高継沖とは? わかりやすく解説

高継沖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
高継沖
荊南
第5代国主
王朝 荊南
在位期間 建隆3年11月20日 - 建隆4年5月13日
962年12月19日 - 963年6月7日
都城 江陵
姓・諱 高継沖
成和(賛平とも)
生年 天福8年(943年
没年 開宝6年11月14日
973年12月11日
貞懿王

高 継沖(こう けいちゅう)は、十国荊南の第5代(最後)の国主。貞懿王高保融の長男。

生涯

建隆元年(960年)、高保融が病没した際は年少であったためにその弟の高保勗が地位を継承した。建隆3年(962年)、高保勗が病没すると遺命によりその地位を継承した。後により荊南節度使に任じられている。

同年、朗州の武平軍節度使周行逢もまた死去し、僅か11歳の周保権が継承したが、その地域では大将の張文表が反乱を起こす内紛が発生し、周保権は宋に求援を求めた。建隆4年(963年)、宋軍は張文表討伐のために荊南の地を通過したが、この機会に乗じ荊南の都城である江陵を影響下に置こうとし、高継沖が領地を宋に納めたことにより荊南は滅亡した。

荊南滅亡後、宋は一度高継沖を荊南節度使に任命したことがあったが、やがて高継沖は一族を挙げて朝廷に帰順し、武寧軍節度使(徐州宿州)へ改めて任じられた。

開宝6年(973年)、武寧軍節度使のまま死去した。享年31。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高継沖」の関連用語

高継沖のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高継沖のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高継沖 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS