韓建洙とは? わかりやすく解説

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韓建洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/21 03:51 UTC 版)

韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国政治家実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員[1]本貫清州韓氏[2]鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖[1]

元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキ手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた[3]

経歴

日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。

世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた[2][4]。その後第6代総選挙国民の党の公認で立候補して当選し、国会議員となった。第7代総選挙で落選したため、この選挙での開票不正に関する訴訟に勝訴したものの、朴炳善の辞職からの残余任期は1年未満なので、補欠選挙は行われなかった[5][6]第8代総選挙第10代総選挙新民党の公認で立候補して当選した。党職としては民主党院内副総務、民衆党忠南第8地区党委員長・議員総会副総務、三民会・民主党国民の党自由民主党院内総務、新民党院内総務・忠南道党委員長・政務委員・中央政治訓練院長・外務国防委員長、新韓民主党政務委員などを歴任した[1][4]。1982年に政界を引退し、実業家として活動した[2]

1994年8月5日、老衰により74歳で死去した。

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年6月19日閲覧。
  2. ^ a b c 한건수(韓建洙)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月16日閲覧。
  3. ^ 의회정치 60년, 선량들이 낳은 진기록|신동아” (朝鮮語). 신동아 (2008年8月4日). 2023年8月20日閲覧。
  4. ^ a b 제12대 국회의원선거 충남 홍성군청양군예산군 국회의원 한건수 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2022年6月19日閲覧。
  5. ^ 동아일보 (1967年6月24日). “네이버 뉴스 라이브러리 - 當選無効(당선무효)소송”. NAVER Newslibrary. 2022年6月19日閲覧。
  6. ^ 동아일보 (1970年12月24日). “네이버 뉴스 라이브러리 - 大法院(대법원)판결 예산區(구) 議員選擧(의원선거)전면無效(무효)”. NAVER Newslibrary. 2022年6月19日閲覧。



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