雨宮治郎とは? わかりやすく解説

雨宮治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/27 16:21 UTC 版)

雨宮 治郎(あめのみや じろう、1889年明治22年〉5月17日[1] - 1970年昭和45年〉5月13日[1])は、彫刻家日本芸術院会員。茨城県水戸市出身[1]

経歴

1920年東京美術学校彫刻科卒業[1]、1923年同研究科卒業、帝展文展日展に出品し、1950年日展審査員、日展運営会参事、1951年東京学芸大学教授[1]、1957年日本芸術院賞受賞[1]、1958年日展評議員、1962年日本彫塑会委員長、1964年日本芸術院会員[1]、日展理事、1966年勲三等瑞宝章受章、1969年日展顧問。

晩年は東京都杉並区永福に自宅を構えた。 1970年5月13日、脳梗塞のため杉並区の東京大塚病院にて死去。告別式は同月22日、青山葬儀所で行われた[2]。墓所は多磨霊園

娘の雨宮敬子、息子の雨宮淳も彫刻家、芸術院会員。2013年現在日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールには「健人(けんと)」の大ブロンズ像が飾られている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 20世紀日本人名事典『雨宮治郎』 - コトバンク
  2. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和45年(1970年)5月14日夕刊 3版 11面




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