豊増昇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/16 14:20 UTC 版)
| 豊増 昇 | |
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| 基本情報 | |
| 生誕 | (1912-05-23) 1912年5月23日 |
| 出身地 | |
| 死没 | (1975-10-09) 1975年10月9日(63歳没) |
| 学歴 | 東京音楽学校 |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | ピアニスト、音楽教育者 |
| 担当楽器 | ピアノ |
豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23日 - 1975年〈昭和50年〉10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。
経歴
1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。
1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、 1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会[1]、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。1961年日本芸術院賞受賞[2]、1962年芸術院会員。
1975年、肺癌のため死去。
小澤征爾に、指揮者になる事を勧めた人物でもある[3]。1993年には郷里佐賀で「豊増昇生誕百年記念音楽祭」が開かれた[4]。
著作
脚注
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、373頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ 『朝日新聞』1961年4月15日(東京本社発行)朝刊、1頁。
- ^ 「小澤征爾&2014サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(2014年10月13日、NHK BSプレミアムにて放送)より。冒頭のピーター・バラカンとの対談で触れた。
- ^ 豊増昇記念音楽祭 郷土のピアニストしのぶ
外部リンク
- 『豊増昇』 - コトバンク
- 音楽家・豊増昇、欧州へ - 佐賀新聞タイムトリップ―暮らし見続けて125年
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||
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