1878-1897年
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「ローベルト・ヴァルザー」の記事における「1878-1897年」の解説
ローベルト・オットー・ヴァルザー (Robert Otto Walser)は、文具と額縁を扱う製本業者・工房所有者アドルフ・ヴァルザー(Adolf Walser, 1833-1914)と妻エリーザベト・ヴァルザー(Elisabeth Walser, 1939-1894)の6男として生まれた(兄弟姉妹8人のうち下から2番目)。 兄カール・ヴァルザー(Karl Walser)は舞台美術家・画家。ベルン州の独仏二言語境界の街ビール(Biel)で育ち、ビール市内の初等・中等学校に通ったが、学費の支払いができなくなり、中退せざるをえなかった。ヴァルザーは早期から演劇に興味をもち、とくにシラー(Friedrich Schiller)の『群盗(Die Räuber)』に熱狂していた。兄カール・ヴァルザーは『群盗』のカール・モールの扮装をした少年ローベルトを水彩画で描いている。 母エリーザベトは「情性疾患」(一種の精神疾患に対する当時の名称)と診断され、長年にわたり長女リーザが面倒を見ていたが、その母が1894年に亡くなった。スイスの独文学者ペーター・フォン・マット(Peter von Matt)によれば、母親に対するヴァルザーの共生関係は彼の創作にとって本質的であるという。 ヴァルザーは1892年から1895年までベルン州立銀行ビール支店で見習い勤務、続いて短期間バーゼル(Basel)で働いたのち、1895年、兄カールがいるドイツ南西部シュトゥットガルト(Stuttgart)に移り住み、ここでドイツ出版社協会 (Union Deutsche Verlagsgesellschaft) の広告部で文書係として勤務した。 そのかたわら役者になろうと試み、宮廷劇場でオーディションを受けたが、不首尾におわった。ヴァルザーはそこから徒歩でスイスに戻り、1896年9月末にはチューリヒ到着を届け出ている。その後数年間、事務員やタイピストとして雇用されたが、不規則であり、また頻繁に職場を替えた。ヴァルザーはその後、雇われの事務員という存在を初めて文学テーマに取り入れたドイツ語作家のひとりとなった。
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