481-2001 | 吹田 | 1989.2.15 |
| 1002 | 日車 | 1978.7.6 | クロ480-1001 | 1988.2.8 | ||
| 1003 | クロ481-2003 | 1989.4.6 | ||||
| 1004 | サロ489-101 | 松任 | 1988.12.17 | |||
| 1005 | クロ480-1002 | 吹田 | 1988.2.15 | |||
| 1006 | 東急 | 1979.3.16 | クロ481-2002 | 1989.3.7 | ||
| 1007 | 日車 | 1978.7.11 | クロ481-2004 | 1991.6.24 | ||
| 1008 | クロ480-1003 | 1988.2.5 | ||||
| 1009 | クロ481-2005 | 1991.2.9 | ||||
| 1010 | クロ480-1004 | 1988.2.5 |
国鉄時代の改造車
特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。
改番を伴う改造車
クロ481形50番台
1968年10月1日のダイヤ改正(ヨンサントオ)において、東北特急は奥羽本線「やまばと」が電車化されるのに伴って6M3Tの9両編成に統一されることになった。これに際して、クロ481形0番台を新製5両するとともに、仙台運転所所属のサロ481-19 - 25の7両を1968年6月から9月にかけて郡山工場で先頭車化改造し、クロ481-51 - 57となった[54]。485系列で初の改造番台であり、483系として新製されたサロ481形7両全車が改造されている[55]。
改造に際してはサロ481形の後位側に運転台を設置したが、既存の台枠を活用してボンネット形の運転台を組み立てる工法が採用された[55]。ボンネット形での先頭車化改造は151系クロ150形に次いで2例目である[56]。新製車のクロ481形0番台と同じく全長は20,100 mm、定員は36名で、ボンネット内に電動発電機と空気圧縮機が設置されたが、外観上でクーラー・ベンチレーターの位置が多少異なる[55]。
東北特急では偶数向きで使用された[57]。1975年に方向転換改造を施工した上で7両とも九州特急「かもめ」「みどり」用にへ転出したが、1981年に53が事故廃車、1982年12月に52が、1983年12月に54が廃車となった。
分割民営化の際には4両がJR九州に承継された。このうちクロ481-56は1991年に「有明」水前寺乗り入れ対応編成予備車として前面スカート部にジャンパ連結器を追設装備する改造が施工された[58]。1995年までに廃車となり消滅した。
- サロ481-19 - 25 → クロ481-51 - 57
サハ489形50番台
1971年に登場した489系は、北陸特急、山陽・九州特急にて11両編成で暫定運用されていたが、山陽新幹線岡山開業の1972年3月改正で電車特急となる「白山」で横軽区間に12両編成で本格投入されることにになった[59]。この際に付随車が不足するため、サハ481形を種車に横軽協調用設備を追加改造したサハ489形50番台が1972年11月に2両登場した[59]。
種車は1970年製造のサハ481-1・2で、サハ489形0番台前期車と同じく冷房装置はキノコ型キセのAU12形を6基搭載する[59]。
翌1973年には空気圧縮機を搭載したサハ489形250番台に改造されたため、サハ489形50番台は消滅した[59]。
- サハ481-1・2 → サハ489-51・52
サシ489形100番台
1972年3月改正での「白山」電車特急化用として、付随車とともに不足する食堂車を補うため、直流特急形の181系サシ181形100番台のうちサシ181-102・103の2両を489系に編入してサシ489形100番台に改造された[60]。1972年2月から3月にかけて長野工場(現在:長野総合車両センター)で施工されている。
181系は車体高さが低いため、枕梁を改造して台枠上面高さが485系列と揃えられたが、車体断面がわずかに異なっている[60]。台車は種車と同じベローズ式空気ばねのTR69C形である[60]。調理室側妻面に回送運転台を増設し、入換運転用の掴み棒も設置された[60]。内装関係の改造は未施工で、ベネシャンブラインドや「あずさ」充当記念で壁面に飾られた中央東線沿線の名峰レリーフ(サシ181-102は槍ヶ岳、103は白馬岳)も残された。
1985年の北陸特急への食堂車連結終了に伴い、1986年に廃車された[60]。
- サシ181-102・103 → サシ489-101・102
サハ489形200・250番台
横軽区間では台車の空気ばねをパンクさせて運転しており、両端先頭車の空気圧縮機のみでは空気ばねへ空気を再供給するのに時間を要していた。このため、サハ489形に空気圧縮機(MH113B-C2000M)を増設する改造が実施され、サハ489形0番台4両を改造したサハ489形200番台が登場した[59]。1973年3月から5月にかけて吹田工場で改造されている。この改造は189系のサロ189形にもフィードバックされた。
サハ489形50番台2両も同様の理由で空気圧縮機が搭載され、サハ489形250番台となった[59]。1973年3月・4月に吹田工場で改造されている。
200番台は1985年に2両がクハ480形0番台に、残る2両が1986年にクハ481形750番台に改造されて消滅した[59]。250番台は1984年に251がサハ481-201に、252も同じ1984年にクハ480形クハ480-11に改造されて消滅した[59]。
- サハ489-1 - 4 → サハ489-201 - 204
- サハ489-51・52 → サハ489-251・252
サロ481形1050番台
1978年10月改正での奥羽本線特急「つばさ」増発に伴って、不足するサロ481形とサシ481形は従来車からの転用で補うこととなった。このうち、サロ481形は1975年に「つばさ」電車化用として、車販準備室設置やMG・CPを搭載したサロ481-115・116・122・123・127・128を種車に、土崎工場で1000番台に対応する引き通し線に改造した上で、サロ481-1051 - 1056とした[61]。種車の6両は1976年に南福岡電車区へ転出したが、この改造で再び秋田運転区へ転入したものである。
分割民営化に際しては、全車がJR東日本に継承された。1989年に1051が格下げでサハ481形300番台に、翌1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りの3両は1994年に廃車となった[61]。
- サロ481-115・116・122・123・127・128 → サロ481-1051 - 1056
サシ481形80番台
1978年より、信越特急「白山」の489系12両編成を6M6Tから8M4Tに変更するのに伴って、食堂車の連結が廃止され、サシ489形の余剰車が発生した[61]。一方、1978年10月改正では奥羽本線特急「つばさ」が増発されることになり、「白山」の食堂車廃止で余剰となったサシ489形0番台3両を485系に編入し、横軽協調運転装置の撤去と485系1000番台相当の引き通し線追加等の改造を行ったサシ481形80番台が登場した[61]。
1982年11月改正で「つばさ」への食堂車連結が廃止となり、1両が再び489系に改造された[61]。残る2両は北陸特急「雷鳥」増発用に転用されたが、1985年に和風グリーン車「だんらん」のサロ481形500番台に改造されて消滅した[61]。
- サシ489-10 - 12 → サシ481-81 - 83
サシ489形80番台
1982年11月改正では奥羽特急「つばさ」の食堂車連結が廃止されたが、信越特急「白山」では食堂車の連結が復活し、不足する食堂車を補うこととなった[60]。これにより、元「つばさ」用食堂車としてサシ489形からサシ481形に改造された3両のうちの1両であるサシ481-83が489系に再編入されたが、新造時のサシ489-12とはならず、サシ481形時代と同番号のサシ489-83となった[60]。
1985年の北陸特急への食堂車連結廃止で運用を離脱したが、JR東日本に継承されて同社唯一のサシ489形となり、1988年に客車寝台特急「北斗星」用の食堂車スシ24形(スシ24 506)に改造されて消滅した[60]。スシ24 506は2015年の「北斗星」運用終了後も保留車として、2020年現在でも車籍を有する。
- サシ481-83 → サシ489-83
サロ481形1500番台
1982年11月改正での上越新幹線開業で在来線特急「とき」の181系が運用を終了し、1982年 - 1983年にサロ181形1100番台6両を485系のサロ481形に編入する改造が盛岡・郡山・土崎の3工場で行われた。サロ181形1100番台は1978年10月改正で「とき」の3MG化に伴って登場したもので、将来の485系編入を前提に新製されたため、181系の編成では凹凸が目立っていた[61]。
サロ181-1101 - 1106がサロ481-1501 - 1506に改造され、ジャンパ連結器の変更や幌の485系仕様への交換が行われた。行先表示器も使用されたが、181系時代に設置されたサボ受けはそのまま残された。1500番台新製車との関連は全くない。
改造落成後は青森運転所に配置されたが、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出し、JR東日本に継承された[61]。1990年 - 1991年に1506を除く5両が「ひたち」のモノクラス7両編成化により、クハ481形1100番台に再改造された。残る1506はジョイフルトレイン「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され、本区分は消滅した[61]。
- サロ181-1101 - 1106 → サロ481-1501 - 1506
サロ481形0番台134・135
1984年2月改正で九州特急から583系が撤退するのに伴い、昼行特急の短編成化と編成数増加によるグリーン車の不足を補うため、1982年11月改正で余剰となっていたサロ489形初期車2両がサロ481形に編入された。1983年にサロ489-6・8の2両が鹿児島車両管理所で横軽協調装置を撤去する改造を行い、基本番台新製車の続番であるサロ481-134・135となった。サロ481形0番台初期車と車体が同じなため、冷房装置はAU12形を搭載する[62]。
2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車されて消滅した[62]。
- サロ489-6・8 → サロ481-134・135
サハ481形200番台
九州特急「かもめ」の増結予備車確保のため、1983年3月に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した[59]。
車番は元番号とはならず、新たに201が区分された。JR九州に承継されたが、1990年に廃車。
- サハ489-251 → サハ481-201
クハ481形600番台
1983年の東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ、鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
- 車掌室部分を客室化。
- 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
- 3両共に「ひげ」の溝が有ったが、当時「ひげ」が描かれていたのは602だけであった。(603は、展示の際に描かれたものである)
- 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は廃車後、九州鉄道記念館にて静態保存されている。
- クロ481-3 - 5 → クハ481-601 - 603
クハ481形500番台
1984年2月ダイヤ改正で、九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため、上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5を対象に、鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
- 車体は181系電車時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
- 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期型車と同型のものを搭載した。
- 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 30]。
- 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更し、502のみ再塗装して赤帯を抹消した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに501も赤帯を抹消し、併せてスカートのクリーム色化を施工(502のスカートはグレーのまま)。
- 当初は九州島内専用を前提として、コスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際、交直切替スイッチがないため小倉で運転打ち切りというトラブルが発生したことから、スイッチ取付の追加改造を施工。
落成後、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- クハ181-109 → クハ481-501
- クハ180-5 → クハ481-502
サロ481形500番台(「だんらん」)
1985年3月改正において、北陸線特急の食堂車連結が廃止されたが、食堂車廃止で余剰となったサシ481形を種車に、9両がサロ481形500番台として和式グリーン車「だんらん」へ改造され、「雷鳥」へ投入された[63]。車内はビュッフェと畳敷き和室に改装され、塗装は国鉄特急色の窓下に金色の帯が入れられた[63]。
- 妻面の回送運転台ならびに調理室区画では男子小トイレとガーランド型通風器を撤去。
- ダイニング区画を1位側・3側に衝立で1卓4名の7室に仕切られた畳敷きの和室に改装。床を嵩上げし各座敷には座敷机と座椅子を設置。2位側・4位側に650 mm幅の通路を設置し座敷との間には仕切板を、通路窓下には手すりを備えた。
- 調理室区画は、種車の食堂自動扉と冷水器を撤去した上でビュフェに全面改装。大型冷蔵庫をはじめとする一部機器は種車から流用されたが、新たに設置された厨房には流し・戸棚・物置・電気コンロ・電子レンジ・ジュースクーラー・コーヒーマシンなどを装備する。このほか、3位側業務用扉後位側に厨房用換気扇を設置した。
- 車体面では調理室区画の開閉可能窓を客室窓と同等の固定窓に変更。
- 外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。
- 床下機器の大幅変更は実施しておらず自車給電用70 kVA MGも残存。
505・507が鷹取工場で、他車が吹田工場で改造施工。1985年3月ダイヤ改正にて、「雷鳥」4号車のサロ481形0番台に続く5号車へ連結されたが、1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱。502 - 505・508・509の6両は「スーパー雷鳥」用ラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台へ再改造されたが、残りの3両は運用離脱後、向日町運転所で留置された後、1993年に廃車された。
- サシ481-54・55・69・70・71・73・74・81・82 → サロ481-501 - 509
クモハ485形0番台
1985年3月改正で鹿児島本線特急「有明」が基本5両編成に短編成化されることになり、クモハ485形0番台とクロ480形0番台が先頭車化改造により登場した[64]。このうち、クモハ485形0番台はモハ485形15両に先頭車化改造とMG・CP設置改造を行ったもので、改造は1984年 - 1985年にかけて鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工された。
