金正基
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金 正基(キム・ジョンギ、朝鮮語: 김정기、1893年 - 1978年10月29日[1]または10月30日[2])は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、独立運動家、実業家、政治家。順天郡郡守、木浦府(現・木浦市)府尹、第2代韓国国会議員を歴任した[1]。キリスト教の長老[3]。
本貫は金堤金氏、号は海岩[2]。東亜日報所属のジャーナリストの金聖悦は次男[3]。
経歴
全羅南道昇州郡(現・順天市)出身。平壌神学校卒。日本統治時代は新幹会幹事を務めたが、逮捕されて木浦と咸興の刑務所で過ごした。その後は順天で大きな製紙工場を経営し[3]、東亜日報全南東部支社経営者、新聞記者団長、国民会順天支部長、米軍政庁全南道顧問、国民大学院理事、順天郡守、木浦府尹・市長を務めた。第2代国会議員在任中は一貫して無所属で活動し、国会商工委員・運営委員・国民防衛軍事件調査委員・朝紡事件調査委員・徐珉濠事件調査委員を務めた[1][4][5][2]。
1978年10月30日、老衰によりソウル市龍山区の自宅で死去。享年85[2]。
活動
1950年の第2代第8回第40次国会本会議においては、「(朝鮮戦争中に脱出を試みたものの)南下できない者、洛東江を渡れなかった者はまるで罪人のように扱われるため、大変不快に思います。もちろん自首した議員は粛清しなければならないが、自首しなかった議員は自首した議員と全く同じように扱うことは難しいと思います。したがって今後審査される時は、南下した議員と(京城に)残留した議員とは言わず、自首議員とおっしゃってください」という旨を述べた[6]。また、1952年の釜山政治波動さ中の第12回第64次国会本会議において、任永信が発言している途中、席上から「議長、緊急な事態が起きました」と言い、国会議員50名ほどを載せたバスがトラックによって勝手にけん引され、どこかに連れていかれそうになっているという旨を、出席していた議員の中で議事録上最初に知らせ、同時に行かせないような緊急対策も求めた[7]。
脚注
- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年10月13日閲覧。
- ^ a b c d “2대議員(의원) 金正基(김정기)응”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1978年10月31日). 2025年10月13日閲覧。
- ^ a b c “30. 평생을 동아일보와 고락 함께 한 ‘동아(東亞)맨’ 김성열(金聖悅) | 동네 : 동아미디어그룹 공식 블로그” (朝鮮語) (2017年7月19日). 2025年10月13日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年10月13日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年10月13日閲覧。
- ^ “제2대국회 제8회 (임시회) 제40차 국회본회의(1950.11.01.)”. p. 11 (1950年11月1日). 2025年10月14日閲覧。
- ^ “제2대국회 제12회 (정기회) 제64차 국회본회의(1952.05.26.)”. p. 4 (1952年5月26日). 2025年10月14日閲覧。
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