かがく‐じ〔クワガク‐〕【花岳寺】
花岳寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/20 23:16 UTC 版)
| 花岳寺 | |
|---|---|
| 本堂 |
|
| 所在地 | 兵庫県赤穂市加里屋1992 |
| 位置 | 北緯34度45分10.13秒 東経134度23分26.82秒 / 北緯34.7528139度 東経134.3907833度座標: 北緯34度45分10.13秒 東経134度23分26.82秒 / 北緯34.7528139度 東経134.3907833度 |
| 山号 | 台雲山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建年 | 正保2年(1645年) |
| 開山 | 秀巌龍田 |
| 開基 | 浅野長直 |
| 札所等 | 新西国三十三箇所第31番 瀬戸内観音霊場第7番 |
| 文化財 | 山門(市指定有形文化財) |
| 公式サイト | 花岳寺 |
| 法人番号 | 3140005007676 |
花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市にある曹洞宗の寺院。山号は台雲山(たいうんざん)。本尊は釈迦如来。義士木像堂は新西国三十三箇所第31番札所で本尊は千手観音である。
概要
播磨国赤穂藩・浅野家、森家の歴代藩主の菩提寺であり[1]、また、大石良雄の祖先が眠る大石家先祖の墓、義士墓、家族墓などがある。現在の住職はパーリ仏教研究者で駒澤大学仏教学部教授の片山一良。
歴史
江戸時代初期の正保2年(1645年)に常陸国笠間藩より当地へ転封となった浅野長直により、浅野家の菩提寺として[2]曹洞宗の秀巌龍田を開山に招いて創建された。
元禄14年(1701年)3月14日に浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった[3]。翌元禄15年(1703年)12月14日に赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きる(赤穂事件)[3]。その後、1年の幕府預かり(脇坂家が赤穂城在番)を経て赤穂藩には永井家が入り当寺を菩提寺としたが[2]、わずか4年で飯山藩に移封された。
宝永3年(1706年)1月には森家が赤穂藩主となり、当寺を菩提寺[2]と定めた(森家は後に臨済宗に改宗しており、当寺は使用せず)。赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739年)に、神崎与五郎、茅野和助、横川勘平ら作州(元・森家)ゆかりの者が討ち入っていたことから、境内に森家家臣の小林貞真などの有志により義士墓が建立された[3]。ここに義士達の遺髪が納められているという説があるが確証はない。
また、浅野長矩の墓があるが、赤穂事件の後に瑤泉院は曹洞宗から離脱して宗旨変えをしており、花岳寺に浅野長矩夫人の墓(遺髪供養墓)はない[4]。
宝暦2年(1752年)は赤穂浪士50回忌にあたり、大石良金(主税)と関わった藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた義士塚が建立された。
明治維新後に赤穂城の建物は取り壊されたが、塩屋惣門が当寺の山門として移築されている。現在山門は赤穂市指定有形文化財に指定されている[2]。
境内
- 本堂 - 宝暦8年(1758年)再建。天井の大額「竹に虎」は安政元年(1854年)に赤穂最大の絵師義信法橋によって描かれたもので、代横額は細井光沢の書[5]。
- 座禅堂
- 報恩堂 - 廃寺となった遠林寺から移設された庚申堂。
- 千手堂
- 無怨塔 - 戦後に建てられた七重石塔。「うらみなし 心の自由世の平和 智慧あり慈悲あり まよいなし」と刻まれる
- 二代目大石名残の松 - 標石は内閣総理大臣・陸軍大将林銑十郎の筆である[5]。
- 初代名残の松をささえた石柱
- 不忠柳 - 京に逃亡した大野知房(伴閑精)邸から移植した柳。現在は二代目。
- 鐘楼 - 梵鐘は「鳴らずの鐘」と呼ばれているが、暴徒による損傷で鳴らなくなったのは以前の鐘で、寛政9年(1797年)に製造(再鋳造)されたこの鐘は鳴る。太平洋戦争中の金属類回収令の際には赤穂義士との所縁があるとのことで供出を免れている[6]。
- 忠義塚 - 中国から渡来したという石仏「北魏の観音像」が鎮座[7]。
- 義士墓所 - 赤穂義士の遺髪が納められているという[3]。
- 義士宝物館 - 浅野家、赤穂義士に関する展示物が収蔵されている。内部は「撮影禁止」である。
- 義士木像堂 - 新西国三十三箇所第31番札所で千手観音を祀る。大石良雄は吉良邸討入りの際にこの千手観音を肌身に付けていたという[3]。
- 浅野公廟所 - 1918年(大正7年)に広島浅野家の寄進によって建立。内部に浅野長矩の墓が建てられている。
- 大石家代々の墓 - 広島の大三郎家が断絶後は瀬右衛門の家(良饒が養子入り)が大石家の祭祀を継承。
- 大石良重の墓[8]
- 義士家族の墓 - 無縁仏となっていた墓と消息不明(奥田・不破・千波など)の墓を1960年(昭和35年)に移遷・集合したもの。
- 中国渡来の仏像
- 中国大理石観音像[7]
- 浅野長直の墓
- 浅野長重の墓
- 浅野長友の墓
- 森家代々の墓[9]。
- 山門(赤穂市指定有形文化財) - 赤穂城の塩屋惣門を明治時代に移築したもの[2]。このため柱が三寸短くなっている。
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本堂
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座禅堂
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報恩堂
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二代目大石名残の松
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宝物館(左)、義士木像堂(奥)
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義士墓所、宝物館(奥)
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山門
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鳴らずの鐘
文化財
赤穂市指定有形文化財
- 山門
御詠歌
よろづ世の 人のかがみと匂ふなる 花おかでらの 庭のいしぶみ
前後の札所
祭事
- 赤穂義士祭 - 12月14日
拝観
- 境内は無料。義士宝物館・墓所の拝観料は大人500円、高校生・大学生(学生証提示)400円、小中学生無料である[10]。
所在地
- 兵庫県赤穂市加里屋1992
アクセス
近隣情報
参考資料
- 『浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺』 現地配布パンフレット
脚注
- ^ 池田輝興は岡山、永井直敬は岩槻にて死去したため、花岳寺に墓は無い。(『播州赤穂 台雲山花岳寺』より「境内案内」)
- ^ a b c d e 赤穂観光 花岳寺 2025年10月20日閲覧
- ^ a b c d e 花岳寺 赤穂義士について 2025年10月20日閲覧
- ^ 『忠臣蔵四十七義士全名鑑(完全版)』 財団法 中央義士会 特別監修、2007年
- ^ a b 花岳寺 花岳寺について 2025年10月20日閲覧
- ^ 片山伯仙『赤穂浪士研究の再出発』(1947年〈昭和22年〉)
- ^ a b 「花岳寺境内略図」より義士関連遺構。
- ^ 大石頼母助は大石良雄の後見人。
- ^ 森家は森長孝の代に臨済宗に改宗しており、長孝から十一代・忠典まで花岳寺を使用していない。それでも、現当主の森可展は森家の供養に参加されている(『赤穂民報』2013年5月19日)
- ^ “拝観”. 花岳寺. 2025年8月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
花岳寺と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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