1987年イタリアグランプリ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:09 UTC 版)
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| 日程 | 1987年シーズン第11戦 | ||
| 決勝開催日 | 9月6日 | ||
| 開催地 | モンツァ・サーキット イタリア モンツァ |
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| コース長 | 5.800km | ||
| レース距離 | 50周(290.000km) | ||
| 決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1'23.460 | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー | |
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| タイム | 1'26.796(Lap 49) | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
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| 2位 | |||
| 3位 | |||
1987年イタリアグランプリは、1987年F1世界選手権の第11戦として、1987年9月6日にモンツァ・サーキットで開催された。
概要
ウィリアムズがアクティブサスペンション仕様のFW11Bを持ち込み、ネルソン・ピケが使用した。ピケには標準のサスペンションを装備したマシンがスペアとして与えられたが、「アクティブサスペンションの方が1周で1秒速い」としてアクティブ仕様車で決勝までを走った[1]。
予選ではウィリアムズのネルソン・ピケが、標準サスペンション仕様のマシンに乗るチームメイトのナイジェル・マンセルを抑えてポールポジションを獲得した。
決勝スタート時にリカルド・パトレーゼのマシンから出火し、スタートがやり直しとなった。このため、予定より1周少ない50周でレースが争われた。
レースはスタートからピケがリードを奪うが、ピケがタイヤ交換を行うと、タイヤ無交換作戦を選択したアイルトン・セナのロータスがトップに立った。レース終盤に周回遅れの処理を誤ったセナがパラボリカでコースアウトすると再度ピケがトップに浮上し、そのままゴールした。ウィリアムズは初めて持ち込んだアクティブサスペンション車で勝利を獲得した。
レースウィーク中にはウィリアムズとホンダの契約が1年を残し1987年いっぱいで打ち切られると発表された[2]。1986年シーズンにコンストラクターズタイトルを獲得し、この年もタイトル争いをリードしているコンビネーションの解消は大きなニュースとなった。
これには、マンセルとピケを擁するウィリアムズが中嶋悟をドライバーとして採用させようとするホンダ側の要求を拒絶したことが契約打ち切りの一因だとの見方があったが[3][4][5]、事実はロータスからセナがホンダとともにマクラーレンへ移籍する計画があり、残るロータスとホンダが、ピケをエースドライバーとしてウィリアムズから受け入れることを了承したことであった。
結果
予選
| 順位 | No | ドライバー | コンストラクタ | 1回目 | 2回目 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 6 | ウィリアムズ・ホンダ | 1'24.617 | 1'23.460 | |
| 2 | 5 | ウィリアムズ・ホンダ | 1'24.350 | 1'23.559 | |
| 3 | 28 | フェラーリ | 1'25.211 | 1'23.933 | |
| 4 | 12 | ロータス・ホンダ | 1'25.535 | 1'24.907 | |
| 5 | 1 | マクラーレン・TAG | 1'25.340 | 1'24.946 | |
| 6 | 20 | ベネトン・フォード | 1'25.250 | 1'25.044 | |
| 7 | 19 | ベネトン・フォード | 1'26.894 | 1'25.020 | |
| 8 | 27 | フェラーリ | 1'25.290 | 1'25.247 | |
| 9 | 7 | ブラバム・BMW | 1'26.453 | 1'25.525 | |
| 10 | 8 | ブラバム・BMW | 1'40.285 | 1'26.802 | |
| 11 | 2 | マクラーレン・TAG | 1'27.420 | 1'27.031 | |
| 12 | 17 | アロウズ・メガトロン | 1'27.543 | 1'28.083 | |
| 13 | 18 | アロウズ・メガトロン | 1'29.273 | 1'28.022 | |
| 14 | 11 | ロータス・ホンダ | 1'28.463 | 1'28.160 | |
| 15 | 25 | リジェ・メガトロン | 1'28.946 | - | |
| 16 | 10 | ザクスピード | 1'30.389 | 1'29.465 | |
| 17 | 9 | ザクスピード | 1'30.144 | 1'29.725 | |
| 18 | 24 | ミナルディ・モトーリ・モデルニ | 1'29.738 | 1'31.069 | |
| 19 | 26 | リジェ・メガトロン | 1'29.898 | - | |
| 20 | 23 | ミナルディ・モトーリ・モデルニ | 1'31.094 | 1'30.782 | |
| 21 | 21 | オゼッラ・アルファロメオ | 1'32.768 | 1'31.029 | |
| 22 | 3 | ティレル・コスワース | 1'34.218 | 1'33.028 | |
| 23 | 30 | ローラ・コスワース | 1'34.748 | 1'33.170 | |
| 24 | 4 | ティレル・コスワース | 1'34.760 | 1'33.264 | |
| 25 | 16 | マーチ・コスワース | 1'34.205 | 1'33.311 | |
| 26 | 22 | オゼッラ・アルファロメオ | 1'34.467 | 1'33.816 | |
| DNQ | 32 | コローニ・コスワース | 1'38.460 | 1'35.721 | |
| DNQ | 14 | AGS・コスワース | 1'39.393 | 1'36.679 |
決勝
| 順位 | No | ドライバー | コンストラクタ | 周回 | タイム/リタイヤ | グリッド | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 6 | ウィリアムズ・ホンダ | 50 | 1:14'47.707 | 1 | 9 | |
| 2 | 12 | ロータス・ホンダ | 50 | +1.806 | 4 | 6 | |
| 3 | 5 | ウィリアムズ・ホンダ | 50 | +49.036 | 2 | 4 | |
| 4 | 28 | フェラーリ | 50 | +57.979 | 3 | 3 | |
| 5 | 20 | ベネトン・フォード | 50 | +1'21.319 | 6 | 2 | |
| 6 | 2 | マクラーレン・TAG | 50 | +1'28.787 | 11 | 1 | |
| 7 | 19 | ベネトン・フォード | 49 | +1 Lap | 7 | ||
| 8 | 26 | リジェ・メガトロン | 48 | +2 Laps | 19 | ||
| 9 | 10 | ザクスピード | 48 | +2 Laps | 16 | ||
| 10 | 25 | リジェ・メガトロン | 48 | +2 Laps | 15 | ||
| 11 | 11 | ロータス・ホンダ | 47 | +3 Laps | 14 | ||
| 12 | 4 | ティレル・コスワース | 47 | +3 Laps | 24 | ||
| 13 | 16 | マーチ・コスワース | 47 | +3 Laps | 25 | ||
| 14 | 3 | ティレル・コスワース | 47 | +3 Laps | 22 | ||
| 15 | 1 | マクラーレン・TAG | 46 | +4 Laps | 5 | ||
| 16 | 24 | ミナルディ・モトーリ・モデルニ | 45 | +5 Laps | 18 | ||
| リタイヤ | 9 | ザクスピード | 43 | ギアボックス | 17 | ||
| リタイヤ | 30 | ローラ・コスワース | 37 | スピンオフ | 23 | ||
| リタイヤ | 23 | ミナルディ・モトーリ・モデルニ | 34 | エンジン | 20 | ||
| リタイヤ | 18 | アロウズ・メガトロン | 27 | ドライブシャフト | 13 | ||
| リタイヤ | 22 | オゼッラ・アルファロメオ | 27 | ターボ | 26 | ||
| リタイヤ | 21 | オゼッラ・アルファロメオ | 16 | サスペンション | 21 | ||
| リタイヤ | 27 | フェラーリ | 13 | ターボ | 8 | ||
| リタイヤ | 17 | アロウズ・メガトロン | 9 | 電気系 | 12 | ||
| リタイヤ | 8 | ブラバム・BMW | 7 | サスペンション | 10 | ||
| リタイヤ | 7 | ブラバム・BMW | 5 | エンジン | 9 |
- 予選、決勝順位は、“The Official Formula 1 website”. 2008年6月2日閲覧。およびF1イヤーブック[6]より。
記録
- 初グランプリ(ドライバー):フランコ・フォリーニ、ニコラ・ラリーニ
- 初グランプリ(チーム):コローニ
脚注
- ^ Roebuck, Nigel; Alan Henry (1988年1月). Barry Naismith. ed (英語). Grand Prix. John Townsend. Glen Waverley, Victoria: Garry Sparke & Associates. pp. pp.116-ff. ISBN 0 908081 27 8
- ^ ホンダ来季はウィリアムズと訣別を発表「マクラーレンは将来思考のあるチーム」桜井総監督、記者の質問に答える F1GPX 1987年イタリア 31頁 山海堂
- ^ “BBC SPORT”. 2008年7月28日閲覧。
- ^ “Grandprix.com”. 2008年7月28日閲覧。
- ^ “Telegraph.co.uk”. 2008年7月28日閲覧。
- ^ 「フジテレビオフィシャルF1イヤーブック 87-88」昭和62年12月21日刊 ISBN 4-594-00191-2
関連項目
| 前戦 1987年オーストリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1987年シーズン |
次戦 1987年ポルトガルグランプリ |
| 前回開催 1986年イタリアグランプリ |
次回開催 1988年イタリアグランプリ |
「1987 Italian Grand Prix」の例文・使い方・用例・文例
- 1987年のブラックマンデーショックは、ウォール街のみならず、世界中を震撼させた。
- 1987年のブラックマンデー以降、株式先物取引規制が強化された。
- わが社は1987年に設立されました。
- フランスの脚本家で、ギリシャ神話に対する再解釈で知られる(1920年−1987年)
- 米国のダンサー、映画俳優で、独創的で上品なタップダンスで知られる(1899年−1987年)
- 米国の作家で、人種差別に関する率直な批判者(1924年−1987年)
- フランスの原子物理学者で、物質の粒子が波状特性を見せることを示すことにより、波動・粒子の二重性を法則化した(1892年−1987年)
- 米国の作者で、貧困と衰退についての小説で知られる(1903年−1987年)
- イタリアの小説と短編小説の作家(キューバ生まれ)(1923年−1987年)
- 米国の神話学者(1904年−1987年)
- ヘンリー・フォードの孫(1917年−1987年)
- 米国のジャズミュージシャンでバンドリーダー(1913年−1987年)
- 1941年に明らかに英国と平和条約を交渉しようとスコットランドに単独で飛行したが、終身収監されたナチのリーダー(1894年−1987年)
- 米国の映画制作者で、米国で生まれ、1964年以降アイルランド市民となった(1906年−1987年)
- 米国の作曲家(オーストリア生まれ)で、いくつかのミュージカルでラーナーと協力した(1901年−1987年)
- 米国の脚本家で公務員(1902年−1987年)
- 英国の免疫学者(ブラジル生まれ)で、組織移植を研究し、移植片の不認可が免疫反応であることを発見した(1915年−1987年)
- スウェーデンの経済学者(1898年−1987年)
- 米国の生化学者(1891年−1987年)
- 米国の心理学者で、患者中心療法を開発した(1902年−1987年)
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