祥泉院
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1957年(昭和32年)の晩秋から1959年(昭和34年)の初夏までの1年半は、横浜市港北区上谷本(現在は、横浜市青葉区みたけ台)の祥泉院に寓居した。神経痛で外出できない日もあったが、毎日のように歩いて地域の調査を行ったという。 祥泉院に滞在中の1958年(昭和33年)には、さつき叢書の刊行と喜寿を記念して万葉歌碑を奉納した。除幕式には200名ほど参列し、川上港北区長、俳人の飯田九一らが祝辞を述べた。 碑には次の2首が刻まれている。「わがゆきの いきつくしかば あしがらの みねはふくもを みととしぬはね 都筑郡上丁 服部 於田」「わがせなを つくしへやりて うつくしみ おひはとかなな あやにかもねも 妻 服部 呰女」
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