高橋守雄とは? わかりやすく解説

高橋守雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/02 00:20 UTC 版)

高橋 守雄
たかはし もりお
警視総監在任中の高橋守雄
生年月日 1883年1月1日
出生地 日本熊本県上益城郡浜町(現:山都町
没年月日 (1957-05-06) 1957年5月6日(74歳没)
死没地 日本・熊本県熊本市大江町渡鹿
出身校 東京帝国大学法科大学
前職 内務官僚
称号 従四位
勲三等瑞宝章
配偶者 高橋雅子
子女 高橋通敏(次男)
第34代 警視総監
在任期間 1931年4月14日 - 1931年12月13日
在任期間 1931年1月17日 - 1931年4月14日
総督 太田政弘
テンプレートを表示

高橋 守雄(たかはし もりお、1883年明治16年〉1月1日[1] - 1957年昭和32年〉5月6日[2])は、日本の内務官僚である。警視総監[3][4]

来歴

熊本県上益城郡浜町(現:山都町)に生まれる。熊本士族・高橋彌八郎の長男[3][5]

済々黌旧制七高造士館を経て1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格[3]。翌年内務省に入り、警視庁警視となる。1910年(明治43年)、家督を相続する[3][6]

その後、石川県事務官警察部長、岐阜県警察部長、新潟県警察部長、新潟県内務部長、京都府内務部長、内務監察官等を経て、1922年大正11年)に第7代熊本市長となった。熊本市長時代には、市内の近代化を推進し、上水道や市電の整備、旧十三連隊跡の市街地編入の三大事業を完成させた。

その後も順調に昇進を続け、滋賀県知事、長野県知事、兵庫県知事、台湾総督府総務長官等を歴任した。そして、1931年(昭和6年)、第34代警視総監に就任。東京市内において前例のない規模の暴力団員らの摘発を指示し、その陣頭指揮をとった[7]

退官後は熊本に帰り、1941年(昭和16年)には東洋語学専門学校理事、戦後は同校長となっている。同校は1950年(昭和25年)、熊本短期大学となり、1954年(昭和29年)には4年制度の熊本商科大学を開校させ、初代学長になっている。同校は現在熊本学園大学となった。

1957年(昭和32年)に死去した。

人物

人柄

熊本市は高橋の功績を讃え、熊本市名誉市民とした。また、熊本県近代文化功労者にもなっている。

趣味は打球[6]。宗教は日蓮宗[6]。住所は熊本市北坪井町[5]、東京目黒区上目黒[6]

龍田寮事件解決に貢献

ハンセン病患者の子弟の通学問題でこじれた龍田寮事件(黒髪校事件ともいう)を解決するために、ハンセン病患者の子弟3人を自宅に引き取り、問題の解決に大いに貢献した。

備考

  • 熊本城の近くにある「高橋公園」は、市の近代化に功績のあった彼の名からつけられたものである。
  • 熊本学園大学には彼を記念とした「高橋守雄記念ホール」がある。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章[15]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[16]
1921年(大正10年)2月1日 勲六等瑞宝章[17]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[18]
1922年(大正11年)2月23日 勲五等瑞宝章[19]
1922年(大正11年)3月10日 日本赤十字社有功章[20]
1926年(大正15年)1月21日 勲四等瑞宝章[21]
1927年(昭和2年)6月1日 紺綬褒章[22] [注釈 1]
1930年(昭和5年)9月9日 勲三等瑞宝章[23]
1940年(昭和15年)11月10日 紀元二千六百年祝典記念章[24]

家族・親族

高橋家
親戚

脚注

注釈

  1. ^ 1925年(大正14年)10月、熊本市教育振興資金として金1万5千円を寄付する。

出典

  1. ^ 『新編日本の歴代知事』701頁。
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1957年5月6日夕刊7頁。
  3. ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』タ70-71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月4日閲覧。
  4. ^ a b 『現代財界家系譜 第1巻』377頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月31日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』た105-106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月30日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 下』タ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月30日閲覧。
  7. ^ 警視庁が千七百人を一網打尽『東京日日新聞』昭和10年5月3日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p676 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ 『官報』第7743号「叙任及辞令」1909年4月21日。
  9. ^ 『官報』第8363号「叙任及辞令」1911年5月11日。
  10. ^ 『官報』第386号「叙任及辞令」1913年11月11日。
  11. ^ 『官報』第1009号「叙任及辞令」1915年12月11日。
  12. ^ 『官報』第1704号「叙任及辞令」1918年4月11日。
  13. ^ 『官報』第2837号「叙任及辞令」1922年1月19日。
  14. ^ 『官報』第2857号「叙任及辞令」1922年2月13日。
  15. ^ 『官報』第466号・付録「叙任及辞令」1914年2月19日。
  16. ^ 『官報』第1364号・付録「辞令」1917年2月20日。
  17. ^ 『官報』第2715号「叙任及辞令」1921年8月18日。
  18. ^ 『官報』号外「辞令」1922年6月29日。
  19. ^ 『官報』第2867号「叙任及辞令」1922年2月24日。
  20. ^ 『日本赤十字社史続稿:明治四十一至大正十一年』下巻、1929年10月。付録 p125
  21. ^ 『官報』第4029号「叙任及辞令」1926年2月1日。
  22. ^ 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月17日閲覧。
  23. ^ 『官報』第1111号「叙任及辞令」1930年9月10日。
  24. ^ 『官報』第4692号・付録「辞令二」1942年8月29日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『現代財界家系譜 第1巻』現代名士家系譜刊行会、1968年。
  • 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。
  • 熊本教育振興会編『肥後の人物ものがたり』熊本教育振興会、1988年
  • 中村勝実『警廃事件-われら警察を奪回す』(1994年)
  • 熊本県退職校長会 「近代熊本の基礎を築く 高橋守雄」 pp88-89 『熊本教育の人的遺産』(2010年)
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
公職
先代
人見次郎
台湾総督府総務長官
第12代:1931年
次代
木下信
先代
佐柳藤太
熊本市長
第7代:1922年 - 1925年
次代
辛島知己




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋守雄」の関連用語

高橋守雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋守雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋守雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS