祥泉院とは? わかりやすく解説

祥泉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 05:55 UTC 版)

戸倉英太郎」の記事における「祥泉院」の解説

1957年昭和32年)の晩秋から1959年昭和34年)の初夏までの1年半は、横浜市港北区上谷本(現在は、横浜市青葉区みたけ台)の祥泉院に寓居した。神経痛外出できない日もあったが、毎日のように歩いて地域調査行ったという。 祥泉院に滞在中の1958年昭和33年)には、さつき叢書刊行喜寿記念して万葉歌碑を奉納した除幕式には200名ほど参列し川上港北区長、俳人飯田九一らが祝辞述べた。 碑には次の2首が刻まれている。「わがゆきの いきつくしかば あしがらの みねはふくもを みととしぬはね 都筑郡上丁 服部 於田」「わがせなを つくしへやりて うつくしみ おひはとかなな あやにかもねも 妻 服部 呰女

※この「祥泉院」の解説は、「戸倉英太郎」の解説の一部です。
「祥泉院」を含む「戸倉英太郎」の記事については、「戸倉英太郎」の概要を参照ください。

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