紀元前55年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 13:56 UTC 版)
| 世紀 | 前2世紀 - 前1世紀 - 1世紀 |
|---|---|
| 十年紀 | 前70年代 前60年代 前50年代 前40年代 前30年代 |
| 年 | 前58年 前57年 前56年 紀元前55年 前54年 前53年 前52年 |
紀元前55年(きげんぜん55ねん)は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
できごと
ローマ
- 執政官のマルクス・リキニウス・クラッススとグナエウス・ポンペイウスは、パルティアを侵略するため、クラッススにシリアを5年間与えるという内容の法律Lex Treboniaを制定した。
- ガリア戦争
- 5月 - ガイウス・ユリウス・カエサルがゲルマン人の軍を倒し、ムーズ県とライン川の付近で43万人にも上る女性や子供を虐殺した。
- 6月 - カエサルはボン付近でライン川を渡った。
ブリタンニア
- 8月22日又は8月26日 - ブリタンニアが敵であるガリアに援助を送ったため、カエサルはブリタニアン侵攻を命令した。悪天候とガリアでの反乱により、遠征の成果はほとんどなかったが、遠征隊が安全にガリアに戻ってくると、元老院は20日間に及ぶ感謝祭を行った。
パルティア
- シリア属州総督アウルス・ガビニウスに支援され、パルティアの王座を要求するミトリダテス3世は、セレウキアの戦いでオロデス2世に率いられたスュレナに敗れた。
誕生
死去
脚注
注釈
出典
関連項目
紀元前55年(ガリア戦争4年目)
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「ガリア戦争」の記事における「紀元前55年(ガリア戦争4年目)」の解説
ゲルマン系の中でも弱小であったウシペテス族とテンクテリ族が、スエビ族に圧迫される形でレヌス川を越えてガリアへ侵入した為、カエサルはレヌス川の向こうへ戻るように警告した。交渉の為に双方が一時停戦する約束であったが、ゲルマニア人はこれを反故にしてローマ騎兵へ攻撃を仕掛けたことから、ローマ軍はゲルマニア人を襲撃して多くを殺戮、捕虜とした。 その後、カエサルはこれに関ったゲルマニアへの牽制として、レヌス川に橋を架けてゲルマニアへ渡り、ウシペテス族とテンクテリ族の残党を匿ったスガンブリ族の集落を焼き討ちにしたものの、森の奥深くへ陣を構えたスエビ族らとの戦いには臨まずに、ガリア側へ引き上げた。 ウェネティ族の蜂起の際にブリタンニア人がこれに加担していたことから、これを牽制する為、ガリアの守りをラビエヌスに任せ、カエサルはブリタンニアへ渡った。海が荒れたことにより軍船の一部が破損してしまったことや兵站の乏しさ、ブリタンニア人の騎兵と戦車による攻撃で苦戦を強いられたものの、兵の強さで勝るローマ軍はブリタンニア人を大破し、ローマ軍船の修理が済むと共にガリアへ戻った(ブリタンニア遠征)。 なお、前年の「ルッカ会談」での密約通りにポンペイウスとクラッススは執政官に当選し、カエサルのガリア総督としての任期も5年延長された。また、紀元前54年よりポンペイウスはヒスパニア、クラッススはシリアの属州総督に就くことが決まった。
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