蔣係とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蔣係の意味・解説 

蔣係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 08:08 UTC 版)

蔣 係(しょう けい、生没年不詳)は、唐代官僚本貫常州義興県[1][2]

経歴

蔣乂の子として生まれた。大和元年(827年)、昭応県尉に任じられ、史館に宿直した。大和2年(828年)、右拾遺に任じられ、史館修撰をつとめた。沈伝師・鄭澣・陳夷行・李漢らとともに『憲宗実録』の編纂にあたった。大和4年(830年)、書が完成して奏上すると、膳部員外郎に転じた。史官の職を兼ねたまま、工部郎中礼部郎中・兵部郎中を歴任した。大和5年(831年)、宰相の宋申錫が罪に落とされると、蔣係は諫官の崔玄亮とともに玉階の下で泣いて諫めたため、宋申錫は一死を減刑された。開成4年(839年)、諫議大夫に転じた。武宗の朝廷で李徳裕が宰相に任用されると、李漢が憎まれた。蔣係の妻と李漢の妻が姉妹であったことから、蔣係は桂管都防禦観察使として出された。会昌6年(846年)、宣宗が即位すると、蔣係は長安に召還されて、給事中・集賢院学士・判集賢院事に任じられた。吏部侍郎に転じ、尚書左丞となった。山南西道節度使として出向した。大中11年(857年)、入朝して刑部尚書となった。まもなく検校戸部尚書鳳翔尹に転じ、鳳翔隴右節度使をつとめた。入朝して兵部尚書となった。弟の蔣伸が宰相となると、蔣係は官の俸給を辞退した。検校尚書左僕射・襄州刺史・山南東道節度使となり、淮陽県開国公に封じられた。のちに死去した[3][4]

子の蔣曙はを耀之といい、進士及第から鄂岳団練判官となり、虞部員外郎・工部員外郎・起居郎を歴任した。黄巣の乱を機に隠居し、道士となった[4]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, p. 4026.
  2. ^ 新唐書 1975, p. 4531.
  3. ^ 旧唐書 1975, pp. 4028–4029.
  4. ^ a b 新唐書 1975, p. 4534.

伝記資料

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  蔣係のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蔣係」の関連用語

1
蔣乂 百科事典
8% |||||

蔣係のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蔣係のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蔣係 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS