薛苹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/14 12:52 UTC 版)
薛 苹(せつ へい、746年 - 819年)は、唐代の官僚。本貫は蒲州宝鼎県[1]。
経歴
若くして官吏の事務で任用され、長安県令に累進した。貞元18年(802年)、虢州刺史として出向した[2][1]。永貞元年(805年)、潭州刺史・湖南観察使に転じた[3]。元和3年(808年)、越州刺史・浙江東道観察使に転じた。元和5年(810年)、潤州刺史・浙江西道観察使に転じた[4]。その俸禄は全て親族や友人の子弟に分配した。左散騎常侍として致仕した[2][5]。元和14年(819年)7月3日、死去した[6]。享年は74。工部尚書の位を追贈された。諡は宣といった[2][5]。
家族
- 六世祖:薛道実(隋の礼部尚書)
- 玄祖父:薛徳儒(隋の済北郡司馬)
- 高祖父:薛宝積(潤州刺史)
- 曾祖父:薛待詔(代州司馬)
- 祖父:薛侃(陝州司馬)
- 父:薛順先(奉天県尉)[1]
- 母:呉氏(代宗の母の姉妹)
- 兄:薛萊
- 兄:薛莘
- 兄:薛萃
- 兄:薛芳
- 子:薛膺(工部員外郎)
- 子:薛斉[5]
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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