足立巻一とは? わかりやすく解説

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足立巻一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/05 00:53 UTC 版)

足立 巻一
誕生 (1913-06-29) 1913年6月29日
日本東京市神田区(現:東京都千代田区
死没 (1985-08-14) 1985年8月14日(72歳没)
日本
職業 小説家
詩人
随筆家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 神宮皇學館
ジャンル 小説

短歌
評論
随筆
代表作 やちまた』(1974年)
ウィキポータル 文学
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足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本小説家詩人エッセイスト。元大阪芸術大学教授。

メディアを通して本居宣長顕彰に大きな功績を残した[1]。代表作である『やちまた』は、盲目国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である[2][3][4]

来歴・人物

東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。

諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。関西学院中等部に入学、同校の国語教諭であり、自らも歌人であった池部宗七(筆名は石川乙馬、「夕暮れに苺を植えて」はその評伝である)から短歌の手解きを受ける。

恩師池部の母校である神宮皇學館(現:皇學館大学)を受験するが、2度にわたって失敗、1934年に3度目の受験で合格する。同館在学中も詩誌、歌誌等を中心に活動した。この頃に本居春庭を知り、研究を始める。

1938年、神宮皇學館本科国漢科卒業。高校教諭となるが、同年に応召、中国に渡り北支戦線に従軍。帰国後新大阪新聞社に勤務、学芸部長、社会部長等を歴任した。1948年、井上靖の発案で児童詩誌『きりん』の創刊より編集に携わり、児童詩運動が終生の一事業となる[注 1]。1956年に新聞社を退職して執筆活動に専念する。

毎日放送の『真珠の小箱』(1959年 - 2004年)で番組の構成に参加、出演も多数。立川文庫の研究も行い、1961年には尾崎秀樹武蔵野次郎が創立した「大衆文学研究会」に編集委員として参加[5]。『文学』(岩波書店)、『思想の科学』、『大衆文学研究』はじめ多くの雑誌に執筆した[注 2]

1977年、大阪芸術大学芸術学部文芸学科教授を経て、1980年、神戸女子大学文学部国文学科教授。

1984年8月、鈴屋学会の第1号会員となる[1]。同年12月、発会式を兼ねた第1回鈴屋学会大会が本居宣長記念館で開催され、そこで記念講演を行った[1]。翌1985年に死去。

受賞歴

主な作品

  • 『宣長と二人の女性』(佃書房) 1943年
    復刻版『宣長・鈴屋関係資料集 研究篇 4』(クレス出版、2012年)に1944年の再刊版を収録
  • 『(詩集)夕刊流星号』(六月社) 1958年
    • 『夕刊流星号』(新潮社) 1981年
  • 『石をたずねる旅』(鉄道弘報社) 1962年
  • 『黒部峡谷』(保育社カラーブックス) 1964年
  • 『関西人』(弘文堂新社) 1967年
  • 『大衆芸術の伏流』(理論社) 1967年
  • 『関西おんな』(文研出版) 1968年
  • 『鏡 - 詩人九鬼次郎の青春と歌稿』(理論社) 1970年
  • 『バカらしい旅行』(理論社) 1971年
  • 『牛乳びんの歌』(理論社) 1972年
  • やちまた』上・下(河出書房新社) 1974年、新版 1990年、朝日文庫 1995年、中公文庫 2015年
  • 『立川文庫の英雄たち』(文和書房)1980年、中公文庫 1987年
  • 『夕暮れに苺を植えて』(新潮社)1981年、朝日文庫 1995年
  • 『虹滅記』(朝日新聞社)1982年、朝日文庫 1995年
  • 『戦死ヤアワレ 無名兵士の記録』(新潮社) 1982年
  • 『石の星座』(編集工房ノア) 1982年
  • 『雑歌』(理論社) 1983年
  • 『親友記』(新潮社) 1984年
  • 『足立巻一詩集』(土曜美術社日本現代詩文庫) 1984年
  • 『人の世やちまた』(編集工房ノア) 1985年
  • 『評伝竹中郁 その青春と詩の出発』(理論社) 1986年
  • 『学芸の大阪』(編集工房ノア) 1986年
  • 『日が暮れてから道は始まる』(編集工房ノア) 1987年

編・解説

  • 『全日本児童詩集』Ⅰ(竹中郁, 星芳郎, 浮田要三共編、尾崎書房) 1950年
  • 『全日本児童詩集』Ⅱ(竹中郁, 星芳郎, 浮田要三共編、むさし書房)1952年
  • 『全日本児童詩集』Ⅲ(竹中郁, 星芳郎, 浮田要三共編、創元社)1955年
  • 『きりんの本』Ⅰ - Ⅲ(竹中郁, 星芳郎, 浮田要三共編、理論社)1958年
  • 『日本の旅名詩集』Ⅲ(小野十三郎共編、三笠書房) 1967年
  • 『現代日本の文学』第1部 50巻(学研) 1969年 - 1971年
  • 『現代日本文学アルバム』全16巻(奥野健男, 尾崎秀樹, 北杜夫共編、学研) 1974年
  • 『復刊 立川文庫 傑作選』全20巻・別巻解説(講談社) 1974年
  • 『現代日本の文学』第2部 10巻(奥野健男, 尾崎秀樹, 北杜夫共編、学研) 1976年
  • 『真珠の小箱』全6巻(監修・執筆、角川書店) 1979年

脚注

注釈

  1. ^ 『きりん』は1971年に通巻220号で終刊。
  2. ^ その夥しい仕事は、足立巻一 (1985)所収の「足立巻一略年譜」が、執筆目録ともなっていて最も詳しい。

出典

  1. ^ a b c 本居宣長記念館 (2018), p. 48.
  2. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』学問と人生の重さ 語学者「本居春庭」の評伝」『読売新聞』1974年11月18日、朝刊、9面。
  3. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』」『毎日新聞』1974年12月2日、朝刊、7面。
  4. ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』人生の陰影も活写」『朝日新聞』1974年12月16日、朝刊、10面。
  5. ^ 峯島正行 (2009), p. 378.
  6. ^ 「芸術選奨きまる 田中絹代さんら11人 新人賞9人 新分野へ、異色の顔」『読売新聞』1975年3月15日、朝刊、18面。
  7. ^ 「女優の田中さんら 芸術選奨 20氏決まる」『朝日新聞』1975年3月15日、朝刊、22面。

参考文献

図書
  • 足立巻一『人の世やちまた』編集工房ノア〈ノア叢書8〉、1985年10月。 
  • 東秀三『足立巻一』編集工房ノア、1995年8月。 
  • 峯島正行『荒野も歩めば径になる:ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社、2009年9月。 
  • 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長年表:(稿)』本居宣長記念館、2018年3月。 
論文
  • 杉山平一「戦後関西詩壇回想(11)足立巻一のことなど」『現代詩手帖』第37巻第1号、思潮社、1994年1月、176-179頁。 
  • 倉橋健一「詩的60年代:足立巻一・その周辺」『現代詩手帖』第40巻第10号、思潮社、1997年10月、178-179頁。 
  • 森晴彦「足立巻一最晩年の仕事:整理とその継承」『解釈』、解釈学会、2014年2月、2-9頁。 

関連項目




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