若年期(1348年 - 1357年)
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「カタリーナ・フォン・ベーメン」の記事における「若年期(1348年 - 1357年)」の解説
モラヴィア辺境伯であったカール・フォン・ルクセンブルクとその最初の妃ブランシュ・ド・ヴァロワの間に、1342年の後半、恐らく8月19日にマルガレーテの妹、次女としてプラハで生まれた。カタリーナが生まれて数か月後には、皇帝ルートヴィヒ4世、マイセン辺境伯フリードリヒ2世およびオーストリア公アルブレヒト2世が、いずれもまだ未成年の息子たちの相手として、カタリーナに対し結婚を打診してきた。 1348年5月26日、アルブレヒト2世はブルノにおいて、カタリーナの父ローマ王カール4世に臣従の誓いを行った。そこで2人は以前から考えられていたカタリーナとアルブレヒト2世の息子ルドルフとの結婚交渉に入った。アルブレヒト2世はハンガリー王ラヨシュ1世との同盟関係を終わらせることを約束し、1348年6月5日にカール4世はアルブレヒト2世とその息子たちにハプスブルク家の領地を委ねた。さらに、その日に6歳のカタリーナは8歳のルドルフと婚約した。 1353年3月、カール4世は1355年にローマに向かう計画のため政治的安全保障を確保する目的で、ウィーンで諸侯会議を招集し、カタリーナも父についてウィーンへ向かった。すでに二度妃に先立たれていたカールは、ウィーンに滞在中カタリーナと心のこもった関係を築く方法と、自身の政治的戦略を賢明な11歳の娘に教える方法を知っていた。カタリーナは生涯この父親に愛情と敬意をもって接した。 ハプスブルク家とルクセンブルク家の同盟関係はウィーンで再確認された。1353年7月13日にカタリーナとルドルフの象徴的な結婚式が行われ、両家はお互いの相続と継承について調整を行った。 1357年7月3日、プラハでカタリーナとルドルフは結婚した。しかし、ルドルフが持参金の支払いの遅さにカール4世と対立したため、結婚から数週間後には、カタリーナは夫と父親の仲裁を初めて行わねばならなかった。
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