先頭車化改造では、モハ485形のトイレ・洗面所・デッキ部分を台枠ごと撤去して485系1000番台タイプの運転台ブロックを接合する工法が採用され、485系では初の制御電動車(クモハ)となった[65]。運転台のすぐ後ろに機器室を設けたため、定員は56名に減少した[65]。客用扉とデッキは機器室と客室の間に設置された[65]。タイフォンカバーはスリットタイプである[65]。
短編成化後は、通常5両、多客期7両となるため、編成の反対側先頭車のクロ480形のMG・CPだけでは容量不足の可能性があった[65]。これに対応するため、改造に際しては床下水タンク跡に容量110 kVAのMGが、運転台助士席下にCPが設置されており、機器室にはMG起動装置やAVR(自動電圧調整器)、床下から移設した空気タンクなどが設置されている[65]。
分割民営化時には全車JR九州に承継され、末期は特急「にちりん」として2011年まで定期運用された[65]。その後は保留車や波動用となったが、最後まで残存したクモハ485-5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。
- モハ485-97・98・100 - 102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145 → クモハ485-1 - 15
クロ480形0番台
AU13E形冷房装置搭載車
1984 - 1985年に「有明」「にちりん」短編成化に伴い、鹿児島車両管理所ならびに小倉工場でサロ481形に対して鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MGは床下に容量210 kVAタイプを、運転台下にC2000形 CPを搭載する。また、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。
- 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
- 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
改造後は15両全車が鹿児島運転所へ配置。1986年に運用移管により、南福岡電車区へ再転出。1987年の分割民営化によりJR九州に承継されたが、1987年中に11・12は半室普通車化再改造により、クロハ480-51・52へ改番。1988年3月13日ダイヤ改正で再び鹿児島運転所へ転出したが、1991年5月 - 1992年3月にRED EXPRSS化ならびに座席配置の2+1列への変更を実施。さらに1992年7月にはクロハ480-52を1992年にクロ480-12へ復元し、2・4・6・8・10・12 - 15が南福岡配置となった。その後1993年2月に2・4と5・7を車両交換。以後南福岡配置車は「有明」「かもめ」、鹿児島配置車は「にちりん」で運用されたが、余剰老朽化により2000年までに廃車となった。
- サロ481-40・43 - 45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130 → クロ480-1 - 15
クハ480形0番台
1985年の「くろしお」増発には、経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両という短編成のため、制御車不足が問題となった。これに際してはサハ481・489形を種車に、MG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年にかけて、長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現在:総合車両製作所新津事業所)での施工により落成した形式である。
- 運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
冷房装置は種車により異なり、クハ480-1 - 3と9 - 11はAU12形5基、4 - 8はAU13E形5基である[62]。クハ480-9 - 11はサハ489形200・250番台の改造車で、種車のMG・CPは短編成では不要なため撤去された。
1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「北近畿」用として福知山運転所(現在:福知山電車区)へ転出した。福知山転出の3両は1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造[注 33]。801・851は1990年にクハ183形へ再改造された。南福岡転出の8両は、貫通扉埋込み時に立体型特急マークに変更されたが、2000年までに全車廃車された[62]。
- サハ481-12 - 19 → クハ480-1 - 8
- サハ489-201・204・252 → クハ480-9 - 11
クハ481形700番台
1985年3月改正での北陸特急「しらさぎ」「加越」「北越」の7両編成統一により不足する先頭車を補うため、サハ489-11を種車に先頭車化改造を行い、クハ481-701が登場した[66]。改造施工は松任工場である。
先頭車化改造に際しては、後位の客室を切断して485系1000番台タイプの運転台ユニットが接合され、空気圧縮機は床下から運転台助士席下へ移設し、床下には210 kVAのMGが新設された[66]。冷房装置はAU13E形であるが、運転台すぐ後ろの1基がやや後方に寄っている[66]。
