百越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/17 17:23 UTC 版)
|
|
この記事には複数の問題があります。
|
百越(ひゃくえつ)または越族(えつぞく)は、古代中国の長江以南、現在の中国南部からベトナム北部にかけて広がる地域に居住していた諸民族の総称である。越、越人、粤(えつ)とも呼ぶ。日本の明治から昭和期には、かつて中国南部からベトナムにかけて存在した南越国から南越族とも表記された。
非漢民族の人々を含む。日本の現代の書物において(中国史にまつわる)「越人」「越の人」と表される場合、現在のベトナムの主要民族であるベト人(越人)、キン族(京人)とは同義ではない。
概要
現在の浙江省の東海岸が起源と見られる。贛語(江西省)、呉語(江蘇省南方と浙江省北部)、閩語(福建省)、粤語(広東・福建省)などは、百越の言語と言われる。現在でも広東省一帯の方言である広東語を「粤語」と呼び。中国の歴史書や文献においては、越人は、「越」「鉞」「粤」(ピンインではいずれもyueと発音される)と記述される。「粤」は、今でも広東省の別称で、車のナンバープレートの広東省の標識にもなっている。
百越は単一の民族ではなく、多くの支族からなる集団であり、その一部に以下の諸族が含まれる。
- 呉越(於越、于越)::長江中・下流域に住んでいた諸族で、後の呉・越の国を形成した。
- 東瓯(とうおう):現在の浙江省に位置した。
- 閩越(びんえつ):現在の福建省に存在した国。
- 西瓯(せいおう):現在の広西チワン族自治区やベトナム北部にいた。
- 駱越(らくえつ):広西省南部、ベトナム北部一帯にまたがり、中心部は交趾郡一帯にあった。
さらに、広い意味での越人は、雲南省の少数民族、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイヤミャンマーの北部、台湾や海南島の先住民も、長江流域から台湾に逃げ込んだものと考えられている。もちろん、越人の中には、長江流域にとどまり、漢民族と同化した人たちも多い。今では、中国少数民族といわれる独自の文化を維持する人たちを除けば、漢族と同化したと考えられている。
秦の始皇帝の中国統一で、秦帝国の支配下に置かれた。漢代になると、混乱のどさくさに紛れて、秦の将軍であった「趙佗」が南越国を建て、約90年後に漢の武帝に滅ぼされる。中国の閩江(福建省)周辺の閩越王「無諸」が秦に対して反乱を起こし、後に劉邦に属した。漢は無諸を閩越王に封じ、東冶がその都となった。
漢の勢いが衰え、北方からの異民族に圧迫されるようになった漢族は、徐々に南下した。この時、越人は漢族と混じる人々と、同化できずに内陸の高地、海岸から避難する人々に分かれた。呉越戦争や秦の統一の戦いで逃げ出した人の一部が、直接あるいは間接的に日本列島に渡来した。この人たちが弥生人であり、倭人である。[要出典]
広い意味の習俗において、稲作、住居、断髪、鯨面(入墨)など、倭人は越人の一部であることは、ほぼ間違いないであろう。現代の漢族には残らなかった熟鮓(なれずし)や納豆は、越族の末裔といわれる雲南の少数民族に残る。長江から直接あるいは中国沿岸や韓半島を経由して、弥生時代に日本に渡ってきたと考えられる。[要出典]
越人に関連する名称
中国の歴史書や文献においては、越人に関する記述は、「越」「戉」「粤」「百粤」として現れる。「越」「粤」「戉」とも、現代のピンインではyuèと同じ音で表される。
越の人々の国々は、下記の名称が見受けられる。
※下記には、中国の漢字が含まれます。
| 漢字 | ピンイン | 広東語 イェール式 | ベトナム語 | 閩南語潮州語 | 呉語 |
|---|---|---|---|---|---|
| 句呉 | Gōuwú | Geui'ngh | Câu Ngô | Kau Gou | Keu ng |
| 于越 | Yūyuè | Yūyuht | Ư Việt | U Wat | U yoeh |
| 揚越 | Yángyuè | Yèungyuht | Dương Việt | Yang Wat | Yang yoeh |
| 贛越 | Gànyuè | Gonyuht | Cán Việt | Kan Wat | Koe yoeh |
| 閩越 | Mǐnyuè | Mànyuht | Mân Việt | Ban Wat | Ming yoeh |
| 夜郎 | Yèláng | Yehlòng | Dạ Lang | Me Nng | Ya long |
| 南越 | Nányuè | Naàhmyuht | Nam Việt | Nam Wat | Noe yoeh |
| 東越 | Dōngyuè | Dōngyuht | Đông Việt | Dang Wat | Tung yoeh |
| 山越 | Shānyuè | Saānyuht | Sơn Việt | Soa~ Wat | Sae yoeh |
| 雒越 | Luòyuè | Lokyuht | Lạc Việt | Roc Wat | Lok yoeh |
| 甌越 | Ōuyuè | Āuyuht | Âu Việt | Au Wat | Eu yoeh |
| 西甌 | Xī'ōu | Sāi'āu | Tây Âu | Sai Au | Si eu |
| 滇越,夔越 | Diānyuè, Kuíyuè | Dīnyuht, Kwaīyuht | Điền Việt, Khôi Việt | Tian Wat, Koe Wat | Tien yoeh,Khuei yoeh |
言語・遺伝子
百越の言語については研究段階だが、ジェリー・ノーマン と梅祖麟は、少なくとも百越のいくらかはオーストロアジア語族の言語を話していたという証拠を出している[1][2][3]。
中国復旦大学・黄穎、李輝、高蒙河らは、百越はY染色体ハプログループO1aであるとしている[4]。これは台湾先住民に多いタイプである。
文化
倭人との文化共通性
推測であるが文化面では、稲作、断髪、黥面(入墨)、龍蛇信仰、太陽神崇拝、鳥崇拜(河姆渡文化、良渚文化)裸潜水漁撈方法など、百越と倭人(特に海人族)の類似点が歴史書に見受けられるという主張がある[5][6]。現代の中国では廃れたなれずし(熟鮓)は、百越の間にも存在しており、古い時代に長江下流域から日本に伝播したと考えられている[7][6][8]。
刃物の産地
荘子外篇 刻意第十五には「干越(于越)の剣を持つものは、箱に入れて使うこともなく至宝とする[9]。」とあり、剣が有名であったことが示されている。越人の剣匠には、伝説的な欧冶子や干将・莫耶、徐夫人がいる。また、越人が鍛えた剣で現存するものとして、越王勾践剣、呉王夫差矛などがある。
その冶金技術は、刃物の名産地竜泉市として脈々と継承されている[10]。
言語学者の羅香林や考古学者衛聚賢は、越の字が古代中国で占いや権力移譲に使用された钺(巨大な斧)と関連があり、越や戉は刀や斧などの刃物の意であるとしている。
参考資料・脚注
- ^ Norman, Jerry; Mei, Tsu-lin (1976). "The Austroasiatics in Ancient South China: Some Lexical Evidence" (PDF). Monumenta Serica 32: 274–301. JSTOR 40726203.
- ^ Norman, Jerry (1988). Chinese. Cambridge University Press. pp. 17–19. ISBN 978-0-521-29653-3.
- ^ Boltz, William G. (1999). "Language and Writing". In Loewe, Michael; Shaughnessy, Edward L. The Cambridge history of ancient China: from the origins of civilization to 221 B.C. Cambridge University Press. pp. 74–123. ISBN 978-0-521-47030-8.
- ^ 『古代基因:百越族群研究新證』復旦大學(2003)
- ^ 西川, 吉光 (2016年3月). “海民の日本史(1)”. 国際地域学研究. pp. 157–176. 2022年4月17日閲覧。
- ^ a b 鰹節 著者: 宮下章 p129-130
- ^ 「熟鮓(なれずし)の起源」[リンク切れ] 近江の熟鮓(なれずし)・徳山鮓
- ^ “日本人の起源:“倭人”のルーツは中国大陸の呉・越 - 縄文と古代文明を探求しよう!”. 縄文と古代文明を探求しよう! - いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。 (2008年9月15日). 2022年4月17日閲覧。
- ^
(中国語) 莊子/刻意, ウィキソースより閲覧。 - ^ “2千年の伝統受け継ぐ「竜泉剣」 浙江省竜泉市”. www.afpbb.com. フランス通信社. 2022年4月16日閲覧。
関連項目
- >> 「百越」を含む用語の索引
- 百越のページへのリンク