華雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 01:16 UTC 版)
| 華雄 | |
|---|---|
| 後漢 都督 |
|
| 死去 | 191年(初平2年) |
| 拼音 | Huà Xióng |
| 主君 | 董卓 |
華 雄(か ゆう ? - 191年)は、中国後漢時代末期の武将。
陳寿『三国志』では董卓配下の「都督」とされている。しかし盧弼『三国志集解』で注にあげられる潘眉(清代の史学者)の説によると、正しくは都督ではなく「都尉」の地位にあったとある(ちくま学芸文庫版和訳も、「都尉」に修正して訳出している)。
正史の事跡
華雄の事跡は、『三国志』呉書孫堅伝にしか見当たらない。初平2年(191年)、華雄は呂布と共に胡軫配下として従軍し、孫堅の討伐に赴いた。しかし胡軫と呂布の仲が悪く、呂布が偽りの通達を行なって胡軫を惑乱させたため、勝利を得られなかった[1]。華雄は陽人の戦いで戦死し、その首級を孫堅の手により梟首とされた[2]。
三国志演義では
小説『三国志演義』における華雄は、正史とは見違えるような活躍を見せる。身の丈九尺(210cm)を誇る豪傑であり、関西の人と設定されている。反董卓連合軍が編成された時、最初は呂布が迎撃に向かおうとしたが、華雄は「鶏を切るのに牛刀は要らぬ」と自ら買って出る。董卓に気に入られて驍騎校尉に任じられると、汜水関の守将を務めて胡軫・李粛・趙岑らを従えて5万の兵で連合軍を迎え撃つ。そんな中、連合軍の鮑信が密かに抜け駆けしようと弟の鮑忠に命じて3000の兵を率いて汜水関を攻めたが、華雄は500の兵で出撃し、鮑忠を斬って首を董卓に送ると、都督に昇進する。その後、先鋒の孫堅軍との戦いで、緒戦で胡軫が程普に討たれるものの、味方からの兵糧が届かず衰弱する孫堅軍を好機と見て、李粛が夜襲を仕掛けて孫堅軍が混乱したところを出撃して打ち破り、孫堅軍の祖茂を討ち取った。その後も豪傑ぶりを発揮し、袁術軍の兪渉、韓馥軍の潘鳳など多くの武将を討ち取る。袁紹は「顔良・文醜を従軍させていれば、こんな事にはならなかった」と、嘆くことになっている。
しかし続いて出撃してきた関羽の前に、華雄は一合にして討ち取られてしまう。関羽が帰陣したときには、出発の際に差し出された酒がまだ温かであったというものである(横山光輝の漫画『三国志』でも、華雄迎撃に赴く関羽に曹操が景気づけに酒を差出す場面があり、これを飲んで出撃した関羽に酔いが回らないうちに討ち取られる描写となっている)。
なお、胡軫との上下関係が史実とは逆転しており、『演義』では胡軫が華雄の副将となっている。
配下
- 『三国志演義』でのみの配下
脚注
参考文献
華雄(かゆう)
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「まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん」の記事における「華雄(かゆう)」の解説
董卓の配下。全身を包帯で包んだ少女。董卓死亡時に死んでいたが、李儒の手によって堕天使として復活、下界の三国天使達を次々に襲う。
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