分割民営化時にはJR西日本に承継された。2001年に金沢から京都総合運転所へ転出し、「雷鳥」用A編成に組成。2010年の「雷鳥」運用を最後に、2011年に廃車された[66]。
- サハ489-11 →クハ481-701
クハ481形750番台
1986年11月のダイヤ改正で福知山線・山陰本線電化による大阪 - 城崎間特急「北近畿」の新設、北陸特急「雷鳥」の増発によりクハ481形が必要となったことから、1986年に幡生車両所(現在:下関総合車両所)でサハ489形200番台2両・0番台中期車1両をクハ481形へ先頭車化改造し、750番台に区分された[66][注 34]。
改造内容は700番台と同様であるが、MG出力は160 kVAとなり、床下の空気圧縮機は存置された[66]。冷房装置は「北近畿」用の751・752は種車がサハ489-202・203のためAU12形5基、「雷鳥」用の753は種車がサハ489-5のためAU13E形5基を搭載する[66]。
国鉄分割民営化では751・752がJR西日本、753がJR東日本に継承された[66]。JR西日本の751・752は183系のクハ183-751・752へ再改造、JR東日本の753は2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され消滅した[66]。
- サハ489-202・203・5 →クハ481-751 - 753
クハ481形800・850番台
1986年の福知山線特急「北近畿」新設用として、元「くろしお」用の1枚貫通扉車クハ480形クハ480-8・6・5の3両に空気圧縮機とMGを搭載したクハ481形800番台801・802が1986年に、850番台851が1987年に登場した[67]。番台区分はMG容量の違いによるもので、800番台が210 kVA、850番台が160 kVAである[68]。改造施工は801・802が大宮工場、851が吹田工場である。
車体は両番台とも種車のクハ480形とほぼ同一で、冷房装置はAU13E形5基、定員は64名である[66]。空気圧縮機はいずれも床下に搭載する[66]。前面のタイフォン部分にはお椀型のカバーが設置された[68]。
JR西日本に継承され、1990年にはクハ481-802が183系のクハ183-801に、クハ481-851がクハ183-851にそれぞれ改造された。クハ481-801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」付属編成の自由席車となった[69]が、2001年に京都総合運転所へ転出して2010年3月まで「雷鳥」で使用された[66][70]。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
- クハ480-8・6 →クハ481-801・802
- クハ480-5 →クハ481-851
クモハ485形100番台
1986年11月改正で特急「有明」に3両編成の博多 - 熊本間区間列車が設定されることになり、モハ485形中期・後期車の5両が1986年に先頭車化改造されてクモハ485形100番台となった[71]。改造所は鹿児島車両管理所・小倉工場である。
先頭車化改造の内容は1985年実施のクモハ485形0番台に準じているが、短編成のためMG・CPの設置は省略された[71]。機器室も省略され、客用扉とデッキは連結面側に移設された[71]。定員は64名である[71]。
全車がJR九州に継承された。102 - 105・108は「ハウステンボス」へ転用の際に、AU13E形冷房装置が1基増設された[71]。末期は日豊本線「きりしま」「ひゅうが」で運用されたが、最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した[72]。
- モハ485-202・231・240 - 245 → クモハ485-101 - 108
クロハ481形200番台(九州地区)
クロハ481形は特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
1986年 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。
グリーン室座席は、当初新幹線0系の廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。
- クハ481-236・242・244・248・249・250・252・259 → クロハ481-201 - 208
クロハ481形200・300番台(北近畿地区)
1986 - 1987年に福知山線特急「北近畿」用として、吹田工場で改造施工されたグループ。200番台は種車がクハ481形200番台、300番台がクハ481形300番台による区分であり、国鉄時代に改造施工が開始されたため九州地区向けとされた201 - 208に続く209から付番された。
グリーン席座席配置は2+2で、普通席との仕切部窓を縮小するなど、九州地区向け仕様車との差異がある。
1989年に301がクハ481-309へ、1991年に213がクハ481-201へ復元されたほか、クロハ183形800番台に改造された。
- クハ481-209 - 212・201・204・205 → クロハ481-209 - 215
- クハ481-309・354 → クロハ481-301・302
クモハ485形1000番台
1986年11月1日改正で奥羽本線・田沢湖線特急「たざわ」が短編成化されるのに伴い、モハ485形1500番台9両を先頭車化改造したクモハ485形1000番台が1986年7月 - 10月にかけて登場した。改造施工は土崎工場である。
先頭車化改造では運転台ユニットが接合され、短編成のためMG・CPの搭載は省略されたが、冬季豪雪地帯での故障対策として非常用電源と充電装置が搭載された[71]。客用扉とデッキは乗務員扉のすぐ後ろに設けられ、定員は68名である[71]。
9両全車がJR東日本に継承され、1988年3月13日付で青森から秋田へ転出した。1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」のモロ485形へ改造され、一般車は「かもしか」運用を最後に2011年に廃車となり消滅した[71]。
- モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076 → クモハ485-1001 - 1009
クロハ481形1000番台(国鉄・秋田地区)
田沢湖線特急「たざわ」は、1985年3月14日改正以降モノクラス6両編成で運転されていたが、1986年11月1日改正では輸送力適正化による短編成化と同時にグリーン席が設置されることになった[73]。1986年4月から10月にかけてクハ481形1000番台偶数車9両が半室グリーン車に改造され、クロハ481形1000番台となった。施工所は土崎工場である。最初期落成車はクロハ480形とされたが[74][要ページ番号]、早期に本形式へ改められた。
定員はグリーン室12名・普通室44名である[73]。グリーン席は発生品のR-27形が2 + 2列・1,210 mm間隔で3組配置されたが、窓は普通席時代のままのためピッチと窓割りは合っていない[73]。
1001 - 1009の全車がJR東日本に継承され、JR東日本でも続番で1993年までに21両が改造された。1008・1009はJR化後の改造車に合わせてグリーン席16名・普通席36名に再改造された(グリーン席はレッグレストを装備する試作的要素の高いシートに交換)。
1001・1004・1008は3000番台にリニューアル改造された。なお、1001は方向転換とクハ481形復元を同時施工した。1005・1006は「はくたか」9両編成用としてリニューアル時に格下げされてクハ481形3000番台となった[73]。新潟配置車はグリーン室部分冷房装置をAU13E形からAU112形への交換施工もある。
秋田に残留した1002・1003・1007は2010年の「かもしか」廃止に伴い2011年に廃車となった[73]。2013年に新潟の1009が廃車となり、国鉄時代に改造のグループは消滅した[73]。
- クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014 → クロハ481-1001 - 1009
改番を伴わない改造工事
クハ481形の改造
- クハ481-9・12・22
国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。
- クハ481-25・26・27・30
国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。
モハ484形耐塩害対策施工車
羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の日本海に近い電化区間では、冬期の強い北西風による塩害で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には碍子に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。
黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事
東北本線黒磯駅は、1959年の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では、一部の特急列車が通過となったことから[注 35]、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま、新たに車上切換が可能なデッドセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたため、通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には列車選別装置を搭載する工事が施工された。なお、北陸・山陽・九州線向けの先頭車両についても、1968年度以降の製造車は将来の東日本地区への転配属を考慮して準備工事とした。
同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転された。
ロール式ヘッドマーク改造車
ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。
- 従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能とした。
- 構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
- 1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残され�
