睢寧県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/03 05:57 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2025年9月)
|
| 中華人民共和国 江蘇省 睢寧県 | |
|---|---|
|
|
|
| 簡体字 | 睢宁 |
| 繁体字 | 睢寧 |
| 拼音 | Suīníng |
| カタカナ転写 | スエイニン |
| 国家 | |
| 省 | 江蘇 |
| 行政級別 | 県 |
| 面積 | |
| 総面積 | 1,767 km² |
| 人口 | |
| 総人口(2005) | 131.8 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0516 |
| 郵便番号 | 221200 |
| 行政区画代碼 | 320324 |
| 公式ウェブサイト: http://www.cnsn.gov.cn/ | |
睢寧県(すいねい-けん)は中華人民共和国江蘇省北西部に位置する省直轄の県であり、三国時代の下邳として有名となり、呉の初代皇帝孫権の出生地である。しばらくの間、徐州市の代理管轄下に置かれている。県政府住所は江蘇省睢寧県睢河街道永康路1号。
人物
著名な歴史上の人物が多くこの地から出ている。夏の奚仲や、戦国時代にこの地に封じられた斉の鄒忌などである。秦の頃、邳にいた黄石公はこの地ゆかりの張良に与える書(張良納履)を著している。
歴史
戦国時代から楚漢戦争にかけて、中原の南に位置する下邳は各国の激しい争奪戦の舞台となってきた。
下邳は、後に劉邦の軍師となった韓の遺臣の張良が陳勝・呉広の乱が起こるまで隠れ住んでいた街でもある(李白は後にこの地に来たとき、張良の故事をもとに、『経下邳圯橋懐張子房』(下邳の圯橋(いきょう)を経て張子房を懐う)の詩を作っている)。
前漢の時代は下邳は楚国に属し、漢の経済的な中心地として彭城などとともに繁栄したが、後漢末から三国時代かけては再び多くの武将の争う地となった。初期の劉備の本拠地であり、呂布、関羽らが守っていた都城として三国志演義などでよく知られている(「下邳の戦い」を参照)。
その後、淮河流域で中国の南北の境に位置する下邳は宋と金の戦争など数多くの舞台となった。また一方、その経済力や文化の蓄積をもとに多くの学者や文人を出していることでも知られている。
1218年(興定2年)、金朝により睢寧県が設置された。元初に廃止されたが、1275年(至元12年)に再設置された。
国共内戦中の1948年(民国37年)、中国共産党により邳県と統合され邳睢県とされたが、1953年に再分割され現在に至る。
行政区画
| 中国地名の変遷 | |
| 建置 | 1218年 |
| 使用状況 | 睢寧県 |
| 南宋/金 | 睢寧県 |
|---|---|
| 元 | 睢寧県 |
| 明 | 睢寧県 |
| 清 | 睢寧県 |
| 中華民国 | 睢寧県 |
| 国共内戦期間 | 睢寧県 邳睢県 |
| 現代 | 邳睢県 睢寧県 |
- 睢寧県のページへのリンク
