藤内金吾とは? わかりやすく解説

藤内金吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/12 04:16 UTC 版)

 藤内 金吾 八段
1939年ごろ
名前 藤内 金吾
生年月日 (1893-03-20) 1893年3月20日
没年月日 (1968-02-11) 1968年2月11日(74歳没)
出身地 愛媛県松山市
棋士情報
プロ入り年月日 1920年
引退年月日 1951年
所属 関西将棋研究会
→将棋大成会(関西)
日本将棋連盟(関西)
師匠 坂田三吉贈名人・王将
弟子 高島一岐代内藤國雄若松政和森安秀光森安正幸小阪昇淡路仁茂酒井順吉
段位 八段
順位戦最高クラス C級(C級1組)
2022年2月21日現在
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藤内 金吾(ふじうち きんご、1893年3月20日 - 1968年2月11日[1][2]は、将棋棋士。八段。坂田三吉贈名人・王将門下[1]愛媛県松山市出身[1]

経歴

松山を出て大阪での丁稚奉公を経て、メリヤス(莫大小)業を経営[3][4][5]

26歳の時に坂田三吉に入門[3][5]

1920年四段[1]1923年五段[要出典]と順調に昇段するが、この時期は実業家の業務に軸足を置いていた。 39歳の時に棋士に本格的に転身[要出典]1932年六段[1]

1951年に引退[1]

引退後の昭和27年秋に神戸市三宮で将棋道場を開き、アマチュアへの将棋の普及に努めた[5][6]。この道場に通ったうちの一人が内藤國雄であった[5][6]

1964年11月の棋界功労者表彰で贈七段[7][注釈 1]

1968年2月11日に膀胱ガンのため死去、享年75[2]。没日7日前の2月4日付で日本将棋連盟から八段が贈られた[1][2]

無類の酒好きでも知られ[8]、「酒のウイスキー割り」を「藤内カクテル」と称し、ときにはビール・酒・ウイスキーを「ちゃんぽん」にした酔いの回りの早いものをグイグイ飲む酒豪であった[9][10]

弟子

棋士となった弟子

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
高島一岐代 1936年 九段、A級在籍9期
内藤國雄 1958年10月1日 九段、王位2期、棋聖2期、一般棋戦優勝13回、A級在籍17期
若松政和 1967年10月1日 八段、一般棋戦優勝2回
森安秀光 1968年4月1日 九段、棋聖1期、一般棋戦優勝10回、A級在籍6期
森安正幸 1971年10月1日 七段
小阪昇 1973年10月1日 八段、一般棋戦優勝1回
淡路仁茂 1974年4月1日 九段、一般棋戦優勝1回、A級在籍1期
酒井順吉 1976年3月19日 七段

将棋道場の場所から、一門は「神戸組」とも呼ばれた。

とりわけ内藤國雄との関係は実の親子以上ではないかと言われる。将棋の対局で内藤が初めて上京するときは同行、成人するといろいろな遊びを教えた。内藤を弟子に取る際、将来を考えて升田幸三に預ける事も考えていたというほどの弟子想いであった[11]。また、内藤が四段になって2年目の1959年、各方面にお願いして会員50人の内藤後援会が誕生し、年に2度の将棋会を催し、その後に宴会を開いた(のちに内藤が七段の時、解散となった)[12]。また神戸新聞社と掛け合って、塚田正夫九段(当時)との内藤との記念対局を実現させた[12]

なお、内藤は将棋道場の看板に右から横書きされた文字を左から「内藤」と読み、同じ苗字の人がやっている道場だと誤解、これが藤内の道場に通い始めるきっかけとなった。その後、内藤は藤内忍(とうない しのぶ、現・指導棋士)という弟子を持つ。

主な成績

在籍クラス

順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[13]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1946 1 六・七段戦 5-9・成績11位
1947 2 C級6位 東組 休場
1948 3 C1 予選2組 3-2-持1
1949 4 C1 西組 2-6
1950 5 C1 6-6
1951 6 C108 3-9
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )

脚注

注釈

  1. ^ 1964年(昭和40年)11月3日に行われた日本将棋連盟による功労者表彰は次の基準で行われた[7]
    • 70歳以上の棋士
    • 戦後順位戦に参加し、一度も昇段せずに引退した七段以下の棋士
    • 戦後順位戦に参加し、一度も昇段せずに死去した七段以下の棋士(追贈)
    • 順位戦不参加ながら、地方棋界の発展に尽くした地方在住棋士

出典

  1. ^ a b c d e f g 物故棋士一覧(1955年以降)」『日本将棋連盟』。2016年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  2. ^ a b c 「藤内金吾八段なくなる」『近代将棋 1968年4月号』94-95頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b 日外アソシエーツ現代人物情報
  4. ^ 日本商工信用録(分冊 大阪府)』日本商工社、1925年2月1日、45頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c d 最新大阪ものしり事典』創元社、1994年3月20日、88頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ a b 藤内金吾七段「内藤新八段のこと」『近代将棋 1967年5月号』84-85頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ a b 原田泰夫八段「棋談あれこれ」『近代将棋 1965年1月号』36-38頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 上前淳一郎「雨風」『読むクスリ 27』文藝春秋、1997年6月10日、200–201頁。
  9. ^ 中平邦彦『棋士・その世界』講談社、1974年。
  10. ^ 内藤國雄『自在流「先を読む」法』講談社、1984年11月20日、69頁。
  11. ^ 内藤國雄 千勝への軌跡 (3)師と弟子/実の親子以上の関係 名前めぐる奇妙な因縁」『神戸新聞Web News』。2001年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  12. ^ a b 「内藤國雄・人生自在流16」塚田正夫九段(前編) - 関西ゆかりの人間物語」『goo ニュース』デイリースポーツ。2019年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  13. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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