飯田年平とは? わかりやすく解説

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いいだとしひら 【飯田年平】

幕末明治期国学者歌人因幡の人。号は石園。本居大平伴信友らに学んだ鳥取藩国学教授明治になり神祇大録・式部大属。著『訂正祝詞式』他。(一八二〇~八六)

飯田年平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 06:11 UTC 版)

飯田 年平(いいだ としひら、文政3年8月6日1820年9月12日[1] - 明治19年(1886年6月26日)は、因幡国鳥取藩国学方、国学者である。

生涯

因幡国気多郡寺内町(現・鳥取県鳥取市)の加知弥神社祠官飯田秀雄の次男として生まれる[2]

秀雄が本居大平の門人であったため、年平も大平に従学、さらに加納諸平にも学んだ。その好学を鳥取藩主池田慶徳に認められ、万延元年(1860年)3月、士班に列して鳥取藩国学方雇となる。挙兵に失敗した天誅組三枝蓊を屋敷に匿った。明治維新後は、まず史官となり、次いで神祗大史となる。その後、神祇大録・式部大属兼中掌典・神宮神嘗祭奉幣使・式部寮御用掛准奏任官などを歴任。

明治19年(1886年)6月26日、死去の際に従六位に叙された。飲酒と貧窮の逸話に富み、家庭を営むことなく没す。墓所は青山霊園

家族

  • 父:飯田秀雄 - 加知弥神社祠官・国学者。歌人。
  • 母:飯田汐子 - 歌人。別名: 白岩志保
  • 姉:飯田俊子 - 歌人。
  • 兄:飯田秀臣 - 加知弥神社祠官。歌人。
  • 妹:原田輝子 - 歌人。養蚕の振興に尽くす。
  • 姪:古田むめ - 日本女子美髪学校校長。

出典

  • 国学者伝記集成 第2巻.続編
  • 日本人名大辞典.第1巻
  • 明治維新人名辞典
  • 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について

脚注

  1. ^ 飯田年平』 - コトバンク
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 76頁。

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